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「教育の対価」(「現代のことば」)、『京都新聞』2010年2月10日、夕刊

 自らの生い立ちと教育の大切さを語った、ある講演が昨年ちょっとした話題になった。今も、それはインターネットを通じて、世界中から見られているようである。ミッシェル・オバマ米大統領夫人が英国の女子学校で語った講演だ。
 彼女は、シカゴ南部の労働者階級の家庭に育ち、両親ともに大学を出てはいない。アメリカ社会における経済格差は日本の比ではない。しかし、教育の力によって「今ある世界」と「あるべき世界」の間のギャップを埋めることができるのであり、また、彼女自身がその恩恵を受けたと語る。自らの出自・運命によって人生は規定されるのではなく、教育はそうした「運命」さえも変える力となることを、彼女は女子学生たちに語りかけていた。教育が生み出す「対価」とは何か、を考えさせる力強いメッセージであった。
 誰もが教育を受ける権利を有している。しかし現実には、アジアやアフリカの多くの地域では、学びの機会を奪われ、労働に従事させられている子どもたちがいる。他方、我が国では、大学まで進学することが当たり前のようになりつつあるが、皮肉にも、学問の本源的な楽しさや、それが生み出す社会的「対価」への意識を見いだしにくくなっている。高等教育が就職のための通過点としてのみ見られるようでは、教育は「退化」していると言われても仕方ない。
 今、私はアメリカの大学で研究活動を行うかたわら、いくつかの授業にも参加しているので、日米の教育の違いについて考えさせられる機会が多い。アメリカの大学の授業料は日本よりかなり高いが、それに見合った教育の質を保証しようとする努力や仕組みがあることも事実である。
 学生数に対する教員数の比率は高い。クラスはすべて定員が定められており、日本のように始まってみないと出席人数がわからないということはない。多くの講義は対話的な授業ができるようなサイズなので、授業の中では驚くほど頻繁に質疑応答が交わされる。学期末の学生による授業評価アンケートには「教師はあなたにチャレンジしてきたか」という項目があるが、日本の大学でこの項目を一律に入れることは難しいだろう。そもそも、教師が挑戦的に問いかけることは肯定的に評価されるどころか、それを迷惑に思う学生の方が多いかもしれない。
 日本の教育行政は、授業日数などの量的拡大が教育の質の向上につながると考えているようだが、果たしてそうだろうか。大量の科目をより長く履修したとしても、必要な文献を読む余裕もなく、対話を通じて既存の知識を揺さぶられたり、より正確な知識へと導かれたりするライブ体験を欠いていたとすれば、教育の「対価」を自らの血肉にするどころか、「運命」(楽かどうか)を先読みする狡猾さが向上するだけかもしれない。
 「今ある世界」を見据えながら、「あるべき世界」を大胆に思い描き、その二つの世界の間を行き来する学問的探求心は、学生だけの特権ではない。自分の人生は高々こんなものだという甘えた運命論者にならないためにも、人は学び続けなければならないのである。