世界キリスト教情報

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世界キリスト教情報 第1645信(2022.08.01)

  • 教皇、カナダ先住民が受けた苦しみに赦し乞う訪問=総集報道
  • 教皇、カナダからの帰国便機内で記者団と対話
  • 兵士の葬儀中、ウクライナ人司祭にロシア人司祭が「十字架」で殴りかかる
  • ヨルダン国王、イスラエル首相とパレスチナ国創設の見込みについて意見交換
  • 《メディア展望》


 

◎教皇、カナダ先住民が受けた苦しみに赦し乞う訪問=総集報道

 【CJC】バチカン・ニュース(日本語版)によると、教皇フランシスコは、カナダ到着翌日の7月25日、エドモントンから70キロ南方のマスクワシスを訪れ、今回訪問の主目的である先住民の人々との出会いを開始した。
 マスクワシスのエルミネスキン地区には、カナダの過去の同化政策下で先住民児童対象の寄宿学校の中でも最大のものの一つ、『エルミネスキン・レジデンシャル・スクール』があった。『真理と和解のための国立センター』によれば、ここでは多くの子どもたちが、過密状態と病気を原因に亡くなったという。
 エルミネスキン地区の先住民の墓地に車椅子で向かわれた教皇は、立ち並ぶ木の十字架の墓標の間で、沈黙のうちに祈りを捧げられた。
 そして、教皇は『聖母の七つの御悲しみ』教会で、各地の寄宿学校で亡くなった子どもたちの名が記された長い横断幕に接吻し、祈られた。
 教皇は途中、先住民、ファースト・ネイション、メティス、イヌイットの代表者らに迎えられつつ、寄宿学校の子どもたちを思い起こすためのテント形のモニュメントの前で車椅子を止め、ここでも頭を垂れて祈られた。
 次いで、教皇はベア・パーク・パウワウ・グラウンドで、カナダ全土から訪れた先住民の使節とお会いになった。会場には、サイモン総督とトルドー首相の姿も見られた。
 教皇は先住民の人々への言葉で、「今日、わたしは、古い記憶と共にいまだ開いた傷を持ったこの地にやって来ました。この『悔悛の巡礼』の最初の一歩として、今皆さんの間にいるのは、赦しを乞い、わたしの深い悲しみを伝えるためです」と話した。
 ここで教皇は、多くのキリスト教徒たちが様々な形で、先住民の人々を抑圧した権力者たちの植民地主義的なメンタリティーを支持したこと、中でもカトリック教会や修道会のメンバーが、無関心をも含めた態度をもって、当時の政府による文化の破壊と、寄宿学校制度を頂点とする強制的な同化政策に協力したことに対し、赦しを願った。
 たとえキリスト教的慈愛や子どもたちに対する模範的な献身が少なからずあったとしても、寄宿学校政策がもたらしたものは総合的に大変悲惨なものであり、キリスト教信仰から見て、それはイエス・キリストの福音とは相容れない破滅的な過ちだった、と教皇は話した。
 謝罪は終着点ではなく、出発点に過ぎない、と述べた教皇は、赦しを乞い、その被害を補おうとしても、それが決して十分ではないことは理解している、と語った。
 その一方で、未来を見つめる時、このような状況を繰り返さないだけでなく、完全になくすことを可能とする文化を築くために、尽力することは決して無駄ではない、とも話された。
 こうした中、教皇は過去の真実の解明と、寄宿学校の元生徒らが受けたトラウマを克服するためのプロセスの必要を示した。
 また、カナダのキリスト教信者と社会が、先住民の人々のアイデンティティーと経験を受け入れ尊重することにおいて成長し、皆で共に歩みながら、それを知り認める道を見出して欲しいと望まれた。
