世界キリスト教情報

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世界キリスト教情報 第1668信(2023.01.09)

  • ロシアがクリスマス中、「一方的停戦」入り=ウクライナ拒否
  • イスラエル警察、キリスト教墓地荒らしで10代少年2人逮捕
  • 名誉教皇ベネディクト16世の葬儀が1月5日、バチカンで
  • ベネディクト16世の墓、一般公開、訪問可能に
  • 「神の正義は、愛と憐れみから来る正義」教皇、日曜正午の祈り
  • イラン、反政府デモめぐり新たに2人死刑に
  • サッカー元ブラジル代表ペレの葬列行われる
  • 《メディア展望》

 

◎ロシアがクリスマス中、「一方的停戦」入り=ウクライナ拒否

 【CJC】ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻を巡り、東方正教のクリスマス(1月7日)に合わせた6日正午からの停戦を軍・国防省に命じた。期間は36時間。ウクライナにも呼び掛けたが、ゼレンスキー大統領は拒否し、祝祭を「隠れみの」に態勢を立て直すのが狙いだと非難した。時事通信の報道によって事態の推移を紹介する。
 停戦の具体的な動きは、昨年2月の侵攻開始後初めて。ロシア正教会トップのキリル総主教が5日、「全当事者」に提案したのを受けた形だが、実質的にプーチン政権が主導したもようだ。
 プーチン氏との「蜜月」で知られる総主教は「正教信徒が降誕祭(クリスマス)前夜から当日の祈とうに参加できるようにするため」だと訴えた。これまで「祖国の難局」に際して団結すべきだと信徒を鼓舞し、侵攻に全面協力していた。
 ウクライナのポドリャク大統領府顧問は5日、ツイッターで「ロシア正教会は世界の正教の権威ではなく、戦争のプロパガンダを流すばかりだ」と痛烈に批判。唐突なクリスマス停戦を「わな」と一蹴し、警戒を怠らないよう促した。
 クリスマス停戦を巡っては、ロシア側にも懸念の声がある。軍出身のグルリョフ下院議員は「ウクライナ人は正教を裏切った。1月7日ではなく(西側諸国と同じ)12月25日に祝うようになった」と述べ、祝祭に際した停戦は困難と強調。相手ばかりが攻撃すれば、大損害を被る恐れもあると警告した。
 ロシアが「停戦」の理由とした東方正教のクリスマス(7日)の祈とうが6日夜、両国で始まった。「信徒が前夜と当日の祈とうに参加できるように」と停戦を提案したロシア正教会のキリル総主教は、モスクワの救世主キリスト大聖堂で儀式を執り行った。ロシア通信によると、プーチン大統領はクレムリンの生神女福音大聖堂に足を運んだ。
 一方、ウクライナのゼレンスキー大統領は6日夜、自国民に向けて祝福の動画メッセージを公表。「われわれは全員でウクライナの大家族だ。勝利を信じて団結している」と強調した。


◎イスラエル警察、キリスト教墓地荒らしで10代少年2人逮捕

 【CJC】サウジアラビアのリヤドで発行されている日刊英字紙「アラブ・ニュース」(日本語版)がエルサレム発で報じるところでは、イスラエル警察は1月6日、エルサレムのプロテスタント墓地にある複数の墓が倒され土台から引き抜かれているのが1日発見された事件に関連して10代の少年2人を逮捕した。
 少年たちは20基以上の墓を破壊したと供述している。
 170年以上の歴史を持つこの墓地にはエルサレムの著名な軍人や聖職者が眠っている。
 米国大使館パレスチナ担当事務所は5日遅く、この宗教的な場所がまたも標的とされたことに「懸念」を表明した。墓地が荒らされたのはこの10年で2度目だ。
 同事務所は「宗教的な場所の破壊行為は誰によるものであれ容認できない。エルサレムは全ての住民のための都市でなければならない」と述べた。
 イスラエル警察は容疑者の名前を公表していないが、2人は18歳と14歳でイスラエル中心部の住民という。
 犯行時の防犯カメラの映像には、ユダヤ教の頭蓋帽をかぶりツィーツィート(戒律を順守するユダヤ教徒が着用する結び目のある儀式用の房)を着けた若い男性2人が十字架を倒し、墓石を破壊し、墓に向かって瓦礫を投げつける様子が映っていた。
 イスラエル警察は、「宗教的な施設や場所に対するいかなる損壊行為も重大な問題であり、エルサレムに存在する独自で繊細な生活構造を害するものである」としたうえで、この行為は「意図的な破壊行為」と述べた。
 エルサレムの裁判所は6日、審理を行って少年2人の勾留期間を延長した。


