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研究活動

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E・シュヴァイツァー『新約聖書への神学的入門(NTD補遺2)』日本基督教団出版局

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序 言

第一章 口伝承と最初の文書化

 序論
 1 時代史の中のイエス
 2 「ひそかに」伝えられたイエスの行為と言葉
 3 預言者たちによって伝えられたもの
 4 「学者たち」によって伝えられたもの
 5 儀式において伝えられたもの
 6 文書化の問題
 7 福音書の前段階(Q資料)
 8 大きな問い:イエス伝承か、キリスト告白か?


第二章 パウロ

 9 生涯と手紙
 10 テサロニケの信徒への手紙一
 11 コリントの信徒への手紙一
 12 コリントの信徒への手紙二
 13 ガラテヤの信徒への手紙
 14 フィリピの信徒への手紙
 15 フィレモンへの手紙
 16 ローマの信徒への手紙

第三章 パウロの弟子たち

 17 コロサイの信徒への手紙
 18 エフェソの信徒への手紙
 19 テサロニケの信徒への手紙二
 20 テモテとテトスへの「牧会書簡」


第四章 その他の手紙

 21 ヘブライ人への手紙
 22 ヤコブの手紙
 23 ペトロの手紙一
 24 ユダの手紙とペトロの手紙二


第五章 最初の三つの福音書と使徒言行録

 25 マルコによる福音書
 26 マタイによる福音書
 27 ルカによる福音書
 28 使徒言行録


第六章 ヨハネ・グループ

 29 ヨハネによる福音書
 30 ヨハネの手紙


第七章 預言の書

 31 ヨハネの黙示録

第八章 回顧

 32 新約聖書の成立

注/訳者あとがき/事項・人名索引/聖句索引


>>>>>「第一章 序論」より引用

 新約聖書への<入門書>を書くことは一つの仮決定を含んでいる。つまり、『トマス福音書』、ユダヤ人キリスト者によるいくつかの福音書、『クレメンスの第一の手紙』など、新約聖書のある部分と同等か、あるいはそれ以上に古い初期キリスト教文書は存在するが、ここでは正典となった文書に限定して考えるということである。しかし、それら初期キリスト教文書と新約テキストは、新約テキストが「聖書」として繰り返し読まれ、教会に対して指針となったということによって区別されるのである (このことについては後述3.2を参照)。
 もちろん、新約テキストが特定の時代と状況の中で書かれたことは忘れられてはならない。それゆえに以下では、例えば新約聖書において「罪」とは何か、「恵み」とは何かという問いのような特定の問題から出発すべきではない。むしろ本質的には、文書から文書へと進んでいくべきであり、一つ一つの書物が持つ歴史的な時代と状況が真剣に受けとめられなければならないのである。確かに、一般的に何が認められており、何が論争の的になっているのかは、ごく簡単に、そして立ち入った議論なしに確定できるものである。その際、明らかになることは、完全には根拠づけられないにしても、著者が正しい解決を最も積極的に見出そうとする点はどこなのかということである。これについて既存の「入門書」を比較することができるだろう 。ここでテーマとなっている本来的な問いは、何が「神学的」に生起したのか、つまり、何が今日に至るまで教会の信仰にとって本質的であるのかということである。例えば、口伝承が最初に書きとめられたとき、あるいは、マタイがマルコを異なる時代と状況の中で新しい福音書によって置き換えようとしたとき、あるいは、パウロがガラテヤでなされている自分への激しい攻撃に対する応答からローマ訪問の準備という課題に移っていったとき(ローマでは同じ様な問題がまだあまり目立ってはいなかったが、いずれにしてもパウロに対する敵意はひそかに突発していた)、それが問われている。
 以下の叙述が一般の入門書と区別されるのは、次の点においてである。すなわち、史的問題は、新約文書の神学的に重要な表現をただ可能な限りよく認識するための根拠としてのみ役立てられるという点である。また、罪や恵みといった概念ではなく、一つひとつの文書を中心にしているという点において一般の新約聖書神学とも区別される。それはことさらに歴史的な過程の叙述でもあり、その限りにおいて、かなり控え目な試みである。その際、決して一つだけの関連する展開が考えられるのではなく、新しい手がかりや別の解決策、修正がいつも指示されている。それらは外側から見れば歴史的な偶然である。しかし、新約聖書の証言の統一性に対する問い、つまり、パウロやヤコブ書といった様々な応答が相互にどのような関係を持っているのかという問いは脈々と続いてきている。したがって少なくとも示唆されるべきことは、必然的に個人的になる決断において、著者は、教会の信仰と生活において観察される種々の緊張関係や対立を受けとめ、克服するために、どのような方向を見ていたのかということである。