 そして、この数日間の巡礼ですべての場所を訪れることはできないが、この悔悛の巡礼で述べた言葉は、先住民のすべての人・共同体に向けられ、心から彼らを抱擁するものである、と教皇は話された。
 「いやしと和解のためには、わたしたちの力だけでは足りません。神の恵みが必要です」と述べた教皇は、「神こそがわたしたちの手を取り、わたしたちを共に歩ませてくださいます」と強調された。
          ◇
 教皇フランシスコは、訪問2日目の7月25日午後、エドモントンの教会で先住民や小教区の信者らとの集いを持たれた。
 会場となった『ファーストピープルズの聖心教会』は、1913年に建設された、エドモントン市内で最も古い教会の一つ。この小教区は、1991年、カナダのファースト・ネイション、メティス、イヌイットのための教会となった。
 教皇は人々のへの挨拶で、この教会にファースト・ネイション、メティス、イヌイットの人々と共に、先住民ではない地域の人々や、出身も様々な移民たちが共に集う様子を喜ばれ、開かれた受容性ある皆の家、これこそ神の家族、教会のあるべき姿である、と話された。
 使徒聖パウロは、イエスは二つのものを一つのもの、一つの民に造りあげると言うが、それは何を通してだろうか、それは「十字架を通して」である。イエスはわたしたちを十字架上で、いのちの木の上で和解させられる、と説かれた。
 また、聖パウロはイエスは十字架を通してわたしたちを一つの体として和解させると説明するが、その体とはなんであろうか、それは教会のことである、と指摘。
 教会は和解のための生きた体であるべきにも関わらず、まさにその教会が関係した場所で人々が消しがたい苦しみを体験したことに、怒りと恥を覚える、と教皇は表明した。
 人が神に近づくことを可能にするより、人に神を押し付ける方が簡単に思われるが、それは決してうまくいかない、と教皇は述べ、なぜなら、神は強制や抑圧はせず、常に人を愛し、解放し、自由にされるからである、と話した。
 教皇は、神ご自身が望まれるようにイエスが自由と慈愛のうちに告げられ、わたしたちが出会う苦しむ人々を、解決すべき件ではなく、愛するべき兄弟姉妹として認めることができるように、そして、キリストの体である教会が、和解のための生きた体となるようにと祈られた。
 この後、教皇は参加者らと交流され、北米の先住民で初めて列聖された聖カテリ・テカクウィタ(1656~1680)の像を祝別された。
          ◇
 教皇フランシスコは7月26日午前、エドモントンで、ミサを行った。会場となった市内のコモンウェルス・スタジアムには、およそ5万人の信者が詰めかけた。
 教会の暦は、この日、おとめマリアの両親、イエスの祖父母、聖ヨアキムと聖アンナを祝った。
 教皇は説教で、ヨアキムとアンナの家で、幼きイエスは祖父母と触れ合い、その寄り添いや優しさ、賢明さを体験したと語り、それぞれが祖父母たちとの絆を改めて見直すよう招かれた。
 「わたしたちは守るべき歴史の子である。わたしたちは孤立した存在ではない。誰一人、世界と切り離されて生まれる人はいない。わたしたちが生まれた時に受け取ったルーツと愛、わたしたちが育った家庭は、ただ一つしかない歴史の一部である。それはわたしたちが受けた恵み、守るようにと召された恵みである」と教皇は話した。
 また、教皇は、「わたしたちがここにいるのは、両親のおかげであると同時に、祖父母のおかげでもある。祖父母たちはわたしたちが生まれたことの喜びを伝えてくれ、多くの場合、何も見返りを求めず、わたしたちを心から愛してくれる」、「祖父母から教わった善と優しさと知恵は、人類の堅固なルーツである。祖父母の家でわたしたちは福音の香りを吸い込み、家庭的な信仰の力を味わった」と語った。
