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新聞・雑誌記事等

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「『宗教倫理学会』の意義と目的――生命・環境の危機に応え」、『キリスト新聞』2001年1月27日

 二〇〇〇年一二月九日、宗教倫理学会(Japan Association of Religion and Ethics)が設立された。この学会の設立準備を進めてきた者の一人として、設立に至る経緯や目的、また今日的な意義を以下に述べたいと思う。また合わせて、この学会がキリスト教界に対して、どのような問題提起をなし得るかについても考察したい。

仏教関係者との出会いから
 そもそもの発端は、わたしと仏教関係者との小さな出会いにあった。ある仏教関係の学会のシンポジウム(テーマ「宗教の歴史観」)にパネリストとして招かれる機会があり(竹中正夫・同志社大学名誉教授が仲介の労を果たしてくださった)、そこで仏教研究者たちと親しくなった。彼らは宗教学、仏教学、真宗学など、それぞれの専門分野を持ちながら、他の宗教、とりわけキリスト教に対する関心と造詣の深い方々であった。
 そのシンポジウム終了後も、「脳死・臓器移植問題」などのテーマのもと、わたしはたびたび講演の依頼を受けてきたが、会合の後、膝をつき合わせての歓談を重ねる内に、相互の間に信頼感が生じてきたのは言うまでもない。わたしは以前から宗教間の対話に関心を寄せてきたが、文献からは到底得ることのできない対話の成果と喜びを実感し始めたのも、この頃であった。互いに刺激的な交流を続けてこられた要因の一つは、双方が関心を持つ具体的課題を共有できた点にあったと言える。
 このようないきさつの中で、宗教の倫理的課題、宗教間の対話、科学と宗教の関係など、現代において問わなければならない諸問題が次第に意識化されてきた。そして、すでに共有されつつあったテーマを学会という活動の中で、さらに幅広く深めていくことの可能性を打診したところ、一同が積極的な賛意を示してくださり、宗教倫理学会設立を目指すことになったのである。

情報の閉鎖性克服の試みも
 この学会の「設立の趣旨」の要点を列挙することによって、その特徴を端的に示したい。
1)宗教に関連する倫理的課題を幅広く考察し、その成果を共有する。
2)異なる宗教的立場に立つ者同士が誠実に対話を積み重ねていく場を提供する。
3)諸宗教間の対話のみならず、自然科学の諸分野との学際的な対話を積極的に進める。
4)現代の社会状況の中で、両性の平等や、性のありかたを正面から見据えていく。
5)社会に潜在する倫理的関心事に注意を払い、本学会で得られた学問的成果を社会に還元する。
6)国際社会に対して適切な情報発信ができるよう必要な措置を講じていく。
 「設立の趣旨」の全文、また発起人の一覧などは宗教倫理学会ウェッブ・サイト(http://www.kohara.ac/jare)において閲覧可能である。また、一二月九日に開催された第一回学術大会の全プログラム(総会、基調講演、シンポジウム)はインターネット上で同時中継されたが(シンポジウムではオンラインでの質問も受け付けた)、それらは現在、ビデオ・オン・デマンドとして閲覧可能である。これらの試みは、新しい技術を使うことに目的があるのではなく、何より、旧来の学会や宗教界においてありがちであった情報の閉鎖性を克服し、広く一般市民との交流を図ること、また宗教のアカウンタビリティを形成することを目指している。
 時間的な制約から各界に網羅的な案内をすることはできなかったが、それでも仏教の諸宗派、キリスト教ではプロテスタント・カトリック・正教会からの入会者があり、またヒンズー教やイスラム教の専門家、神道系の宗教家、さらに生命科学や化学など自然科学の研究者も会員となっている。また、権威主義・男性中心主義を排していくために、若手研究者、学生、女性の参加を促す学会運営を心がけている。研究者ではない一般市民の方が多数「賛助会員」として加わっていることも、本学会の特徴と言えるだろう。

人類史的使命を担う意識を
 キリスト教の世界においても他宗教との対話は試みられてきた。しかし、欧米で形成されてきた「宗教間対話の神学」や「宗教的多元主義の神学」などは、もっぱらキリスト教を文化的なベースとしており、日本のような宗教多元的状況の中に少数者としてキリスト者が存在しているのとはまったく状況が異なっている。この点に、われわれが取り組むべき固有の課題がある。また、二〇世紀には国家と教会の関係が根本的に問われ、それに対応する社会的視座も蓄積されてきた。しかし、二一世紀には、とどまるところを知らない科学技術の進展は、国家という枠組みを越えて、人類(および被造物)の生命の行方に大きな影響を与えようとしている。二〇世紀には十分に実感できなかった別種の危機(生命倫理・環境倫理的課題等)が、われわれのすぐ足下にある。この流れをもはや誰も押し戻すことはできない。しかし、その前で諦めたり狼狽したりするのではなく、価値混迷の今こそ、むしろそれをチャレンジングな文明論的課題として受けとめ、われわれの信仰と全知力を用いて、新しい価値と新しい知恵の構築に向かうべきではなかろうか。そうした人類史的使命を一人ひとりの小さなキリスト者が担えることを、宗教倫理学会の活動を通じて明らかにしていきたいと思っている。