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研究活動

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「戦争論についての神学的考察――宗教多元社会における正義と平和」、『基督教研究』第64巻第1号

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キーワード
戦争、絶対平和主義、正戦論、聖戦、正義、イスラーム

KEY WORDS
war, pacifism, just war, crusade (holy war, jihad), justice, Islam

要旨
 本論文では、キリスト教史の中で現れてきた、戦争をめぐる三つの類型、すなわち、絶対平和主義、正戦論、聖戦論の間に生じる緊張関係を解釈し、また、それらが歴史的にどのように受容されてきたのかを考察する。平和を実現するために自らが信じる正義を実行するという考えはキリスト教社会においても、イスラーム社会においても同様に見られる。現実には両者の正義はしばしば衝突してきたが、キリスト教の伝統的な正戦論の中では他の宗教の正義の問題はほとんど扱われてこなかった。本論文では、そうした課題に応えるために比較宗教倫理学的視点を導入する。

SUMMARY
In Christian history, three types of understanding of war have appeared, that is, pacifism, just war theory and crusade doctrine. The writer desires to interpret the tensions among those three different ideas and to contemplate how each idea has been received historically. In order to realize peace, many people are eager to bring justice into practice in Christian society as well as in Islamic society, although such efforts often contradict each other. On the other hand, justice in other religions has mattered little to just war tradition in Christianity. To respond to that problem, the writer is trying to see matters in a perspective of comparative religious ethics.


 目  次
1 問題の所在
2 絶対平和主義
3 正戦論
4 聖戦論
5 今後の展望――宗教多元社会における正義の模索

    We want to support those who would rather die than murder. If you take Hiroshima and Nagasaki -- if you call the World Trade Center terrorism, Hiroshima and Nagasaki were terrorist acts. And I've had people say, "Well, that was war." And I say, "Well, you murder in war, too." (Stanley Hauerwas, Sojourners, November-December 2001)