 さらに、教皇は、わたしたちは「歴史を守る子ら」となるだけでなく、「歴史の作り手」となっていく必要をも指摘した。
 祖父母や先人たちが伝えた情熱や希望を生き生きと保ち、正義と兄弟愛、連帯に満ちた世界への彼らの夢を受け継ぎ、先人たちの根に支えられて、花を咲かせ、実をつけ、歴史の中に新しい種を蒔くのは、今やわたしたちの役割である、と教皇は信者たちに呼びかけた。
     ◇
 教皇は、エドモントンから西方72キロにあるラック・サンタンヌへの巡礼に参加、同地でみことばの祭儀を行われた。
 ラック・サンタンヌは、アルバータ州の中北部の湖で、19世紀よりカトリック信者たちの巡礼先となった。
 水深の浅いこの湖は、代々の先住民たちからいやしの場所として知られ、「神の湖」「霊の湖」と呼ばれていた。1842年、アルバータに初めて定住した宣教師、ジャン・バティスト・ティボー神父が、この湖をラック・サンタンヌ(「聖アンナ湖)の意)と名付けた。
 1844年、最初の教会が築かれ、1852年、オブレート会の宣教師たちが活動を開始。1889年7月、同会によって最初の巡礼が企画され、400人あまりが参加した。
 以来、毎年7月26日、おとめマリアの母でイエスの祖母、聖アンナの祝日の週に巡礼が行われるようになり、やがて北米で最も重要な巡礼の一つとなった。
 青空が広がったこの日、湖にほど近い小教区(教会)から、教皇は数人の先住民たちに伴われ、湖畔に車椅子で向かった。湖への道が続く緑地公園には、多くの巡礼者たちが集い、教皇を歓迎した。
 水際に到着した教皇は、しばし祈りの時を持った後、大きなガラスの鉢に入った湖の水を祝別。そして、巡礼者たちに向け灌水棒で散水を行われた。
 続いて、教皇は緑地帯に設けられた集会所で、巡礼者らと共にみことばの祭儀を行われた。
 この中で、教皇は、すべての人が、魂とからだの医者であるイエスのいやしを必要としている、と述べた。
 そして、教皇は、特に「先住民の兄弟姉妹が受けた暴力のトラウマ」と、「植民地主義の恐ろしい結果」、「多くの家族の消し難い苦しみ」からのいやしを神に祈り求めた。
 これらの傷のいやしには、わたしたちの具体的な努力が必要だが、それだけでは足りない、と話す教皇は、主の助けを願い、イエスの母聖マリアと、祖母聖アンナの取次ぎを熱心に祈られた。
     ◇
 7月27日午前、空路エドモントンを発った教皇は、同日午後ケベック・シティ国際空港に到着、地元の代表らに迎えられた。
 同市の「要塞シタデル」にある総督公邸にメアリー・サイモン総督を表敬訪問した教皇は、公邸の中庭で行われた歓迎式に臨んだ。
 この後、教皇は公邸内でサイモン総督と会談。続いて、ジャスティン・トルドー首相とも会談を行った。
 この表敬訪問で、公邸の芳名帳に記帳された教皇は、「海から海へと続くこの地、カナダの巡礼者として、この偉大な国が、未来の構築において常に模範となり、特に先住民たちのルーツを守り、価値づけながら、すべての人々の受容的な家となるよう神に祈ります」と記された。
 次いで、教皇は、カナダの各界要人、先住民代表、駐在外交団との会見を行われた。
     ◇
 教皇は7月28日午前、ケベック・シティーから30キロの近郊、サンタンヌ・ド・ボープレの巡礼聖堂でミサを行われた。
 ケベック州の保護者、聖アンナの名を冠したサンタンヌ・ド・ボープレは、北米で最も古い巡礼地として知られ、カナダの国定聖地となっている。1658年に、最初の教会が、人々の信心を集めていた木製の聖アンナ像を安置するために建設された。
 その際、脊椎側弯症のために松葉杖の補助なしでは歩行できなかった一人の信者がこの建設に加わったところ、礎石を据えた段階でいやされ、杖なしで歩けるようになった。その後、何度か再建され、1923年に建設された今日見る大聖堂に至っている。
