小原克博 On-Line

新聞・雑誌記事等

新聞・雑誌記事等

「パソコンで福音!<インターネット編>」、「キリスト新聞」1997年1-2月

①インターネットで何ができる?(1997年1月1日)
 インターネットで一体、何ができるのでしょうか。また、それはキリスト教宣教とどのように関係するのでしょうか。これからしばらく、インターネットによる情報収集と情報発信について、特にキリスト教宣教の視点を折り交ぜながら、一緒に考えていきたいと思います。
 インターネットにある情報を閲覧するためのソフトをWWW(World Wide Web)ブラウザーと言いますが、その代表的なものとして、Netscape社のNavigatorとMicrosoft社のInternet Exploreがあります。いずれも操作は簡単で、まったくの初心者の方でも、10分ほど触っていれば、基本的な操作はほとんど理解できます。
 その意味では、インターネットは実に簡単です。しかし、問題はブラウザーの操作ではなく、ブラウザーによって開かれ得る膨大な情報の扱い方です。それら膨大な情報を規制するための国境は事実上存在していません。インターネットを通じて、世界中の情報にアクセスすることができます。最近では、アジアの国々からの情報発信も活発になってきました。幸いなことに、ブラウザーにプラグインという付加機能を追加したり、多言語対応のブラウザーを使うことによって、中国語や韓国語、ヘブライ語やアラビア語などを直接表示することができます。例えば、Tangoというブラウザーは90か国語以上を表示可能です(
http://www.alis.com/)。
 インターネットは、米国の技術に先導されて発展してきた経緯があるため、確かに英語が幅を利かせています。しかし、それ以外の言語によっても、固有の文化を世界に向けて発信できる点に、インターネットの魅力があると言えます。インターネットは人類を同質化するための道具ではありません。むしろ、すでにある多様性を徹底して生かす可能性を示唆しています。少なくともキリスト教は、見過ごされがちな周辺的情報を拾い上げつつ、それを信仰的表現として統合していく必要があるでしょう。
 では、どのようにすれば必要な情報を収集することができるのでしょうか。インターネットに蓄積された情報は、人間の手作業だけでは到底収集できないほどに巨大化しています。そこで、次回は情報探しの名人「サーチ・エンジン」の登場です。


②サーチエンジンで情報探索(1997年1月18日)
 インターネット上に散在する膨大な情報の中から、必要な情報を絞り込んでいくために不可欠な検索システムが、サーチエンジンです。サーチエンジンの詳細に触れる前に、それがどれほどの威力を持っているか、実例を示したいと思います。
 先日、Hartensteinというドイツ人の方から電子メールをいただきました。わたしのホームページ上の論文の中にKarl Hartensteinという名前を見つけ、その人物について知りたいというのです。わたしは、早速、この人物は「神の宣教」(Missio Dei)という概念を導入した人だ、という趣旨のメールを送りましたが、返答を書きながら、サーチエンジンの捜査網の広さに驚かされました。わたしの論文は日本語で書かれており、Karl Hartensteinは文中に一度出てくるだけです。日本語のまったくわからないドイツ人が、その単語の所在が突きとめたのですから、サーチエンジンを使ったに違いありません。

 このようにサーチエンジンを使えば、情報収集の網の目は一気にひろがります。また、インターネット上に置かれた情報は世界中からサーチの対象とされ得るのであり、先の例からもわかるように、これまでなら考えられなかったような新しい出会いを生み出す可能性を秘めています。
 ところで、サーチエンジンと呼ばれるホームページは、しばしば、検索語でサーチする部分と、ジャンルごとに情報を分類したインデックスから成っています(=写真)。探したい情報が漠然としている場合には、インデックスをたどっていく方が便利であり、逆に、テーマがはっきりしている場合には、検索語によるサーチは網羅的であるという利点を持っています。また、検索語によるサーチにはタイトル検索、キーワード検索、全文検索などの種類があります。
 国内外にはすでに多数のサーチエンジンが存在していますが、どれが自分の要求を満たしてくれるのかを知るためには、実際に使用してみるのが一番です。どのようなサーチエンジンがあるのかは、CSJインデックスのリンクdeリンク(
http://www.egg.or.jp/csj/link/index.html)などを参考にすればよいでしょう。次回は具体的な情報収集術を紹介します。