1 問題の所在

 同じ戦争行為が、正戦論の中で解釈されたり、あるいは反対に、反戦論の中で理解されたりすることがある。その典型的な例として広島・長崎への原爆投下をあげることができる。アメリカの立場からすれば、それは「大きな悪」を終わらせるための「小さな悪」として、正戦論の中に位置づけられるのがもっぱらである。それに対し、原爆投下は日本では不条理な死を招いた絶対悪として、反戦平和思想の起点に据えられている。
 一見、まったく正反対を向いているかのような正戦論と反戦論であるが、正戦論でさえ、戦争を無条件に肯定しているわけではなく、むしろ戦争を憎むべき悪と見なしている。ただし、悪しき戦争行為を終わらせるために、それを始めた国に対し応分の制裁を加えなければならない、と正戦論者は考えるのである。さらに言えば、無実な人々が生命の危機にさらされているときにそれを見過ごしにすることこそ、正義に反すると見なされる。
 これらの問題は、一般的に非人道的行為に対し人道的介入をすることの是非として問われてきた。そうした議論を洗練された形で整理した最初の人物はキケロ(Marcus Tullius Cicero、前106~前43)であろう。彼は『義務論』の中で二種類の不正を提示する。「さて、不正には二種類あって、一つは不正を加える人々に属する不正、もう一つは、不正を加えられている人々からこの不正を退けることができるのに、そうしないでいる人々に属する不正である」[キケロ、1999、140]。そして、後者の不正に属する人々を次のように描写する。「さらにまた、自分のものを守ることに熱心なためか、さもなくば、人間嫌いであるところから、自分は自分のことだけをするのだと言い、誰にも不正をなしていないように見える人々がある。この人々は一方の不正は免れているが、もう一方の不正に陥っている。というのも、彼らは人生の同胞関係を放棄している。この同胞関係に資するいかなる熱意も労力も提供していないからである」[キケロ、1999、143-144]。
 キケロは、二種類の不正やそれを防ぐ正義について様々な事例を取り上げ、二つ目の不正に陥らないようにするためには、第三者による介入が「義務」であると論じている。キケロの主張を直接的に現代の正戦論に結びつけることはできないにしても、理論的な枠組みには大きな類似性を認めることができる。後に論じるように、正戦論は歴史を通じて理論的な精緻さを増していくが、時代にかかわらずその土台にあるのは、無辜の人々が不条理な死にさらされているとき、いかなる対応をすべきか、という問いである。キケロは「人生の同胞関係を放棄」することのないように、そのような不正に対して介入することの必要性を説いた。人権意識が拡充している現代世界においては、人道的介入を正当化する舞台装置はキケロの時代と比べ、はるかに整っていると言えよう。
 しかし、近現代の多くの戦争が正戦論に従ってなされたのではなく、むしろ力ある国家が弱小国家を略奪する侵略戦争であったことへの反省から、戦争を無条件に否定する「絶対平和主義者」も存在する。また20世紀に限定してみても、自国の遂行している戦争を美化し、さらには神聖視するような「聖戦論」的戦争観が少なくはなかった。こういった戦争をめぐる異なる立場は、複雑さを増してはいるものの、それぞれ現代に引き継がれている。本論文は、異なる戦争理解の背景にある宗教的動機づけに着目しながら、それぞれの特徴を描写していく。また多様な戦争観に見通しを与えるための思考軸として、キリスト教史の中で現れてきた、戦争をめぐる三つの類型、すなわち、絶対平和主義(pacifism)、正戦(just war)論、聖戦(crusade/ holy war)論を取り上げ、それぞれの考え方がどのように受容されてきたのかを神学的に考察する1。その際、昨今問題になっているイスラームとの関係を配慮するために比較宗教倫理学的な視点を導入する。
 戦争が宗教との関係で論じられるとき、しばしば問題となるのは「正義」とは何か、ということである。平和を実現するために自らが信じる正義を実行する、という論理はキリスト教においても、イスラームにおいても同様に見られる。問題は、両者の正義がぶつかり合うときに、どのように折り合いを付けるか、ということであるが、キリスト教の伝統的な正戦論の中では他の宗教の正義の問題はほとんど扱われてこなかった2。むしろ、先にあげた戦争をめぐる三つの類型の中で、イスラームのジハードを聖戦論に分類することによって、イスラームの好戦性を誇張してきた経緯がある。しかし、ジハードをキリスト教が理解する「聖戦」に分類することは果たして正当であろうか。そうした問いに答えつつ、宗教多元社会において公共的な正義概念が成立する可能性を模索する。