 ミサの説教で教皇は、ルカ福音書の「エマオの旅人」のエピソードを観想。エマオへの道のりで、イエスに出会った弟子たちの歩みを、一人ひとりの歩み、また教会の歩みと重ねられた。
 教皇は、この福音のエピソードは、悪の暴力や恥や罪の意識にぼうぜんとし、わたしたちの人生が罪や失敗によって干上がり、何もかも失ったと思われる時こそ、まさにその落胆と苦しみの中に、主が近づき、共に歩いてくださることを教えている、と語った。
 一方で、教皇は、失望の中で襲われる「逃げたいという誘惑」に打ち勝つことの大切さをも強調した。
 エマオに向かう弟子たちにも、エルサレムで見たイエスの受難から遠く離れ、「静かな場所」を求めたいという気持ちがあっただろう、と述べつつ、人生の失敗において、立ち向かわずに逃げ出すことは最悪であり、その敵の誘惑は、わたしたちの霊的歩みや、教会の歩みを脅かすもの、と注意を促した。
 教皇は「わたしたちの道、力、慰めである主イエス」に、エマオの弟子たちのように「一緒にお泊りください」と願い、「人生の苦しみの闇が朝の輝きに変わり」、「新しいいのちの希望が開けるよう」、「共に歩いてください」と主に祈ろう、と呼びかけた。
 教皇は、28日午後、ケベック大司教区の司教座聖堂、ノートルダム・ド・ケベック大聖堂で、カナダのカトリック教会関係者たちと夕べの祈りを行った。
 同大聖堂には、カナダの司教、司祭、助祭、修道者、神学生、そして司牧活動にたずさわる信者たちが集まった。
 説教で、「わたしたちはキリストのしるしである」と述べた教皇は、「使徒ペトロは、羊たちの世話をし、導き、あなたがたが自分たちのことで頭がいっぱいである間に、羊たちが道に迷わないように留意しなさい、とわたしたちに呼びかけている」と話した。
 教皇は司牧者らに、信者たちの世話に献身と優しさをもって取り組むよう願うと同時に、それを義務や役所の仕事のように行うのではなく、牧者の心をもって情熱的に行うようにと励ました。
 「信仰の喜びを今日の人々に与えるために、福音を告げなくてはならない」と述べた教皇は、そのために努力すべき一つの挑戦を示された。
 教皇は、その一つとして、霊的砂漠である今日に、司牧的創造性をもって「イエスを知らせる」道を探求するよう望まれた。
 また、福音を告げるには、「信頼性ある証し」が必要、と指摘。教皇は、未成年虐待をはじめ、カナダの教会が犯した悪を見つめ、同国の教会関係者と共にすべての被害者に赦しを乞われた。
 カナダの教会の先住民の人々とのいやしと和解の歩みを思いながら、教皇は、キリスト教共同体が二度と文化的な優越思想に巻き込まれることがないように、と説かれた。
 最後に、教皇は教会内の「兄弟愛」の大切さに触れ、兄弟愛を育ててこそ、キリスト教共同体は、兄弟姉妹として互いにいたわり合い、一緒に共通善のために働く場として、人間性の学び舎となることができるだろう、と話された。
     ◇
 教皇のカナダ訪問は7月29日、実質的な最終日を迎えた。教皇は、カナダ訪問の最後の目的地イカルイトに向かう前、ケベック・シティの大司教館に様々な地方から集った先住民の代表たちに「友人・兄弟・巡礼者として」挨拶した。
 この席で、教皇は、「わたしはカナダに友人としてやって来きました。それは皆さんと出会い、耳を傾け、この国の先住民の人々の生き方を学び、尊重するためです。わたしは兄弟としてやって来ました。それは地元のカトリック教会のメンバーたちがもたらした、良い実と悪い実を見出すためです。わたしは悔悛の精神のうちにやって来ました。それは少なからぬカトリック信者が抑圧的で不当な政策に協力したことで、皆さんに与えた苦しみに対して、心に抱える悲しみを伝えるためです」と話した。
