世界キリスト教情報

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世界キリスト教情報 第1508信(2019.12.16)

  • ガザのキリスト者もクリスマスは聖地で!
  • シリアの平和のためWCCが「エキュメニカルな祈り」
  • 教皇フランシスコ、司祭叙階50周年迎える
  • ルーマニア革命30年、始まりの地で「自由の行進」
  • 《メディア展望》

 

◎ガザのキリスト者もクリスマスは聖地で!

 【CJC】カトリック系CNA通信によると、エルサレムの教会指導者は、パレスチナ自治区(パレスチナ国)ガザ地区からクリスマスに数百人規模のキリスト者がベツレヘムを訪問することを今年は認めないとしたイスラエル当局の決定を覆すよう訴えている。

 昨2018年、イスラエルはガザのキリスト者約700人に、ベツレヘム、エルサレム、ナザレなどの巡礼地に行くことを許可した。

 ロイター通信は、治安上の懸念から、当局が例年の慣行を破り、許可しなかったと報じている。ガザのキリスト者は海外には旅行できるのに、イスラエルとヨルダン川西岸(パレスチナ自治区)には入れないことになる。

 地元教会指導者の顧問を務めるワディ・アブ・ナッサー氏は、当局の方策を批判し、「世界中の他の人々がベツレヘムへの旅行を許可されている。ガザのキリスト者にも同じ権利が認められるべきだと思う」とロイター通信に語った。

 ガザに住むランダ・エル=アマシュさん(50)も「毎年、クリスマスを祝うため家族と会えるように、許可が出るよう願っている。ベツレヘムとエルサレムで祝えればもっと楽しい」と言う。

 ガザ地区は、イスラエル西部、地中海沿岸のイスラム運動『ハマス』支配下にある約360平方キロの地域。居住約200万人。

 イスラエルとエジプトは、ガザからの武器移動とロケット攻撃を制限する必要性を理由に、旅行や交易を制限する経済的封鎖をガザに課した。それによりガザの住民は高い失業率に苦しみ、停電や飲料水不足に直面している。

 2012年、ガザに居住するキリスト者は約4500人だったが、現在は約1000人に減っている。そのほとんどがギリシャ正教会の信徒。

 イースターやクリスマスの聖地訪問許可を得たキリスト者の中には、ガザに戻らず、他の場所でより良い生活を求めようとする人もいる。

 これまでイスラエル当局は、ガザからの旅行者が不法にヨルダン川西岸地域での滞在を延長していることを理由に、旅行制限を正当化してきた。

 イスラエル権利団体『ギシャ』は、旅行禁止がパレスチナ自治国を構成するヨルダン川西岸とガザの2地域に対する「イスラエルの分離政策の深化」だ、とロイター通信に語った。

 イスラエルは、人口850万人の大多数がユダヤ人だが、約20%がアラブ人。キリスト者は約2%、数十年にわたる海外移住のため急減した。


◎シリアの平和のためWCCが「エキュメニカルな祈り」

 【CJC】待降節(アドベント)の第2週の終わりに、WCC(世界教会協議会)のジュネーブ本部スタッフは、アル・カリヤタインの聖エリア・シリア・カトリック修道院長ジャック(ヤクーブ)・モウラッド司祭が先導する「シリアと中東の平和のための特別な正午の祈り」のため、「エキュメニカル・センター」のチャペルに集まった。

 祈りの中で、モウラッド司祭は、彼の反省を明らかにした。ISIS(イスラム国)と関係のある武装グループが2015年5月21日、モウラッド司祭を誘拐し、彼と彼の仲間を、テロ組織がシリア本部を置いていたラッカ市に連行したのだ。

 自分の経験から得た主要な教訓として「要求は、隣人イスラム教徒との対話であるべき」とモウラッド司祭は述べた。

 拘束された数カ月の間、司祭は心理的なプレッシャーにさらされた。その後、彼はイスラム教徒の友人と一緒に脱出した。彼は現在イタリアに住んでいる。

 「正午の祈り」では、シリアと中東の平和と紛争に苦しんでいる人々の癒しを求める呼びかけとして、さまざまな伝統に立つ賛美歌が歌われ、祈りがなされた。

 アラビア語の歌と朗読で、スタッフは、祈りの中で皆が「この地上の平和のための道具」になるよう勧めるモウラッド司祭に賛同した。司祭は、シリア語で「主の祈り」を祈り、集会を終えた。