◎名誉教皇ベネディクト16世の葬儀が1月5日、バチカンで

 【CJC】名誉教皇ベネディクト16世の葬儀が1月5日、バチカンで教皇フランシスコによって行われた。バチカン・ニュース(日本語版)によって経緯を紹介する。
 葬儀ミサが行われた聖ペトロ(サン・ピエトロ)広場には、ローマ、イタリアからはもとより、世界各国から多くの参列者が集い、故名誉教皇の冥福を共に祈った。
 儀式には、葬儀を主宰する教皇フランシスコをはじめ、120人以上の枢機卿、400人以上の司教、およそ4000人の司祭が参加した。
 名誉教皇の葬儀のため、イタリアとドイツ両国からそれぞれの大統領率いる公式使節が参列したほか、ヨーロッパを中心にした世界各国から、元首や首相、政府や王室の代表が出席した。
 また、正教会、プロテスタントの諸教会の使節、ローマのユダヤ教共同体、イタリアとローマのイスラム教関係者の代表も参列した。
 ミサ開始前には、大聖堂内からベネディクト16世の棺が「セディアーリ」と呼ばれる職員らによって広場に運ばれ、信者らによるロザリオの祈りが行われた。
 入祭の行列に続き、葬儀ミサが始まった。
 ミサでは、「みことばの典礼」とそれに伴う説教を教皇が、後半の「感謝の典礼」を枢機卿会主席のジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿がとり行った。
 通常、前任教皇の葬儀を、後継者の教皇が行うことはまれ。ある教皇の逝去後、葬儀の段階は「使徒座空位」期間であり、後継教皇を選出するコンクラーベ(教皇選挙)はまだ行われていないため。
 しかし、ベネディクト16世の場合、生前退位であったため、後継者の教皇フランシスコがその葬儀を行うことになった。
 前任教皇の葬儀を、後継教皇が行った前例としては、ナポレオン軍の「捕虜」となり、1799年にフランスのヴァランスで亡くなったピウス6世の葬儀を、遺体がローマに返還された、帰天から3年後の1802年に、後継者のピウス7世が行ったケースがある。
 教皇フランシスコは葬儀ミサの説教で、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23・46)というイエスの十字架上での最後の言葉が表す、御父の御手にたえず自らを捧げ続けたイエスの生涯を観想した。
 師イエスに従う者として、感謝と、祈り、聖霊の慰めに支えられ、神と人々のために献身した牧者、イエスの忠実な友であったベネディクト16世を思い起こした。
 簡素で厳かな儀式は、会場全体を祈りで包み、わき上がる聖歌の合唱が、宗教音楽をはじめ、音楽に深く親しんだ故名誉教皇をしのばせた。
 聖体拝領後、告別の儀式が行われた。司式者のレ枢機卿がベネディクト16世の棺を聖水で祝別し、献香を行い、次いで、教皇フランシスコが告別の祈りを唱えた。
 それまで静まり返っていた広場から、割れるような拍手と共に、「Santo
subito!」(「すぐに、聖人に」)という叫びと、オマージュのために「ベネディクト」と呼ぶ声が会衆の中から響いた。
 故名誉教皇の棺は、入場の時と同様に、再びセディアーリらに担がれた。棺を迎える枢機卿たちの行列が大聖堂内に入っていった。
 棺が教皇フランシスコの前に止まると、教皇は棺に向かって十字架のしるしをし、その上に手を置いてしばし祈られた。
 最後に、棺は故名誉教皇の秘書ゲンスヴァイン司教らにつきそわれ、埋葬が行われる大聖堂内へと入り、大聖堂正面入り口は赤い覆いによって左右から閉じられた。
 霧の中で始まったミサの終わりには、雲間から薄青い空がのぞいた。大聖堂の鐘が鳴る中、ベネディクト16世の葬儀ミサは閉祭した。