 さらに、教皇は、「わたしは巡礼者としてやって来ました。それは、体力的な限界はあっても、皆さんと共に、皆さんのために、さらなる一歩を進めるためです。そして、真理を追求し、いやしと和解のプロセスを推進するため、兄弟愛と調和のもとに共存を望む、先住民とそうでない人々の未来の世代のために希望の種をまき続けるためです」と述べた。
 教皇は、「まもなくこの中身の濃い巡礼を終えるにあたり、ある意味で自分自身も皆さんの家族の一員のように感じ、それを光栄に思っています」と語り、特に「世代も様々な多くの先住民の家族と共に聖アンナの祝日をすごしたことは、わたしの心に忘れがたい思い出として残るでしょう」と振り返った。
     ◇
 教皇は7月29日早朝、ケベックでカナダにおけるイエズス会会員たちと会見した。
 「チビルタ・カットリカ」誌の編集長、イエズス会員アントニオ・スパダーロ神父によれば、ケベック大司教区の大司教館で行われたこの出会いには、教皇庁総合人間開発庁長官マイケル・チェルニー枢機卿を含め、15人のイエズス会会員が参加した。
 約1時間にわたる非常に自由で率直な対話を通し、教皇はカトリック教会の一般的テーマ、また今回の訪問の目的など、カナダの教会をめぐる様々なテーマについて、話されたという。
     ◇
 教皇は7月29日、最後の訪問先、ヌナブト準州のイカルイトに向かわれた。ヌナブトはカナダ最北部にあるイヌイットの自治準州で、イカルイトを準州都とする。
 ケベックから空路でイカルイトに到着した教皇は、教会関係者や地域の代表者らに迎えられた。
 教皇は市内の小学校で、カナダのかつての先住民同化政策下で運営されていたカトリック系の寄宿学校の元生徒たちと会われた。
 この出会いは私的な性格を持つものとして非公開で1時間近くにわたり行われた。
 続いて、教皇は小学校の校庭で若者や高齢者たちとの集いを持たれた。この集いでは民族衣装をまとった家族が、伝統の歌と舞踊を紹介した。
 教皇はこの席で、寄宿学校の元生徒たちが勇気をもって、想像もつかないほどの大きな苦しみを分かち合ってくれたことに、深い感謝を述べられた。
 そして、「鳥たちがさえずる春に、突然冬が降りてきた」という、寄宿学校に調和ある家族生活を引き裂かれた先住民のお年寄りの言葉を胸に、教皇は少なからぬカトリック信者が同化政策に関わり先住民に与えた苦しみに対し、改めて赦しを乞われた。
 教皇はいやしと和解の歩みを共に歩む意志を表明しつつ、創造主なる神の助けをもって、起きたことに対する真実を明らかにし、この過去の闇を超えることができるようにと祈った。
 こうした中、イヌイットの人々が長い冬の夜に灯す石ランプを、夜の闇に負けない人生の素晴らしいシンボルとして示された教皇は、誰も決して消すことのできないいのちの光をこれからも証し続けてほしいと願われた。
 カナダでの公式行事を終了された教皇は、送別式の行われるイカルイト空港へと向かった。
     ◇
 教皇は、カナダ司牧訪問を終え、7月29日午後、最北部ヌナブト準州のイカルイト空港での送別式を経て、ローマへの帰路についた。
 同空港で教皇は、各地での公式行事に付き添ったメアリー・サイモン総督をはじめ、地元の人々の見送りを受けられた。
 そして、特別機でカナダを後にされた教皇は7月30日午前8時過ぎ、ローマに到着した。
 ローマ到着後、教皇は市内の聖マリア大聖堂に立ち寄り、聖母子画「サルス・ポプリ・ロマーニ」(「ローマ人の救い」の意味)の礼拝堂で、カナダ訪問の終了にあたり、感謝の祈りを捧げた。


