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新聞・雑誌記事等

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「自らの孤独と向き合う姿勢を」(12歳のいのち いま、つたえたい 6)、『京都新聞』2004年7月25日、朝刊

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ネット規制は不可能?

 禁止や規制をすれば、一時的な効果はあるが、長期的には、別の視点が必要だろう。
 情報教育が始まった当初、子どもがネットを使えることは好印象だった。これに反し、佐世保小六事件は、道具の使い方を誤ると、どうなるのかを非常にリアルな形でわれわれに突きつけた。
 パソコンを買い与えた大人は悩んでいる。できれば、使用に制限をかけた範囲で、子どもにネットを使ってほしいと願っている。しかし、いくら技術的に規制しても、子どもは追いつき、すぐにその域を超える。
 それよりも現実の世界と、ネットのように、バーチャルな世界との間をうまく行き来できないことに問題がある。ネットのルールをいくら説いても限界がある。現実世界に対する認識をはぐくむ場こそが求められる。

遊びは失われたのか?

 では、遊びはどうか。遊びは、現実世界を認識する絶好の機会だった。問題が起きた場合、解決する方法を見いだす貴重な場でもあった。体をこすり合わせ、殴られたら痛さを感じ、時には、けがをした。今、こうした遊びの経験が希薄だ。
 現代っ子の遊びは劇的に変化した。誰もが知る通り、外で遊ぶよりも、家でテレビゲームをする時間が多い。ゲームの普及で、公園から子どもの遊ぶ姿を見かけなくなった。これは、日本に限らない。多くの国々で見られ現象だ。
 子どもの世界認識において、バーチャルな世界の経験はかなりの比重を占める。
バーチャルな世界には、没入感がある。実体験に乏しい低年齢であるほど、没入感が増していく。事件を起こした当時十一歳の少女もそうだったと思う。

携帯は人生に影響?

 成人も同じく、ネットや携帯などから強い影響を受けている。最近、気になるのが、メール感覚でしか文章表現できない若者が増えてきた点だ。頻繁にメールを送ってくるのに、顔と顔とが向き合うと、きちんと話をできないことがある。
 ネットや携帯は人生にも影響を及ぼしている。人間は生まれてから死ぬまで、根源的に孤独を背負っている。そのことを、かつては折に触れて経験する機会があった。しかし今は、孤独が非常に見えにくい。メル友やチャットのように、ネット上には、たくさんの逃げ場がある。
 メールをよくする人の中には、一日に一通もメールが来なければ、それだけで不安に陥る人もいる。機械が故障して、二、三日使えなくなれば、精神的な安定を失う。

 確かに、メル友は連絡し合っていれば、心が落ち着く関係だ。薄くて広いネットワークの中で、自分が浮遊しないように、つなぎ留めてくれる感覚がある。ただ、精神安定的な効果はあるが、依存しすぎると、「中毒症状」を起こしてしまう。問題は、孤独と向き合わない成人の中にもある。年齢を問わず、しだいに増えてきているのではないか。
 精神が成熟している子であれば、十代であっても自らの孤独と向き合い、親や友人と葛藤する。そして、自分なりに考えている。子どもが抱く人生の問いに対して、まじめに答えられる大人がどれだけいるのか。親や教師らが、もう一度、自らと向き合う姿勢も大切ではないか。
(聞き手 文化報道部・二松啓紀)