◎ベネディクト16世の墓、一般公開、訪問可能に

 【CJC】バチカン・ニュースによると、故名誉教皇ベネディクト16世の墓が、1月8日、一般に公開され、墓前への訪問が可能となった。
 バチカンの聖ペトロ(サンピエトロ)大聖堂の下(グロッテ)には、地下聖堂があり、前世紀以降の歴代の教皇たちをはじめ、多くの教皇たちの墓がある。
 故ベネディクト16世は、1月5日、バチカンの広場で行われた葬儀の後、同日、大聖堂地下に埋葬された。
 ベネディクト16世が生前希望されたとおり、その墓は、前任者の聖ヨハネ・パウロ2世の墓が以前あった場所につくられた。
 聖ヨハネ・パウロ2世の墓は、2011年5月1日に同教皇が列福された後、聖堂地下から、本堂の、ミケランジェロのピエタ像に近い、聖セバスティアノ礼拝堂に移された。
 ベネディクト16世の墓は、大理石のシンプルなもので、墓碑銘は「Benedictus PP XVI」とだけ記されている。
 故名誉教皇の墓が公開された8日、朝から訪れた人たちが列を作り、墓前で静かに祈りを捧げていた。


◎「神の正義は、愛と憐れみから来る正義」教皇、日曜正午の祈り

 【CJC】教皇フランシスコは1月8日、正午の「お告げの祈り」をバチカンの広場の巡礼者と共に唱えられた。バチカン・ニュースが報じた。
 「主の洗礼」の祝日を迎えたこの日、教皇は集いの中で、マタイ福音書の、イエスがヨルダン川のほとりでヨハネから洗礼を受ける場面(3・13~17)を取り上げ、説教を行った。

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 教皇の説教の要旨は次のとおり。

 「主の洗礼」を祝う今日、福音書はわたしたちに驚くべき光景を見せてくれる。ナザレ
での隠れた生活から、イエスが初めて公の場に姿を現したのだ。イエスはヨハネから洗礼を受けるために、ヨルダン川のほとりにやって来たのだった(マタイ3・13~17)。
 しかし、イエスが罪びとたちの間に混じっているのを見て、わたしたちは驚き、自問する。神の聖なる人、罪のない、神の御子イエスは、なぜこのような選択をしたのだろうか。
 その答えはイエスのヨハネに向けた言葉の中に見つけることができる。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」(同3・15)。「正しいことをすべて行う」とは、どういう意味だろうか。
 イエスは洗礼を受けることで、わたしたちに神の正義を啓示する。イエスはそれをこの世にもたらすためにやって来こられた。
 わたしたちはしばしば正義について狭い考えを持っている。そして、正義とは、過ちを犯した人がその報いを受け、そうして犯した過ちを償うことだ、と考えがちである。しかし、神の正義は、聖書が教えるように、もっとずっと大きなものである。
 神の正義は、過ちを犯した人を罪に定めることを最終目的とするのではなく、その人の救いと再生、その人を義とすることを目的としている。それは愛から、神の御心そのものである深い憐れみといつくしみから来る正義である。御父は、わたしたちが悪に押しつぶされ、罪と弱さに打ちひしがれているのを見て、憐みをもよおす方である。
 すなわち、神の正義とは、罰やこらしめをふりまくことではなく、使徒聖パウロが言うように(参照
ローマ3・22~31)、ご自分の子らを悪のわなから解放し、いやし、再び立ち上がらせ、義とされることにある。
 これによって、ヨルダン川のほとりでイエスが啓示したその使命の意味を理解することができるだろう。イエスは神の正義を完成するために来られた。その神の正義とは、罪びとを救うことであった。ご自分の肩に世の罪を背負い、わたしたちがおぼれないように、奈落の水、死まで降りて来られた。
 イエスは、真の神の正義とは、救ういつくしみ、わたしたち人間が置かれた状況を分かち合い寄り添う愛、われわれの苦しみへの連帯、わたしたちの闇の中に入り光を再びもたらすことであると教えてくれる。
 ベネディクト16世はこう強調している。「神はわたしたちをお救いになろうと、自ら死の深みの底まで降りられました。すべての人、たとえもう空を見ることができないほど低いところまで落ちた人でも、神の御手を見出し、それにつかまり、闇から抜け出し、再び光を見ることができるようになるためでした。人は光のためにつくられているからです」(説教=2008年1月13日)。
 わたしたち、イエスの弟子たちは、他者との関係、また教会や社会において、人を良い人と悪い人に分け隔て、裁き、罪に定める冷たさではなく、兄弟姉妹が立ち上がれるようにと、その傷や弱さを分かち合い、受け入れるいつくしみをもって正義を行うよう招かれている。分け隔てるのではなく、分かち合うことである。
 わたしたちはイエスのように行わなければならない。分かち合い、重荷を背負い合い、いつくしみをもって見つめ合い、助け合うことである。自分をふり返ってみよう。わたしは分裂させる人か、それとも、分かち合う人だろうか、と。
 イエスをお産みになった聖母に祈ろう。イエスが来られたのは、わたしたちの弱さの中に入り、わたしたちに再びいのちを与えるためであった。