◎教皇、カナダからの帰国便機内で記者団と対話

 【CJC】教皇フランシスコは、カナダ訪問から帰国の際、特別機内で、随行の記者団と対話された。バチカン・ニュース(日本語版)が報じた。
 対話の中で、一人のカナダ人記者は、カナダの「真実と和解のための国立センター」が先住民の子どものための寄宿学校制度を「文化的ジェノサイド(文化的集団殺戮)」と定義し、後にこれを「ジェノサイド」と変更したが、教皇の赦しを願う言葉を聞いた人々は、教皇がこの言葉を使わなかったことに納得できないと言っている、と述べ、教会のメンバーがジェノサイドに関係したと言うことができるか、と尋ねた。
 これに対し教皇は、「ジェノサイドという言葉は用いなかったが、それを言い表し、それに対し赦しを願った」と答えた。「子どもたちを引き離し、文化や考え方、伝統や民族、すなわち文化全体を変えようとする、これは専門的な言葉でジェノサイドと言える。この言葉は頭に浮かばなかったために使わなかったが、わたしはそれを言い表した。確かに、これはジェノサイドである」と話した。
 また、メキシコの記者から、教皇にとってこのカナダ訪問は一つの健康上のテストでもあったが、1週間の訪問を終え、将来もこのような形で旅行し続けたいと思うか、という問いかけがあった。
 教皇は、「以前と同じようなリズムで訪問旅行に行くことはできないだろう。わたしの年齢でこうした制限を持っているならば、教会に奉仕するためには、少し控えめにしなくてはならないと思う」と述べる一方、「訪問を続け、人々に寄り添うための方法を探したい。近く寄り添うこと、それは奉仕の一つのあり方だからだ」とも話した。
 カザキスタンや、ウクライナ訪問の件はどうなったか、との質問に、教皇は、「わたしはウクライナに行きたいと言った。カザキスタンは、今のところ、行けたらよいと思っている。コンゴと同様、南スーダンにもいかなくてはならない。カンタベリー大主教と、スコットランド国教会の指導者と共に行く訪問だからだ。わたしは大いに意志はあるのだが、足の具合を見なくてはならない」と語った。
 さらに、教皇は、このところの健康問題などで、もう引退の時かと思ったことはあるか、とある記者から問われた。
 教皇は「ドアは開いている。それは一つの普通の選択肢だが、今日までこの扉を叩いたことはない。その部屋に入るとは言っていないし、その可能性を考える気持ちはない。しかし、将来それを考えない、という意味ではない。ただ、今ははっきり言って考えていない。この訪問もテストのような面があった。確かにこの状態で旅行することはできない。訪問のスタイルを変えるなり、減らす必要がある。旅行の代償をこれから払い、(体調を)再び整えなくてはならない。しかし、それを言うのは神だ。扉は開いている、それは本当だ」と述べた。


