小原On-Line

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 上海大学主催、上海市教育委員会後援の夏期セミナーで、Formation of Religion and Modernity: From the Viewpoint of Modern Japan and Mono/Polytheism というタイトルで講義をしました。
 45分ほど話をし、15分ほど質疑応答の時間を設けました。かなり遠方からも様々な大学の大学院生たちが参加しており、専門分野も多岐にわたるのですが、次々と質問が出てくるのには、さすがだなと思いました。積極性があり、質問の論点も的確でした。
 講義終了後、タクシーに飛び乗り、一路空港へ。途中、大きな渋滞に巻き込まれ、少しあせりましたが、飛行機の時間には何とか間に合いました。
 かなり密度が濃かった南京・上海での一週間でした。多くの新たな友人を作ることができたのも大きな収穫でした。

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上海観光

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 今日のプログラム終了後、夕方から一同で上海市内観光に出かけました。
 上海市教育委員会からのバックアップのおかげか、浦東エリアから観光フェリーに乗ることができました(食事付き)。
 下の写真はデッキから参加者の何人かと一緒に移した写真です。その下は、日が暮れてから船上から対岸を撮った写真です。有名なテレビ塔(アジア一の高さらしいです)が立っているあたりです。
 フェリーを降りてから、川沿いの Nanjig Road をしばらく歩きましたが、信じられないほどの人だかりで驚きました。上海 Expo の影響かもしれません。

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 学生向けの夏期セミナー Religious Activities and Secular State が始まりました。三日間のプログラムで、15の大学の大学生達が参加しています。この夏期セミナーは、上海大学が中心になっていますが、上海市の教育委員会がスポンサーになっています(下の写真参照)。オープニング・セレモニーでは教育委員会の偉い人がスピーチをしていましたが、時代の急速な変化を感じさせられました。宗教や伝統文化を徹底的に否定した文化大革命の頃の中国から考えれば、まったくあり得ない話ですが、今や、公的機関さえも宗教研究を積極的にサポートする時代に移行しつつあります(もちろん、微妙な問題はたくさん残っていますが)。

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 午前中、南京の郊外にある中山陵と呼ばれる場所を訪ねました。「国父」として尊敬される孫文が眠っている場所で、多くの観光客が来ていました。南京は中国の中でも、もっとも蒸し暑い場所と知られているらしく、「オーブン」にたとえられることがあるとのこと。久しぶりに滝のような汗をかきました。
 昼食後、中国の新幹線に乗って上海に向かいました。バスで4時間かかった道のりが、この新幹線に乗ると、たったの70分! 上海のリニアモーターカーも有名ですが、この新幹線のスピードもなかなかのものでした。日本の新幹線より速いらしいです。
 明日から、学生向けのサマーコース(チェーンレクチャー)が始まります。私は金曜日早朝に担当することになっています。
 中山陵の長い階段の途中の一コマを下につけておきます。エチオピア、ナイジェリアからの参加者と一緒に写っています。

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 今日も長い一日でした。ブログを書くエネルギーもあまり残っていないのですが、とりあえず、発表が無事にすんだことを記しておきたいと思います。
 "A Critique of the Pluralist Model in Christian Theology: Reflecting the Prerspective of Japanese Religions and Islam" というタイトルで発表をしました。質問にも無事に答えることができました。
 セッションのあとの昼食のときにも、中華料理を食べながら(こちに来てから朝から晩まですべて中華料理!)、質問攻めにあいましたが、関心を示してくれた人が多かったのは、よかったです。
 昼食後、ユダヤ学センターを見学に行きました。写真をたくさん撮ったのですが、パソコン(MacBook Air)にメモリーを取り込むアダプターを忘れたため、帰国後、写真を掲載したいと思います。
 下の写真は、iPad 経由で取り込み、そこから転送したものです。iPad は WiFi ネットワークにではなく3Gでつながっているので、ネットワーク残量の都合上、あまり大きな容量のものを移動させることができません。
 遅い夕食をとったあと、南京の古い中心街を散策しました。ホテルに帰ってきたのは10時を回っていました。
 明日は、南京の儒教寺院などを見学した後、列車で上海に戻ります。