◎教皇フランシスコ、司祭叙階50周年迎える

 【CJC】教皇フランシスコは12月13日、司祭叙階50周年を迎えた。

 教皇フランシスコ(ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)は、1969年12月13日、アルゼンチン・コルドバのラモン・ホセ・カステジャーノ大司教により司祭に叙階された。33歳の誕生日を迎える4日前のことだった、と公営バチカン・ニュース(日本語版)が報じた。

 ベルゴリオ神父が司祭への召命を心に受け止めたのは、それからさらに15年以上前、1953年9月21日、聖マタイ使徒福音記者の祝日にさかのぼる。告解の最中に、神の深いいつくしみを体験した、その大きな喜びが、司祭になることで「永遠に」自らを神に捧げようという決意を励まし続けたという。

 司祭叙階から、その後ブエノスアイレス大司教、枢機卿への任命、やがてコンクラーベを経て今日に至る、教皇フランシスコの50年間の司祭職を特徴づけてきたものは、この「神のいつくしみ」であった、とバチカン・ニュース。

 教皇は、数年前行われたローマ教区の主任司祭たちとの出会いで、「司祭は他の人々に自らを捧げながら、騒ぎたてることなく、共同体の毎日の生活に完全に没頭しなければならない」と述べている。

 そして、「イエスが、飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている群衆を見て深く憐れまれたように、司祭も羊たちを前に心を動かされなければならない」と言う。

 教皇は、人々と共にいて、神の憐みを証しすることを、しばしば「いつくしみの時」と呼んでいる。


◎ルーマニア革命30年、始まりの地で「自由の行進」

 【CJC】ルーマニアは、故ニコラエ・チャウシェスク大統領の独裁政権を打倒した革命から今年で30周年を迎えた。AFP通信によると、革命が始まった西部ティミショアラでは12月15日、「自由の行進」が行われた。大勢の参加者がルーマニア国旗を振りながら、赤れんが造りの改革派教会堂まで行進した。

 1989年、この教会の牧師テケシュ・ラースロー氏が、説教の中でチャウシェスク大統領の独裁政権を批判したことで追放された。

 テケシュ氏追放に対する抗議が革命の火種となり、欧州最後の共産主義政権を打倒するまでになった。共産主義陣営の東欧と資本主義陣営の西側を隔てていた「鉄のカーテン」は、同年春ごろから崩壊し始めていた。

 現在67歳のテケシュ牧師はAFP通信に、「人々が私の呼び掛けに応じ、教会に足を運んで結束を示すとは想像できなかった」と述べ、「この結束が、共産主義政権に対する抗議運動へと姿を変えた」と語っている。

 テケシュ牧師を支持する抗議集会の開始から2日後、チャウシェスク大統領はデモ参加者への発砲を命令。ティミショアラでは89年12月17日、60人近くが死亡し、2000人以上が負傷した。

 政権に反対する人々は、21日に首都ブカレストに到着。翌日には、チャウシェスク大統領とその妻がヘリコプターでブカレストから逃亡したが、その後逮捕された。クリスマスの25日、2人は死刑判決を受け、即日執行された。

 革命では計1104人が死亡し、3552人が負傷した。


《メディア展望》

 =カトリック新聞(12月15日)=https://www.cwjpn.com/cwjpn/
★教皇訪日の実り 社会に=司教協議会会長 髙見大司教が談話
★「被爆遺物」バチカンへ=長崎爆心地で出土 教皇に手渡す
★バチカン人事=教皇庁福音宣教省長官にマニラのタグレ枢機卿を任命
★占いは反キリスト教的=教皇の一般謁見講話
★外務省 来日直前に呼称変更=「法王」から「教皇」へ

 

 =KiriShin(12月11日・休刊)=https://www.kirishin.com

 

 =クリスチャン新聞(12月15日・休刊)=https://クリスチャン新聞.com

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