2 絶対平和主義

 絶対平和主義という言葉を厳密に考えれば、それはいかなる暴力や戦争行為をも否定するので、非暴力(nonviolence)の主張や非戦論と共有する部分が多いと言える。ここでは、正戦論との違いを明確にするために、選択的な平和主義(selective pacifism)は絶対平和主義の範疇から除外する(それが「絶対」という表現を付加する理由である)。たとえば、反核平和主義者がいかに世界の平和を希求していたとしても、核兵器以外の通常兵器の使用を国際紛争解決の手段として許容するとすれば、それは絶対平和主義とは言えず、むしろ、正戦論に分類されるべきであろう。したがって、ここでは狭義の意味で絶対平和主義の内実を考察していく。
(1)キリスト教の場合
 キリスト教の最初期から迫害時代にかけては絶対平和主義が信仰者の基本姿勢であった。つまり、ミラノ勅令(313年)以前に、キリスト者が戦争に行ったり、職業軍人になることはほとんどなかった。その理由として、最初期には間近な終末待望が息づいていたこと、また、ローマ軍に参画することは結果的に皇帝崇拝へつながること、などをあげることができるが、より直接的には、戦いにかかわることがイエスの教えに背く行為であるという理解が共有されていた点をあげることができる。
 そうした理解に決定的な影響を与えたイエスの言葉として、「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタ5:39)や「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタ5:44)がある。また、こうしたイエスの教えを反映している次のようなパウロの言葉も、初期のキリスト者の行動指針となっていたに違いない。「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。......だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。......愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」(ロマ12:14-19)。これらの箇所に限らず、絶対平和主義者の行動原理は、イエスによる愛の教えに基礎づけられている。
 ただし、後に言及するように、正戦論においてもイエスによる愛の教えがその根拠の一つとしてあげられる。したがって、戦争に対する態度を決定する際、聖書が一義的にある帰結を導き出すのではないことは明かである。しかし、正戦論者が聖書以外の様々な価値規範や判断基準を持っているのに対し、絶対平和主義者にとっては、聖書、特に福音書に記されたイエスの言葉が圧倒的な価値規範となっている点において、両者は大きく異なっていると言える。このことを戦争に対する意志決定のプロセスに着目して言い換えるなら、正戦論者が状況依存的な推論をせざるを得ないのに対し、絶対平和主義者は状況にあまり左右されない主張点を保持している、ということになる。
 いずれにせよ、キリスト教がローマ帝国の公認宗教になってから、すなわち、コンスタンティヌス体制以降、キリスト教は国家との関係で自己形成を迫られることになる。特に、外敵からの攻撃に対し、どのようにして国家を守るのか、という責任が徐々に自覚されていく中で、アンブロシウス――彼はキケロの影響を強く受けている――やアウグスティヌスによって正戦論の基礎が築かれていく。結果的に、コンスタンティヌス体制以降のキリスト教世界においては、絶対平和主義の考え方は主流から傍流へと移行することを余儀なくされた。歴史的には、ワルド派、カタリ派、フス派、メノナイト、フッタライト、クェーカー、ブレズリンなどを絶対平和主義の例としてあげることができるが、いずれにせよ、それらは、しばしば激しい迫害にさらされた小規模な信仰集団であり、絶対平和主義がコンスタンティヌス体制以降に大勢を占めることは一度もなかったのである。
 しかし、数的な小ささは必ずしも影響力の小ささを意味するわけではない。絶対平和主義の考え方は現代に至るまで受け継がれてきており、それがエポック・メイキングな出来事の精神原理となっていることすらある。たとえば、マハトマ・ガンジーはトルストイや新約聖書(特に「山上の説教」)から絶対平和主義の影響を強く受けている。ガンジーの非暴力抵抗運動にはそうした影響が反映されている。また、ガンジーの影響を受けたマルチン・ルーサー・キングもまた非暴力抵抗運動を展開していくことになる。
 日本では、絶対平和主義の代表的人物として内村鑑三をあげることができる。彼は日清戦争のときには、それを「義戦」と見なす主戦論者であった。また、キリスト教は明治政府の近代化政策を補完する役割を果たすことができると考えていた。しかし、戦争に勝った結果、日本の植民地主義政策の中に内村が見たのは、利権を拡大しようとする帝国主義的拡張政策であった。つまり、義戦ではなく単なる侵略戦争に過ぎなかった実態を知ることによって、彼の戦争に対する理解は大きく転換し、新約聖書の思想やクェーカーの思想の影響を受けて、非戦論者としての立場を明確にしていく(「余が非戦論者となりし由来」[内村、1990、160-163])。内村の非戦論は絶対平和主義の特徴を際立たせている。「武装せる基督教国? そんな怪物の世に存在しやう筈はありません、武装せるものは基督教国ではありません、武装せる者は強盗であります、......」(「平和の福音(絶対的非戦主義)」[内村、1990、63])。この叙述が端的に示すように、キリスト教と武力、あるいはキリスト教と(武装する)国家は峻別されている。また、次の箇所では正戦論の論拠を批判しながら、絶対的非戦における平和理解を述べている。「若し戦争はより小さな悪事であって世には戦争に勝る悪事があると称へる人がありまするならば其人は自分で何を曰ふて居るのかを知らない人であると思います、戦争よりも大なる悪事は何でありますか、......悪しき手段を以て善き目的に達することは出来ません、......平和は決して否な決して戦争を透うして来りません、平和は戦争を廃して来ります、......」(同上[内村、1990、63-64])。このように、内村の時代の日本においても、正戦論と絶対平和主義との間には、簡単に解消できない緊張関係があったことを読み取ることができる。
 現代において絶対平和主義を主張している代表的な神学者として、J. H. ヨーダー(John Howard Yoder)、S. ハワーワス(Stanley Hauerwas)をあげることができる。絶対平和主義は、しばしばプラグマティックな立場と信仰告白的な立場とに分類されるが、ヨーダーもハワーワスも前者を否定し、後者の立場に立とうとする3。すなわち、ある戦いを効果的に戦うために絶対平和主義、非暴力という手段を選んでいるのではなく、その効果の如何にかかわらず、キリストに従おうとする信仰的決意が絶対平和主義を要請すると考えるのである。そのことはヨーダーの次の言葉に明瞭に現れている。キリスト教平和主義では「私たちの服従と究極的有効性との間の計算された連結が断絶している」[ヨーダー、1992、325]。その意味では、暴力を拒否することによって、たとえ多くの死者が出たとしても、キリスト者は暴力に荷担すべきではない。しかし、そのことは、直面する現実に対し絶対平和主義者が傍観するということを意味してはいない。
 絶対平和主義が決して信仰者の内面的決意にとどまらず、むしろ社会的実践へとつながっていくことをヨーダーの主張において見ることができる。彼にとってキリスト教平和主義と社会倫理は密接な関係を持っており、そのことが彼のイエス理解に如実に反映されている。つまり、イエスが社会倫理に対し直接的な意義を持つことが聖書学的に裏付けられること、そして、イエスは現代の社会倫理に対して意義深いだけでなく規範的であることを主張する[ヨーダー、1992、18]。そうした前提に立ちながら、彼は絶対平和主義者にしばしば投げかけられる質問、たとえば「あなたの愛する人が襲われるときに、あなたはどうするのですか」といった質問に潜む問題点を整理し、それに反論することによって、絶対平和主義が、イエスに従おうとする者にとって、今なお切実な課題であることを訴えるのである[ヨーダー、1998]。
 このようなヨーダーの姿勢をハワーワスも共有している。ハワーワスはすべてのキリスト教倫理は社会倫理であるという立場を取り、また、平和理解についても、キリスト教の見方と一般的な見方とを次のように区別する。「『正義』や『平和』といった大げさな言葉を教会が取り入れたことは、たとえ人々が『イエス・キリストは主である』という意味が分からなくとも、平和や正義なら分かるだろうという考え方が前提となっている。教会は、ナザレのイエスの生涯とその死をぬきにして、けっしてこれらの言葉の真意を知ることなどできない。まさに、ピラトは、ユダヤ地方の平和と正義を(ローマの方法で)守りぬくために、イエスの処刑を承認したのであった」[ハワーワス;ウィリモン、1999、50]。ハワーワスのこの言葉は、2001年9月11日の同時多発テロ事件以降のアメリカの一般的風潮、すなわち、教会が愛国心高揚のための舞台装置とされた状況に対し、批判的な視座を提供することになる。その一例が、本論文の冒頭にあげた『サジャナーズ』誌(2001年11-12月号)におけるハワーワスの言葉である4。絶対平和主義に立脚したこのような主張は、昨今のアメリカ社会ではまったくの少数意見であると言えよう。しかし、少数者であるからこそ、「ワールド・トレード・センターでの出来事をテロリズムと呼ぶなら、広島と長崎もテロ行為であった」と言い切ることのできる新たな洞察の地平を切り開くことができたとも言える。アメリカにおいて、広島と長崎への原爆投下は戦後一貫して正戦論の文脈の中で「正しい」戦争行為として理解されてきた。そこで前提とされてきた国家主義的正義に対し批判的な目を向けることは決して容易ではない。それを可能にするのは、国家の正義遂行のために十字架につけられたイエスに従うことの他にない、とハワーワスは考えるのである。その当然の帰結として、彼はアメリカ人であることとキリスト者であることを明確に区別しようとする。そして、アメリカ的な正義とキリスト教の正義が一致しないこと、いや、一致すべきではないことを強調するのである。
 そして、一致し得ない両者の距離を意識化させるのは終末論の働きである。「イエスの倫理は、それにふさわしいコンテクストにおかれないかぎり、すなわちこの世界がまだ知らない何かを知り、それを構造化する終末論的なメシア共同体から見ないかぎり、まったく非実践的であるか、まったく厄介なものとなっていくのである」[ハワーワス;ウィリモン、1999、118]。このような終末論と絶対平和主義との結びつきはハワーワスやヨーダーに見られるだけでなく、歴史的には多くの絶対平和主義者の思想や運動の中に形を変えて見受けられる。たとえば、内村の場合、非戦論と終末論的平和が分かちがたく結びついていた。彼は、世界の平和は「キリストの再来」によってもたらされる、と考えていた(「世界の平和は如何にして来る乎」[内村、1990、313-314])。

