世界キリスト教情報

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世界キリスト教情報 第1505信(2019.11.25)

  • ローマ「法王」の呼称「教皇」に、政府が来日に合わせ変更
  • 教皇、タイに到着、空港で歓迎式
  • 教皇、民族間の調和と宗教間対話の重要性を強調
  • 教皇、タイ訪問終え日本へ
  • 教皇、被爆地への訪問に強い意欲を示した訪日
  • 《メディア展望》

 

◎ローマ「法王」の呼称「教皇」に、政府が来日に合わせ変更

 政府は11月20日、教皇フランシスコの来日に合わせて、今後は呼称を「教皇」に変更すると発表した。外務省は、カトリックの関係者をはじめ一般的に教皇を用いる例が多いことと、法王が国家元首を務めるバチカン側に、教皇という表現の使用について問題がないことが確認できたためと説明した。ただ「『法王』を使用しても間違いではない」としている。(CJC)


◎教皇、タイに到着、空港で歓迎式

 【CJC】タイと日本へのアジア2カ国訪問に出発した教皇フランシスコを乗せた特別機は、11月20日12時02分(日本時間14時02分)、バンコクのドンムアン空港軍事ターミナルに到着した。

 バチカン・ニュース(日本語版)などによると、空港で教皇は、出迎えの枢密院の代表から、バチカン国旗の黄色と白の2色で作られた花飾りを贈られた。そして、タイ政府要人、同国司教団、多民族国家を表すように様々な民族衣装を身に着けた11人の子どもたちに挨拶をおくられた。

 歓迎式に参加した一団の中には、教皇の又従妹で、タイでの長い宣教経験を持つ、『サレジアン・シスターズ』(扶助者聖母会)のアナ・ローサ・シヴォリ修道女の姿も見られた。シスター・アナ・ローサは、このたびの教皇のタイ訪問中のいくつかの行事で通訳を務める。

 教皇は、訪問開始に先立ちビデオメッセージを出し、多様な民族が住むタイの人々の「寛容と調和」の価値観をたたえ、同国との「友好の絆を強めたい」と強調、「異なる宗教との対話は分断を乗り越える助けとなる」と述べた。


◎教皇、民族間の調和と宗教間対話の重要性を強調

 【CJC】公営バチカン・ニュース(日本語版)によると、教皇フランシスコは、11月21日午前、バンコク市内の首相府を訪問、プラユット・チャンオチャ首相と共に、前庭で催された歓迎式典に臨んだ。続いて、ホールでタイの各界代表および同国駐在外交団と会見した。

 多文化と多様性の国として、タイは数ある民族間の調和と平和的共存の大切さを認識し、異なる文化や宗教、思想への尊重を表してきた、と教皇は述べた。

 タイは「自由」を意味する国、と教皇は述べながら、自由は人々が互いに責任を共有し、あらゆる形の不平等を克服できる時にこそ可能になる、と話した。

 教皇は、今日の世界の特徴の一つである移民現象に言及。タイが近隣国の難民を受け入れてきたことに触れつつ、国際社会がこの問題に責任と先見性をもって対応し、人々の悲劇的な国外脱出をもたらす原因を解決し、安全で秩序ある移民制度を促進できるよう、今一度アピールした。

 その後、教皇は、バンコクのワット・ラーチャボピット寺で仏教の最高指導者らと会見した。

 教皇は、タイの仏教指導者らへの挨拶で、タイにおいて仏教が人々に与えている精神価値、命やお年寄りの尊重、観想的で執着から離れた簡素な生活、また特に人々の微笑などに言及した。

 タイ仏教界とカトリック教会との相互理解と尊重の歩みの歴史として、教皇は50年前の第17代大僧正のバチカン訪問や、1984年のヨハネ・パウロ2世のこの寺院への訪問などを思い起こした。


◎教皇、タイ訪問終え日本へ

 【CJC】教皇フランシスコは11月20日からのタイ訪問で、人々の「寛容と調和」の価値観をたたえ、同国との「友好の絆を強めたい」との願いを果たし、23日午前9時過ぎ、バンコクのドンムアン空港軍事ターミナルからタイ航空特別機で、次の訪問国日本に向け出発した。


◎教皇、被爆地への訪問に強い意欲を示した訪日

 11月23日夕、タイ航空特別機で東京羽田空港に到着した教皇フランシスコを迎え歓迎式が行われた。その後、東京都千代田区のローマ教皇庁大使館で教皇と日本の司教との集いが行われた。教皇は「人類史に残るあの悲劇の傷に今なお苦しんでいる人々に会いたいと思う」と話し、被爆地への訪問に強い意欲を示した。

 日本訪問2日目、教皇は全日空特別機で長崎に向かい、午前9時半ごろ、長崎空港に到着した。長崎市や教会関係者らの出迎えをうけたあと、警察の車両に先導されて市内の爆心地公園に向かった。