◎イラン、反政府デモめぐり新たに2人死刑に

 【CJC】イランは1月6日、昨年から国内各地で続く反政府デモに関連し、モハマド・マフディ・カラミ氏とサイード・モハマド・ホセイニ氏の死刑を執行した。2人は、抗議運動中に治安部隊員を殺害したとして、昨年12月に有罪判決を受けていた。イランの最高裁判所は3日、死刑判決を支持した。抗議運動に関する死刑は4例目となった。
 拠点をイラン国外に置く「人権活動家通信」(HRANA)によると、これまでに子ども70人を含む少なくとも516人のデモ参加者が死亡し、1万9262人が逮捕されている。また、保安要員68人の死亡も報告されている。
 カラミ氏の家族は、司法当局に死刑を取りやめるよう訴えていた。死刑執行前にカラミ氏との面会に許可は下りなかった、と述べている。
 イランの司法当局が運営する「ミザン通信」は、2人が、準軍事組織の幹部ルホラ・アジャミアン氏の殺害の「主犯」だったと報じた。検察側は、殺害された抗議参加者を弔う人々がアジャミアン氏を裸にし、殺したと説明している。
 現在、ほかに3人が同じ件で死刑判決を、11人が禁錮刑を受けているという。
 国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルは、裁判は「でっちあげ」だと非難。イラン当局はほかに少なくとも26人について、死刑を求めていると指摘した。
 イラン当局は昨年12月にも、モフセン・シェカリ氏とマジドレザ・ラフナヴァルド氏について同様に、準軍事組織のメンバーを攻撃したとして、死刑を執行している。


◎サッカー元ブラジル代表ペレの葬列行われる

 【CJC】昨2022年12月29日に82歳で死去したサッカー元ブラジル代表ペレ(本名=エドソン・アランテス・ド・ナシメント)氏の葬列が1月3日行われ、多くの市民が史上最高の選手と広く称されるペレ氏に最後の別れを告げた。AFP=時事通信によって伝える。
 国全体が3日間にわたって喪に服した後、同国南東部のサントスではペレ氏の通夜と葬列が行われ、ルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ大統領を筆頭にファンや政治家、サッカー界の重鎮らが、「王様」に弔意を示した。
 通夜の最後に、礼服を着た警官10人が黒いひつぎのふたを閉め、カトリック式の儀式が短く行われた。その後、サントス・FCの黒と白のストライプのフラッグと、緑と黄色のブラジル国旗がかけられたひつぎは、消防車の上に置かれ、市内をめぐる大規模な葬列が始まった。
 途中には、ペレ氏の100歳の母親セレステさんの住む家に立ち寄り、最後はスタジアム近くの霊園に入って、家族と近親者による葬儀が営まれた。ひつぎはその後、世界一高い墓所としてギネス世界記録に認定されている霊廟(れいびょう)に収められた。
 霊園によると、ペレ氏の遺体は防腐処理を施してひつぎに納められ、サッカースタジアムを模した広さ200平方メートルの部屋の中央に置かれるという。


《メディア展望》
 
 =カトリック新聞(年初休刊=次号は1月22日付け)=https://www.cwjpn.com/cwjpn/
 
 =KiriShin(年初休刊=次号は1月11日付け)=https://www.kirishin.com
 
 =クリスチャン新聞(年初休刊=次号は1月22日付け)=https://クリスチャン新聞.com

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