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「「読む」喜び──電子書籍が開く世界」(「現代のことば」)、『京都新聞』2011年3月1日、夕刊

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 昨年6月に本欄で、アメリカで経験した電子書籍の衝撃について記した。それ以降の月日を振り返ってみると、いよいよ日本にも英語圏での衝撃の一部が伝わり、電子出版を取り巻く市場が賑わいを見せてきていることは明らかだ。
 どのような媒体であれ、「読む」という行為が活性化されることを私は望ましいと考えている。電子化によって、今まで手に取ることのなかった本が視野に入ってくる仕組みが作られつつある。いくつか例をあげてみよう。
 私が指導している大学院生には年配の方も多く、英語文献を読むのに苦労している。その苦労は語学力の不十分さによるだけでなく、何より、文字が小さすぎて目がすぐに疲れ、長時間読むことができないことによる。そうした方々には電子書籍を薦めている。自由に文字サイズを調整することができるからだ。日本語、英語にかかわらず、目に優しい読書環境が整いつつあり、私もその恩恵を受けている。
 電子書籍を取り巻く技術革新が、デジタル・ネイティブと呼ばれる若者たちの嗜好に訴える新奇性だけを売りにし、そこから高齢者を排除するようであれば、「読む」行為に新種の差別をもたらすだけになってしまう。しかし、どうやらそうではなく、高齢者に対しても「読む」喜びを再度もたらし、世代を超えた異なる楽しみ方を提供できる点で、電子出版のマーケットは大きな可能性を秘めていると言えるだろう。
 この分野の牽引役となったiPadが発売されたとき、世界中から視聴された動画があった。それは、視力が弱くなって好きな読書ができなくなって久しい女性が、孫からiPadをプレゼントされ、再度、読書の喜びを味わうことができるようになった、というものだ。「読む」ことは端的に喜びであり、その喜びの感染力は強い。この動画が多くの人から共感を持って見られたということも、そのことを示している。
 「読む」行為を活性化する別の例をあげてみたい。著作権上の問題が指摘されることもあるが、「自炊」業と呼ばれる、紙の本をデジタル化するサービスが広がっている。私もいくつか試してみたが、平均すれば一冊百円で二、三百ページの本が電子化され、いつでも持ち運び、読むことができるようになる。これは私にとって画期的な経験であった。本が増え、置き場所に困ると、大事だと思って買ったものの、読みそうにない本を否応なく処分せざるを得なくなる。しかし、要不要を選別し、古本屋に売ったり、捨てたりすることは簡単にはできないものだ。扱いに悩む本を電子化してしまえば、書庫スペースが増えるだけでなく、これまでほこりをかぶって眠っていた本に目が行くようになるのだから不思議だ。
 何十冊、何百冊という本を小さな機器に詰め込んで持ち歩くことのできる快感は21世紀特有のものだ。紙の本と違い、電子化された本には「厚み」がない。そのため、今どこを読んでいるのか、わかりにくいという問題がある。そしてそれは、電子化した社会においては、本に限らず、私たちの「居場所」を確認するための仕組み作りが必要なことを暗示しているかのようでもある。