(2)イスラームの場合
 イスラームの歴史においては、キリスト教の絶対平和主義に対応するものは見られないと言ってよい。ムハンマドは、マッカ(メッカ)の多神教徒軍と戦って勝利した最初の大規模な戦いであるバドルの戦い(624年)以降、自ら20回あまりの戦いに参戦している。つまり、イスラームの場合は、その最初期から共同体の形成と数々の戦いとは密接な関係にあった。当時の時代状況の中でムハンマドに導かれたムスリム(イスラーム教徒)たちはきわめて現実主義的なアプローチを取ってきた。周辺の諸部族と友好的な関係を築く一方、ムスリムの共同体の安全を脅かす者に対しては、自己防衛のため武力を用いた。次のクルアーン(コーラン)の言葉に典型的に見られるように、アッラーが許す戦いがあると考えたのである。「不当な目に遇わされた者が、相手に敢然と挑みかかることはお許しが出ておる。そういう人たちはアッラーが助けて立派に勝たせて下さろう。すなわち、なんの罪とがもないのに、ただ『我らの主はアッラーだ』と言うだけの理由で住居から逐い出されたような人たちのこと。アッラーのおはからいで、人間がお互いに撃退し合うようになっていなかったなら、修道院でも教会でも祈祷所でも礼拝堂でも、およそアッラーの御名が盛んに唱えられるようなところはみな完全に壊されていたことであろう」(クルアーン22:39-40)5。
 また、キリスト教が、ローマ帝国という強大な国家権力とその迫害のもとで、絶対平和主義の立場を取っていたのに対し、イスラームの場合、最初から、マディーナ(メディナ)を中心としたイスラーム国家の形成と信仰共同体の拡大とが不可分の関係にあり、そもそも国家と宗教の二元論的な関係が存在していない。そのような意味でも、キリスト教の最初期に見られたような絶対平和主義はイスラームには存在しないと言えるが、そのことによってイスラームを好戦的な宗教と評価すべきではない。「汝らに戦いを挑む者があれば、アッラーの道において堂々と迎え撃つがよい。だがこちらから不義をし掛けてはならぬぞ。アッラーは不義をなす者どもをお好きにならぬ」(クルアーン2:190)といった言葉からもわかるように、「不義」なる戦いは明確に排除されているからである。