>>>>>「訳者あとがき」より引用

 本書は、NTD補遺シリーズの第二巻として刊行されたEduard Schweizer, Theologische Einleitung in das Neue Testament, Gottingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1989の全訳である。
 著者のエードゥアルト・シュヴァイツァーは世界的に著名な新約聖書学者であり、すでに邦訳書も多く出版されている。シュヴァイツァーの人柄・経歴などについては、青野太潮訳『神は言葉のなかへ――E・シュヴァイツァー説教集』(ヨルダン社、1980年)の「訳者あとがき」において記されており、また、主要著作に関しては、山内一郎監修・辻学訳『イエス・神の譬え』(教文館、1997年)の「訳者あとがき」に列挙されているので、関心のある方はそれらを参照していただきたい。
 本書では、多くの読者を引きつけてきたシュヴァイツァーの魅力が、新約聖書の全体を語るという形で発揮され、しかも彼の聖書解釈の深みがきわめてコンパクトな形で示されている。新約聖書の入門書は多く存在しており、本書もその一つであることに違いないが、類書には見られない特徴を本書は備えている。

 彼は正典としての新約聖書各巻を取り上げていくが、個別の史的検証を最優先させることをせず、また反対に、概念的な一貫性を追求するわけでもない。彼にとって関心のあるのは、聖書テキストの著者および著者の属する共同体が直面させられた神学的決断であり、聖書各巻がまったく多様な状況の中で生み出されつつも、そういった神学的決断が多重に織り成されることによって立ち現れる聖書の全体像である。そのような彼の関心は『新約聖書への神学的入門』という本書のタイトルにも反映されている。そして、われわれは、シュヴァイツァーの叙述を通じて、聖書が信仰者たちの格闘の産物であり、またその意味で、われわれ自身に深くかかわってくることを知らされるのである。その端的なインパクトにおいて、本書は類書と異なる魅力を放っている。
 このように本書は、聖書を専門的に学んできたものが、あらためて聖書全体のまとまりや多様性を味わうことのできる機会を与えてくれる。それと同時に、一般読者を対象として企画されたNTDシリーズの一冊にふわわしく、初学者であっても読み通すことのできる平易さを備えている。しかし、Ⅰ部では若干専門的な説明が展開されているので、初学者はⅡ部から読み進めても一向にかまわない。あるいは、説教や聖書研究で取り上げられた聖書箇所に随時対応させる形で、本書を参照することもできるであろう。
 一般に書物を熟読するときには「行間」を読むということが求められる。聖書においても同様であるが、特に本書を通じて読者が知るのは聖書の「書間」を読むことの大切さ(楽しさ)であろう。自分にとって都合のよい箇所や書物だけを特別視し、解釈の(絶対的)基準にしてしまうのではなく、新約聖書の各巻の間にある差異がなぜ生まれたのかを問い、そしてそれらの差異が指し示す多様なベクトルの総和の中にこそ、イエスの生き生きとした姿(人間の恣意によって固定されない姿)を見るべきではなかろうか。本書はそういった目標のためのよい手引きとなるはずである。

 翻訳にあたり説明を要すると思われた箇所には〔〕で訳注を入れた。また、読みやすさの便を考え、適宜、改段落を行った。訳者は新約聖書の専門家でないため、本書の訳稿全体を同志社大学神学部の橋本滋男教授(新約聖書学)に見ていただき、何度となく適切なアドバイスをいただいた。この場を借りてお礼申し上げたい。
 本書が、教会での聖書の学びにおいて、また、聖書に関心を寄せるすべての人において活用されることを願ってやまない。


『本のひろば』1999年5月号より
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