 被爆者から渡された白い花輪を原子爆弾落下中心地碑に捧げた教皇は、降りしきる雨の中、沈黙のうちに祈り続けた。

 続いて教皇は、核兵器のない世界の実現のために、無関心を捨て、「真の平和の道具」となるよう、すべての人に呼び掛ける、平和のメッセージを述べた。

 教皇は、核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信のもと、核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、と心に刻むよう、世界の政治指導者らに訴えた。

 この集いの後、教皇は、長崎・西坂公園で、日本二十六聖人殉教者の記念碑を前に祈られた。

 聖パウロ三木と同志殉教者26人は、1597年2月5日、西坂の丘で磔刑に処せられ、キリストにおける信仰のために処刑された日本で最初の殉教者となった。

 集った人々への挨拶で、教皇は、この瞬間を待ちわび、一巡礼者として祈り、自らのあかしと献身で道を示すこの兄弟たちの信仰に強められるために来た、と述べた。

 また、教皇は、この地は復活を告げる場所、と述べ、それはあらゆる試練においても、最後は死ではなく、いのちに至ると宣言しているからである、と語った。

 また、教皇は、この場所から、世界のさまざまな場所で、信仰ゆえに今日も苦しみ、殉教の苦しみを味わうキリスト者とも心を合わせよう、と呼びかけられた。

 午後、長崎市の長崎県営野球場「ビッグNスタジアム」で行なわれた教皇ミサには、およそ3万人が参加した。舞台上の祭壇の隣には、被爆マリア像が置かれた。

 説教で教皇は、この国は、人間が手にしうる壊滅的な力を経験した数少ない国の一つと述べ、それゆえに、わたしたちは、悔い改めた盗人と同じように、苦しむ罪なきかた、主イエスを弁護し仕えるために、声を上げ、信仰を表明したいと話した。

 教皇は、宣教する弟子の使命は、家庭、職場、社会、置かれたすべての場所でパン種となること、と話した。

 そして、病気や障がいのある人、高齢者や見捨てられた人たち、難民や外国からの労働者、彼らを取り囲む無関心の脇で、今日それを生きるようにと、招いた。

 ミサ中の共同祈願は、スペイン語、韓国語、タガログ語、日本語、ベトナム語で行われ、様々な出身の信者たちが集う今日の日本のカトリック共同体の姿を象徴するものとなった。

 ミサの終わりに、長崎大司教区の高見三明大司教が、教皇に挨拶を述べた。

 長崎訪問を終えた教皇は、次の目的地、広島に空路向かい、平和記念公園で平和のための集いを行った。会場には、被爆者らや、諸宗教代表者らをはじめ、およそ2千人が集った。

 教皇は、原爆死没者慰霊碑の前に献花し、祈りを捧げられた。次いで、ろうそくに火を灯した教皇は、闇に鐘の音が響く中、会場の参加者らとともに黙祷を捧げられた。

 被爆者の証言と代読に続き、教皇は平和メッセージを述べた。

 この中で教皇は、「死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所」、「大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残った」この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめたいと述べた。

 そして、教皇は「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、静かに祈るため」に、「平和の巡礼者」としてこの場所を訪れなければならないと感じていた、と話された。

 「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもない」と述べた教皇は、それは人類とその尊厳だけでなく、わたしたちの「共通の家」の未来の可能性にも反する、と教皇は指摘した。

 真の平和とは、非武装の平和以外にありえない、わたしたちは歴史から学ぶべき、と教皇は述べた。

 「思い出し、ともに歩み、守ること」の三つを、平和となる真の道を切り開く力を持つ「倫理的命令」として胸に刻むよう教皇は勧めた。

 そして、教皇は、神とすべての人に向かい、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、「戦争はもういらない!兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない!」と声を合わせて叫ぼうと訴えた。

 教皇は、日本訪問3日目の25日、最初に千代田区内のイベントホール、ベルサール半蔵門で、東日本大震災の被災者らとの集いに出席した。

 この集いには2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波、そしてその影響で起きた福島第一原子力発電所事故による被害者らが参加した。

 集いでは、3人の被災者が、それぞれの体験を通して、災害がもたらしたもの、自分や家族や共同体に与えた影響、困難の中を歩みながら得た思い、未来を見つめる視点を語った。

 教皇は講話の初めに、地震、津波、原発事故によって言い表せない辛い思いを体験した、すべての人を代表し、大勢の人が被った悲しみと痛み、よりよい未来に広がる希望を伝えてくれた被災者代表の方々に感謝を述べた。