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 朝8時に出発し、ホテルに帰ってきたのは夜の8時半。長い一日でした。食事の時間以外にも休憩時間が、午前・午後1回ずつあるのですが、何と10分間だけ。プログラムが恐ろしいほどに詰め込まれていますが、中国では普通なのかもしれません。
 とても全体を説明することはできませんので、今日の発表者の国籍だけをざっと記してみたいと思います。アメリカ、中国(本土・香港)、インド、エチオピア、ナイジェリア、インドネシア、エジプト。それぞれの国の事情を反映したユニークな発表を聞くことができるのは、こうした国際会議ならではのおもしろさでしょう。
 質疑応答の時間には、必ず最初に手を挙げることにしているのですが、今日は、私が圧倒的に最多質問者となりました。「シャイな日本人」という国際的イメージを少しでも払拭できるよう、がんばっています。
 私の発表は、明日の午前中にあります。明日も長い一日になりそうです。

 会議の合間や食事のときに、いろいろな人と話ができるのは楽しいことですが、今日は、南京大学や他の大学の様子について、興味深い話を聞くことができました。
 南京大学に、本格的なユダヤ学研究の学部(学科)があるのは驚きでした。なぜユダヤ学関係のアメリカ人研究者が4名もこの会議に来ているのか、という謎が解けました。また毎年、3、4名の学生をヘブライ語習得のために、イスラエルのヘブライ大学やテルアビブ大学に派遣しているとのことでした。ユダヤ学専攻の学生が、アメリカ人のユダヤ学研究者とヘブライ語で話をしていました。

 もう一つ驚いたことは、中国の大学での教員の担当コマ数です。大学によるシステムの差はもちろんあると思いますので、どこまで一般化できるかはわかりませんが、私が聞いた範囲では、中国では、1回の授業は2時間(途中休憩あり)、そして、担当コマ数は2コマ、多くても3コマとのことでした。私が秋から7コマ授業を担当すると言うと、異口同音に、あり得ない!という反応が返ってきました。
 「あり得ない」が日本では当たり前となっている点に、日本の大学のがんばりを感じるべきなのか、あるいは、間違った方向に行っていると受け止めるべきなのか・・・ 人によって判断が分かれそうです。

 もう一つの驚きは、中国の大学では宗教研究所のようなセンターが続々と作られ、今や、全国で百を超えているということです。マルキシズムは、思想系の学問の中では、いまだ中核に位置していますが、マルキシズムだけでは、現代の中国人を満足させることができなくなっているということなのかもしれません。ある種の宗教復興のようなものが現代中国には起こりつつある、と言えるでしょう。
 今日は午前中少しゆっくり過ごした後、午後、バスで上海から南京に移動しました。地図上では近そうなのですが、バスで何と4時間もかかりました。車中、超おしゃべりのインド人(インド仏教の専門家、カルカッタ大学)と隣の席になったため、ほぼ4時間しゃべりっぱなしで疲れました。しかし、インドについては、ずいぶん詳しくなりました(笑)。

 南京大学の先生達も合流して、これで中国人15名、外国人15名ほどの参加者が集まりました。外国からは、まさに地球のあちこちから来ており、文字通りグローバルな顔ぶれです。アルゼンチンからは、3回乗り換え、27時間かかったとのこと。日本からはわずか2時間のフライトですから、申し訳ない気持ちになります。
 中国からはスター選手達が集まっているという感じです。かなり力を入れて、この国際会議のために準備してこられた様子がうかがえます

 明日から本格的に始まりますが、朝8:30にスタートして、夜8時に終わります。すさまじくタイトなスケジュールです。

上海に到着

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 上海国際空港からタクシーで一時間ほどのところに上海大学があります。夕方7時頃に正門前に到着し、そこで宿泊場所を尋ねると、ひたすらまっすぐに行けとのお言葉。でも道は分岐したり、曲がったりと全然真っ直ぐになんて進めません。迷い歩くこと15分、正門とまったく反対方向の入り口近くにゲストハウスを見つけました。
  中にはいると、旧知のGuo教授が出迎えてくれ、やっと一安心。他の参加者とも顔を合わせることができました。カリフォルニアからの参加者も何人かいましたが、遠いところでは、アルゼンチンやケニヤからも来ていました。 
 上海の今日の最高気温は40度を越えていたとのこと。どうりで暑いはずです。 明日は一同で最初のメイン会場となる南京大学に移動します。 ひとりとぼとぼと広大なキャンパスを歩いていたときに撮った写真を下に付けておきます。ちなみにこの写真は、何と昨日ついに手にした iPhone 4 で撮りました。このブログ記事も iPhone 4 で書いてアップしています。海外ローミングもばっちりです。


