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「一神教は本当に問題か」(宗教と暴力1)、「補い合う多神教と一神教」(宗教と暴力2)、『読売新聞』(東京版)2004年11月29、30日、夕刊

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◎2004. 11. 29 [宗教と暴力](1)一神教は本当に問題か

     「一神教と多神教」。先月三十日、京都市の同志社大学で、こんなテーマの公開講演会(主催・同大一神教学際研究センター)が行われた。演台に立ったのは宗教学者の中沢新一氏と小原克博・同大教授(神学)。二〇〇一年の9・11テロ以来、勢いを増してきた「一神教批判」を検討しようとする狙いがあった。
     イスラム原理主義者によるテロ。イスラム教とユダヤ教の対立によるパレスチナ問題。ブッシュ米大統領によるイラク戦争の強行。現代の世界の主な戦乱・暴力は、すべて一神教を信じる人々が引き起こしているのではないか。他の神を排する一神教の考え方が、現代の暴力の要因ではないか。こうした意見の高まりが、背景にはある。
     講演で小原教授は、「一神教こそ元凶」とする言説が、実際に国内でいかに隆盛しているかを指摘した。
     〈「文明の対立」が語られている。背景にあるのはイスラム、ユダヤ、キリスト教など、神の絶対性を前提とする一神教の対立だ。(中略)いま世界に必要なのは、すべて森や山には神が宿るという原初的な多神教の思想である〉(朝日新聞・二〇〇三年元日社説)
     〈イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は、結局、一元論の宗教です。一元論の欠点というものを、世界は、この百五十年で、嫌というほどたたき込まれてきたはずです。だから、二十一世紀こそは、一元論の世界にはならないでほしいのです。(中略)バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです〉(養老孟司「バカの壁」)
     ほかにも、梅原猛氏や岸田秀氏、坂村健氏のユビキタス理論なども〈多神教的価値〉を強調している事実が明らかにされた。
     本当に一神教は問題なのか。小原教授は語る。「最近の日本での一神教批判は、倒錯したオリエンタリズムなのではないか」
     西洋社会が東洋に対し固定的なイメージを割り当てててしまう通弊は「オリエンタリズム」として批判される。しかし小原教授によれば東洋にも、西洋を固定的なイメージでとらえてしまうリバース・オリエンタリズムがある。「一神教」を西洋に配置し、それに対抗して自画像を描くために日本人が「多神教」を持ち出してくるという構造があるという。(植田滋記者)


◎2004. 11. 30[宗教と暴力](2)補い合う多神教と一神教
     〈一神教批判・多神教礼賛〉が高まる現状に、小原克博・同志社大教授(神学)が「倒錯したオリエンタリズム」を見いだすのには、一神教対多神教という構図で世界の暴力状況を説明することが、必ずしも実像をとらえていないという思いがあるためだ。
     小原教授は、戦前・戦中に海外で千六百以上の神社が建てられ、神社参拝をアジアの人々に強要した歴史を取り上げ、「海外では(寛容な多神教であるはずの)神社が抑圧のシンボルになった」と指摘した。
     これについては「国家神道の問題であって多神教の問題ではない」という反論が出されるかもしれない。しかし「多神教社会だから必ず宗教的寛容が達成されるというわけではない。それよりも穏健か急進か、一つの強固な価値か多様性の容認か、といった思考軸で考えるべきではないか」との小原教授の発言は、簡単に素通りするわけにはいかないだろう。
     中沢新一氏はどのような議論を展開したのか。「小さいころクリスチャンだったが、今では一神教は好敵手」と明かし、河合隼雄氏と『仏教が好き!』という共著もある中沢氏だが、「一神教・多神教というのは近代的な概念にすぎず、実際と対応していない。一神教と多神教の対立だけで物事を考えることは人間の知的能力を見誤ることになる」と語った。
     中沢氏によれば、人類は旧石器時代から、超越性・抽象性を目指す一神教へ向かう傾向と、世界を具象的に表現しようとする多神教的な傾向を共に持っており、両者は対立せずに補い合ってきた。
     例えば、多神教的なイメージの強いアメリカ先住民でさえ「たった一人の神がこの宇宙を創造した」とする一神教概念を持っていることや、ヒンドゥー教シヴァ派には「一」と「多」で成り立つ「一」という高度な一元論的概念があり、ヒンドゥー教も単純な多神教とはいえないという。
     「日本が世界に対して発信するのに『多神教・日本』では出発点にならない。もっと根源的なところから語らなければならないのではないか」と中沢氏は締めくくった。(植田滋記者)