◎兵士の葬儀中、ウクライナ人司祭にロシア人司祭が「十字架」で殴りかかる

 【CJC】米メディア「ニューズウイーク」(日本語版)によると、ウクライナ中部の都市ビンニツァで兵士オレクサンドル・ジニビー氏の葬儀が7月22日行われた。葬儀を撮影した動画には、ウクライナのアナトリー・ダドコ司祭が告別の辞を述べていたところに、ロシアのミハイロ・バシリュク司祭(地元活動家のセルヒー・ティムコフ氏による)が駆け寄ってくる様子が捉えられていた。
 ウクライナ正教会のダドコ司祭は、ロシアのプーチン大統領がウクライナに軍事侵攻を行った理由の一つは、ウクライナにおけるロシア正教会の信者たちを守ることだったと発言。さらにロシア正教会はこの国への侵略者を支援しているとし、これを聞いたバシリュク司祭が葬儀に乱入してきたという。
 動画には、バシリュク司祭がダドコ司祭の首にかかっていた十字架を取り上げようとした後、自分の手に持っていた十字架で彼を殴りつける様子が映っている。現場にいた複数の軍人が止めに入ってバシリュク司祭を引き離し、葬儀は続けられた。地元メディアによれば、ジニビー兵士は、ウクライナ南部のミコライウに近いビンニツァで死亡した。
 ティムコフ氏は、今回の騒動の詳細をフェイスブックに投稿し、殴られたダドコ司祭は軽傷を負ったと明らかにした。
 「今回の一件は、傲慢さという点であらゆる一線を越えていると思う」と彼は書き込み、さらに「法執行当局には争いが起きた場合に、どのような集まりであっても秩序が守られるよう、一層の取り組みをお願いしたい」と望んでいる。
 ウクライナのミハイロ・ポドリャク大統領補佐官は6月、BBCに、1日あたり100人から200人のウクライナ兵がロシアとの戦闘で命を落としていると述べていた。その1週間前にはウォロディミル・ゼレンスキー大統領が、1日あたりの兵士の犠牲者は60人から100人近くだと述べていた。
 一方、ロシア軍の犠牲について米ホワイトハウスは7月27日、ウクライナでの戦闘で死亡または負傷したロシア兵の数は7万5000人超との推定を示した。ロシア軍が2月の侵攻開始時にウクライナに派遣した兵士の、約半分にのぼる人数だ。侵攻開始に向けて、ロシアはウクライナとの国境地帯に15万人の兵士を集結させたと報じられていた。


◎ヨルダン国王、イスラエル首相とパレスチナ国創設の見込みについて意見交換

 【CJC】ヨルダンのアブドゥラー2世国王がイスラエルのヤイール・ラピード首相と7月27日、アンマンで会談し、地域経済プロジェクトへのパレスチナの参加について意見交換した。現地英字紙アラブ・ニュース(日本語版)によって紹介する。
 ヨルダン国営報道機関ペトラは、アブドゥラー2世国王がラピード首相に対し、アラブ人とイスラエル人の永続的平和のためには、パレスチナ国家の創設が不可欠であると伝えたと報じた。
 さらにアブドゥラー2世国王はラピード首相に対し、今月同地域を訪問した米国のジョー・バイデン大統領との話し合いを足掛かりにしていくよう伝えた。
 アブドゥラー2世国王は、エルサレムのイスラム教とキリスト教両者の聖地に敬意を払い、今後平和を維持していくことの必要性を強調した。
 両首脳は、同地域が直面する輸送、貿易、水、エネルギーに関する課題について話し合い、解決策の提示を行った。


《メディア展望》
 
 =カトリック新聞(7月31日)=https://www.cwjpn.com/cwjpn/
▼バチカン、正式に加盟=国連=気候変動枠組み条約
▼バチカン使節が警告=香港での宣教がより困難に
▼教皇、平和を呼びかける=スリランカとウクライナ
▼教皇、女性3人を任命=司教省の正式メンバーに
▼フィリピン司教団=〝貧しい人の教会〟にはまだ遠い現状認める
▼カトリックと「統一教会」=「被害相談 減っていない」=脱会支援者に聞く
 
 =KiriShin(8月1日)=https://www.kirishin.com
▼〝自民党はLGBT差別否定を〟=署名5万筆で当事者ら会見
▼楊尚眞氏らへの抗議・要望=キリスト教界から相次ぐ
▼日基教団カルト問題連絡会が統一協会被害・関係者に呼び掛け
▼安倍元首相の「国葬」=閣議決定に抗議の声明
▼米・パレスチナ=首脳会談で「2国家解決」協議
 
 =クリスチャン新聞(7月31日)=https://クリスチャン新聞.com
▼ウクライナ避難民を教会が支援=安全、優しいから日本へ=教会が受け入れ支援に手を挙げて
▼多元時代の「生」を対話=現代美術の潮流とキリスト教神学が響き合う=立教・西原廉太氏ら「あいち2022」代表者とシンポ
▼「性の混乱・逸脱に危機感」=有志ら「性の聖書的理解ネットワーク」設立
▼原爆での被爆少年を記録した映画「長崎の郵便配達」で父の足跡描く=イザベル・タウンゼンドさんに聞く

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