 2月4日に以下のような講演会があり、参加してきました。講演者の Yang 先生は何かと私に声をかけてくれる、とても親切な方です。

"Sovereignty And Disenchantment: Postcoloniality, Religiosity, And Modernity In China"
Prof. Mayfair Yang

Religious Studies & East Asian Languages & Cultural Studies Departments, UC Santa Barbara

In the long twentieth century, modern China experienced perhaps the world's most radical and systematic secularization process and the decimation of traditional religious and ritual cultures, both intangible and material cultures. This paper seeks to account for this experience by engaging with postcolonial theory, a body of discourse seldom found relevant to China Studies. The paper attempts a two-pronged critique of both state secularization and some aspects of existing postcolonial studies/theory.

 中国の近代化は、急激な世俗化をともなっており、日本の近代化プロセスと比較するとおもしろい点がいくつもあります。
 しかし、日本と同様、宗教を管理するために、「宗教」と「迷信」の二分法的な管理を行い、迷信的と思われるものに対しては、かなり否定的な態度を取ってきたようです。基本的には、これは現代の中国にまで引き継がれています。

 質疑応答の時間において私は次の二つの質問をしました。
1)中国の近現代史における「宗教」概念の変遷について
2)現代の中国における「宗教の自由」について

1)については、私は質問の中で、日本が religion に対応する言葉として「宗教」を再定義したことを説明し、今日、「宗教」は必ずしも普遍的な概念とは言えず、むしろ、それがプロテスタント的な概念であることが指摘されているが、中国の場合、どのような概念上の変遷があったのか、ということを尋ねました。
 中国語における「宗教」概念は、日本から輸入されました。したがって、中国語の「宗教」は日本語の「宗教」とかなり似た意味を持っているようです。先にも述べたように、「宗教」と「迷信」の二分法がよく用いられてきたこと、それがプロテスタントに由来することを述べておられました。カトリックの聖人信仰などをプロテスタントは「迷信」と呼んだ、との説明がありました。
 もちろん、こうした歴史的事実はあるのですが、私は再度のコメントの中で、「宗教」と「迷信」という用語法は宗教改革時代にもあるが、ローマ時代にまでさかのぼること、特に、キケロが明確にそれを用いていることを付け加えておきました。

2)については、現代の中国における深刻な問題だが、「宗教の自由」は十分ではないとの返答でした。エピソードとして、中国の国家宗教事務局を訪ねた際のやり取りを紹介してくれました。公認宗教以外への対応を聞いたところ、「迷信」をまともに相手にする必要はないと返事をされたとのことでした。

 講演の中では、ポストコロニアリズムなど盛りだくさんのテーマが扱われていました。
 中国の宗教について関心のある方には、Yang 先生が編集している次の本をお薦めしておきたいと思います。

Mayfair Mei-Hui Yang ed., Chinese Religiosities: Afflictions of Modernity and State Formation.

 「Essays - 新聞・雑誌記事等」の「新聞執筆原稿」に「国家の威信――揺れる中国」(「現代のことば」)(『京都新聞』2008年4月10日、夕刊)を追加しました。
 先日の中国訪問での見聞を下敷きにして書いた記事ですが、チベット騒乱などが今なお大きな問題として世界の関心を集めており、結果的にタイムリーな記事となりました。
 国際世論は中国批判を強めていますが、問題は中国か、チベット(ダライ・ラマ)か、ということではないと思います。中国の対応に問題があるのは言うまでもありませんが、強硬な態度を、どのようにすれば、多少なりとも、ほぐしていくことができるのか、多角的なアプローチが探られるべきでしょう。
 ダライ・ラマ批判や、国際世論への反発を通じて、中国政府が国内のナショナリズムをあおることは、対立構造を大きくしかねませんので、できれば沈静化する方向にもっていってもらいたいものです。
 一筋縄にはいかない問題ですね。
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自己紹介

近  著

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