③インターネット流 情報収集術(1997年1月25日)
 インターネットで情報収集するためにサーチエンジンが不可欠であることは、前回述べました。サーチエンジンはそれぞれ独自の検索方法を持っていますが、基本は同じです。まず検索語を一つ入力し、検索してみてください。検索結果の件数が多すぎれば、さらに検索語を追加して絞り込むことができます。また、一般のデータベースと同様に、and検索やor検索をすることもできます。サーチエンジンは、主として、登録されたホームページのタイトルやキーワードを対象に検索を行います。中には、ロボットと呼ばれるプログラムで事前にホームページの本文データを収集し、全文検索を行うサーチエンジンもあります。国内では、Open Text Index(http://www.jp.opentext.com/)やTITAN(http://isserv.tas.ntt.jp/chisho/titan.html)が有名です。
 また、WebdeW(
http://webdew.rnet.or.jp/)のように、登録会員には設定しておいたキーワードに合致する新着情報を定期的にメールしてくれるものもあります。会員登録は無料の場合が多く、最新のホームページ情報を逃したくない人には最適です。
 一般のサーチエンジンは、ほとんどすべてのジャンルをカバーしていますから、キリスト教関係の情報ももちろんはそこに含まれています。しかし、特にキリスト教関係の情報に関心を寄せる場合、さらに効率的な情報収集の方法があるでしょうか。一つには、GOSHEN(http://www.goshen.net/)のようなキリスト教に特化されたサーチエンジンを使うことが考えられます。また、時としてサーチエンジン以上に的確な情報を伝えてくれるのは、個人が作成したリンク情報です。一般のサーチエンジンの情報は網羅的である反面、玉石混交という感を免れ得ません。それに対し、見識のある方が時間をかけて収集し、適切なコメントを付加したリンク情報は、しばしば濃密な味わいを与えてくれます。国内におけるその一例として、野本真也氏(同志社大学神学部教授)による「神学のサイトとソフト」(http://theology.doshisha.ac.jp/users/snomoto/world.htm)をあげることができるでしょう。
 情報収集を繰り返す中で、定期的に見に行きたくなるような、お気に入りのホームページと出会えたなら、インターネット・ライフはいっそう充実したものとなるはずです。

④インターネットによる情報発信(1997年2月1日)
 インターネットでは、専門的な知識からマニアックな趣味の世界に至るまで、実に気軽に情報発信がなされています。この情報発信の気軽さは、ホームページを作成することの気軽さに由来していると言えるでしょう。その作成方法については次回述べることにして、今回はホームページを作成し、公開すれば、教会はどのような効果を期待することができるかについて考えてみます。
 まず、教会は不特定多数の人に対し、きわめて廉価に、教会の所在地や活動を紹介することができます。ホームページでは、24時間情報を提供できますし、情報を更新することも実に容易です。また、文字テキストだけでなく、画像や音声を使うこともできるので、工夫次第では、印刷メディアでは十分に表現できなかった教会の魅力を引き出すこともできます。
 つまり、ホームページによる情報発信は教会の宣教を強力にバックアップする可能性を秘めています。しかも、教会は古くからマルチメディアに親しんできましたから、両者の親和性は大です。会堂の中に配置された宗教画は、文字を読むことのできない人々に聖書の物語を視覚的に伝達し、教会音楽は聴覚を通じて人々を聖なる世界へと導き、また、祭儀・礼典は触覚・味覚・臭覚を動員して、神の臨在の近さを感じさせたのでした。これらの知恵に現代的な光を当て、その豊かさにあらためて触れる機会をインターネットは示唆することでしょう。もちろん、プロテスタント教会が言葉への集中によってはっきりさせようとしたように、メディアそのものが神聖視され、絶対化される危険性に対しても、わたしたちは注意を払い続けなければなりません。

 ホームページは、今まで知らなかった教派や教会の現状を垣間見せてくれます。自分が住んでいる地域にも、キリストに連なる兄弟姉妹が住んでいるかもしれません。確かに、インターネットで広大な「世界」を知ることもできますが、それがさらに成熟してくれば、面白味を増してくるのはローカルな地域情報です。様々な教会や信徒の方々がホームページを介して情報の発信と受信を活発に行うようになれば、ある一定の地域内で、これまで出会うことのなかった兄弟姉妹たちが新しい交わりを形成することも考えられます。このような期待をインターネットは駆り立ててくれるのです。