 そして、教皇は1万8千人に上る犠牲者、そして遺族、行方不明者のために、参加者と共に沈黙の祈りを捧げた。

 教皇は、災害地域の復興に取り組み、現在も仮設住宅に避難し自宅に帰ることができない多くの人々の境遇改善に努める、地方自治体や諸団体、人々の尽力に感謝し、災害直後に迅速に動き、被災者を支えてくれた、日本や世界中の多くの人に感謝された。そして、この集いが、被災者の方々が引き続き多くの必要な助けを得るための、心あるすべての人に訴える呼びかけとなるよう、願った。

 教皇は、わたしたちはこの地球の一部、環境の一部である、と話し、天然資源の使用、特に将来のエネルギー源に関して、勇気ある決断をすること、無関心と闘う力のある文化を作るため、働き、歩むことを、最初の一歩とするよう勧められた。

 福島第一原子力発電所の事故とその余波を思い起こされた教皇は、科学的・医学的な懸念はもとより、社会構造の回復という大きな課題を指摘。地域社会で社会のつながりが再び築かれ、人々がまた安全で安定した生活ができるようにならなければ、福島の事故は完全には解決されない、と述べた。

 教皇は、三大災害後の復興と再建の継続には、多くの手と多くの心を、一致させなければならない、と話した。

 午前11時、教皇は皇居に天皇陛下を訪問した。宮殿の南車寄せに到着した教皇は、出迎えられた天皇と笑顔で握手を交わした。約20分、宮殿・竹の間で、天皇と教皇の会見が行われた。

 午後、教皇は、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、青年たちと会見した。

 3人の代表が、今日の日本社会で青年はどう神と出会い生きて行くべきか、若者たちが自分のよさに気付くようどう寄り添うべきか、また外国籍を持って生活することの喜びや苦しみ、いじめや差別の問題などをテーマに話し、今日の日本の青年たちが抱える現実と思いに光を当てながら、教皇に助言を求めた。

 今日の日本に生きる若者における文化的・宗教的な多様性を見て教皇は、それこそが、この世代が未来に手渡せる美しさであると述べた。

 そして、人類家族に必要なのは、皆の同一化ではなく、共存を学ぶこと、友情をはぐくみ、他者の不安に関心を寄せ、異なる経験や見方を尊重すること、と話した。

 教皇は、霊的な貧困との闘いは、わたしたち皆の挑戦であると述べ、もっとも重要なことは、何を手にしたか、手にできるかではなく、それをだれと共有するのかであると話し、物も大切だが、人間は欠けてはならない存在、と話した。

 教皇は、東京ドームでミサを捧げた。ミサには、日本全国からおよそ5万人が参加した。

 ミサの説教で、教皇は、「マルコによる福音書」の、イエスの「山上の説教」中の「神と富とに仕えることはできない」「思い悩むな」の箇所を取り上げ、わたしたちが歩むよう招かれた道の美しさを説くもの、と述べ、聖書によれば、山は、神がご自身を明かし知らしめる場所であり、その山頂には、分かれ道で師なるかたに、注意深く忍耐をもって聞くことによってのみ到達できる、と話した。

 いのちの福音を告げるよう、わたしたちは求められ、駆り立てられている、と述べた教皇は、それは、共同体として、傷ついた人をいやし、和解とゆるしの道をつねに示す、野戦病院となること、と説いた。

 説教に続く共同祈願では、長崎でのミサと同様、各国語(英語、ベトナム語、日本語、韓国語、タガログ語、スペイン語)で祈りが唱えられた。

 ミサの終わりに菊地功・東京大司教が教皇に感謝の挨拶を述べた。(CJC)

 
《メディア展望》

 =カトリック新聞(11月24日)=https://www.cwjpn.com/cwjpn/
★教皇=来日に向けメッセージ=「揺るぎない平和」への道を
★教皇、反ユダヤ主義を非難=一般謁見で 暴力行為に言及
★ルーメル神父 回顧展=上智大卒業生有志が被爆者の体験伝える
★高山右近をしのび金沢教会で「奉茶式」=列聖を祈り讃歌を歌う
★カリタス南相馬=台風19号の被害支援=地域に寄り添い活動続ける=福島

 

 =KiriShin(11月21日・既報)=https://www.kirishin.com

 

 =クリスチャン新聞(11月24日)=https://クリスチャン新聞.com
★九州宣教フォーラム2019=「教職・信徒の宣教協力」テーマに竿代照夫氏= 「プロ・アマ」意識の克服を=「役割の違いはあっても上下関係はない」
★大嘗祭、「天皇代替わり」儀式公金利用抗議に6千200筆=戦前以来の"象徴権威"が可視化された
★福音功労賞に阿部志郎氏、下稲葉康之氏、横田武幸氏 社会福祉、全人的医療、超教派宣教
★神戸バイブルカフェ15周年記念ライブ=久米小百合・大作夫妻も熱唱=ゆかりの地で密度濃い一夜
★教皇フランシスコが来日=長崎爆心地で「焼き場に立つ少年」掲示へ

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