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宗教倫理学会 公開シンポジウム「ベッドサイドに僧侶が存在する風景」(長倉伯博)

 3月15日、龍谷大学 響都ホールで長倉伯博氏(鹿児島県善福寺住職・国立滋賀医科大学非常勤講師・日本緩和医療学会会員)を講師として招き、公開シンポジウム「ベッドサイドに僧侶が存在する風景──患者・家族・医療者に果たすべき役割」を開催しました。

 豊富なご経験・エピソードは心に迫るものがありました。以下のメモでは、講演の要点を記しています。

 

1.動機
1)ビハーラ研修でのホスピス医の言葉 -「臨床になぜ僧侶がいない」-
 聖隷三方原病院(浜松市)のホスピス医とチャプレンに「なぜ僧侶は死んでからしか対応しないのか」と問われたことが、活動を始めるきっかけとなった。
 僧侶として最初に病院に行った時には歓迎されなかった。
 本願寺が始めたビハーラは価値があるが、浄土真宗の枠内に止まる。鹿児島緩和ケアネットワークを作った。
 
2)緩和ケアの定義とチームアプローチ
  WHOによる「緩和ケア」の定義(2002年):緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメントと対処(治療、処置)を行うことによって、苦しみを予防し、和らげることでクオリティ・オブ・ライフ (QOL:生活の質)を改善するアプローチである。
※以前の定義との違いは「スピリチュアルな問題を早期に発見し」の部分。
 
 スピリチュアルペインの訳語の問題:日本語にするのが難しい。以下は例。
① 実存的な痛み ② 根源的痛み ③ 霊的痛み(パストラル・ペイン)(キリスト教に多い) ④ 生きていることの意味を脅かす痛み(長倉訳)
 
2.三つの壁(自ら壁を作っている状態)
 なぜ病院に僧侶の姿がないのか。以下の三つの壁がある。
1)仏教の壁
2)医療の壁
3)文化の壁
 
 死んでから現れるお坊さんというイメージが強い。病院で出会うと霊安室に連れて行かれる。しかし同時に、僧侶もベットサイドにいることに抵抗を感じている。しかし、現在では、臨床宗教師のように変化が現れてきている。僧侶が病院に不可欠の存在となるにはまだ時間がかかるが、芽は出ている。
 病院には倫理委員として関わってきた。医療が人を死なせないことを目的とすれば、敗北するしかない。医療という手段を通じて、人生を味わう機会を与える。
 仏教はこの世を四苦八苦としてとらえている。四苦八苦があったとしても、生まれてきたことを味わう。宗教と医療は「人生を味わう」という価値を共有できる。
 死を遠ざけない、隠さない。しかし、実際にはその反対に行っている。
 
3.自然な風景にするために
1)医療と仏教の共通する目的の言語化(EBMとNBM)
 Evidence-based Medicine とNarrative-based Medicineの両方が必要。両方を使って、人生を深く味わうチャンスを構築する。
 
2)チームに僧侶を!
海外の緩和ケアチームでは宗教家が入っている。日本ではそうなっていない。
 
3)診断時→急性期(治療中)→寛解期(落ち着く時期)→進行期→終末期
 どの時点においても悩みは起きる。
 日本におけるがん患者は、5年生存率37パーセント(3年前)。63パーセントにあたる人々をどのように支えるかは簡単ではない。どうすれば患者や家族を支えることができるのか。
 
4)ネットワークの構築
 軽快なフットワーク、柔軟なネットワーク、少々のヘッドワーク
 命の現場に身を置かずに語ることはできない。
 
4.臨床での役割──医師看護師のアンケートから
 宗教家の臨床での役割は何か。話し相手、死生観に対する応答。家族の話し相手になってほしい。世間話をしてほしい。死にたい、殺してほしい、と言われたきの対応。死生観が関係してきた時の対応。

 

5.コミュニケーション
1)感謝(私を話し相手に選んでくれて、ありがとうという気持ち)、傾聴(説教することなく聞く)、受容、促進、響感、提案
 つらいことをいう時には患者は人を選んでいる。「傍にいることを許された人」として感謝する。
 宗教家は答えを言いたがる。20代の難病の患者「俺の気持ちはわからない」、「でも、わかろうとして努力してくれることはわかる」。わかったふりをしない。語られない物語もあることを理解する。
 「共感」は押し付けがあるような気がするので、「響感」という造語を使っている。相手のことを理解・共感できなくでも、響き合うことならできる。
 患者の(亡くなった)お母さんの話をしてもらう。お母さんにに褒めてもらいたい。死なせてくれ、と言わなくなった。
 仏教は苦しみを取り除く宗教ではない。苦しみと向き合う宗教。
 
2)視点の変更:私の人生が今日の私に何を期待しているか。10年後の自分は、今の自分に何を期待しているか。
 
3)死者との会話:先に逝った人たちが何を期待しているか。
 
6.最後に
 「人は死んでからどうなるの?」「お浄土や天国は本当にあるの?」という問いを投げかけられる。「わからない」「死んだことがないから、わからない」と答える。しかし同時に「心に浄土(天国)を抱いて死んだ人をたくさん知っている。私もそうしたい」と付け加える。

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