⑤ホームページの作り方(1997年2月8日)
 前回、ホームページが教会の宣教と新しい交わりの形成を支援する可能性について述べました。ホームページの開設は決して難しくありません。少々の志とワープロを操作する程度の技術があれば、誰にでも可能です。
 ホームページは、HTML(Hyper Text Markup Language)という言語で記述しなければなりません(=写真)。しかし、今では便利なホームページ作成用のソフトが多数ありますので、作成者はHTMLを意識する必要はほとんどありません。例えば、最近のワープロ・ソフトには、ワープロ文書をHTML形式のファイルに変換する機能がついています。つまり、ホームページの内容を馴染みのワープロで入力するだけでよいのです。また、Netscape Navigator Goldのようにホームページ作成機能を内蔵したWWWブラウザーもあります。わたしの経験から言うと、まったくの初心者であっても半時間ほど手ほどきを受ければ、自分のホームページが作れるようになるはずです。

 もちろん、見栄えのする画像などを挿入したければ、ある程度の熟練が必要ですが、まずはテキスト中心のページで始めてみましょう。文字のサイズ・カラー・配置を工夫するだけで、かなり雰囲気は変わるものです。また、著作権フリーのホームページ素材集を購入して、活用することもできます。
 ところで、自分のホームページをインターネット上で公開するためには、インターネット・プロバイダーと契約した上で、プロバイダーのコンピュータに自分のファイルを転送しておかなければなりません。この作業をFTP(File Transfer Protocol)と言います。初心者の方は、この操作にとまどうかもしれませんが、慣れれば、日常的にしているファイルのコピーとあまり変わらないことがわかるはずです。
 ホームページには、ぜひ自分のメールアドレスを入れておきましょう。そこから新しい出会いが始まります。それがインターネットの醍醐味であると言っても過言ではありません。どのような内容でスタートするかは難しいところですが、後からいくらでも修正は可能ですから、気楽に始めてみましょう。十分に納得してから始めるのではなく、50パーセント程度の満足度で、とりあえず見切り発車することがホームページ作成のコツです。


⑥インターネットの神学的意味(1997年2月15日)
 インターネットをはじめとする電子メディアは従来の各種メディアを統合する「メタ・メディア」としての地位を築きつつあります。しかし、インターネットがキリスト教宣教にとって有効な道具となるにせよ、それがメディアの一つであることに違いありません。つまり、特定のメディアを絶対化し、聖書が戒めてきた偶像崇拝に陥ることのないように、インターネットが持つ神学的意味を考えておくことは大切です。
 インターネットなどの電子メディアは、情報化社会の進展に連動して、ヴァーチャル(仮想的)な空間を際限なく生み出していきます。ヴァーチャルという概念をここで厳密に定義することは困難ですが、例えば、電車の中で携帯電話を使って誰かが突然話し始める場面を想像してみてください。そこでは突如として、ビジネスや恋愛などの空間が「ヴァーチャル」に立ち現れている、と言えます。

 このように、わたしたちは様々な電子メディアの力を借りて、身体を拘束するもの(物理的距離など)からヴァーチャルな形で逃れ出ようとしています。それは、一方で、従来の束縛を越えた新しい関係性を生み出すという肯定的な側面を予期させます。しかし、他方、便利な道具のおかげで、すべてを意のままにできるという錯覚に陥りやすくなります。「試験(体育祭)を中止しなければ自殺する」というように、命が目的達成の担保として安易に利用されるのも、ヴァーチャル化の進む時代の負の側面を映し出しています。
 キリスト教の歴史の中では、リアルなものとヴァーチャルなものの関係を巡って様々な思索が積み重ねられてきました。「見える教会」と「見えない教会」の二重性や、パンとぶどう酒にキリストがどのように臨在するかを問うた聖餐論争などはその一例です。また、リアルとヴァーチャルの両世界を結びつける結節点として、教会は「身体」へのまなざしを忘れませんでした。身体感覚が希薄化する時代には、いつもグノーシス主義的誘惑が待ちかまえています。教会がかつて、それとどのように戦ってきたのかを聖書から学ぶことは、現代にも多くの示唆を与えてくれるはずです。

 現代的な課題に直面して、教会は、これらの信仰的思索の豊かさ・先取性を再発見し、場合によっては「新たに発音し直す」ことを求められています。福音が仲間内にしか通用しない「密室の言葉」とされるのではなく、その普遍的価値が文字どおりグローバルに試される、そのような時代にわたしたちは生きているのではないでしょうか。