3 正戦論

(1)キリスト教の場合
 先に触れたように、コンスタンティヌス体制以降、キリスト教は国家秩序の維持に関心を向けるようになり、特にローマ帝国への蛮族の侵入をめぐって、戦いの必要性を認識していくことになる。そうした課題を聖書に照らして整理し、後の正戦論の基礎を作ったのがアウグスティヌスである。彼の戦争観は次の二点にまとめることができる。第一に、自己目的のために戦ってはならない。ここから、彼は自分の命を守るために相手の命を奪うことは間違いであると考えた。第二に、他者を助けるためには戦う義務がある。それゆえ、国家は外部からの攻撃から国民を守り、また、不当に奪われたものを取り戻す義務がある。また、統治者は社会の平和や秩序を外敵から守るためには、武力を行使すべきであるとアウグスティヌスは考えた。彼の理解はそれまでの時代において優勢であった絶対平和主義を部分的に批判することになり、それは次のように聖書の理解にまで及んだ。「もしも、主イエス・キリスト自ら『悪にてむかうな』といわれたのだから、神が戦争を命ぜられるわけはないと考える人々があるならば、わたしはいおう、ここに要求されているのは行動ではなく、心の問題である」([Augustine, 1956, 76]、訳は[ベイントン、1963、123-124])。ここでアウグスティヌスは、絶対平和主義者にとって重要な規範的意味を持つイエスの命令を「心の問題」へと変位させ、行動としては悪への抵抗があり得ることを導き出そうとしている。
 アウグスティヌス以降、「正しい戦争」のための基準が徐々に精緻化されてきた。トマス・アクイナスやマルチン・ルターにおいても「正しい戦争」をめぐる興味深い思索を見ることができる。こうした神学的伝統を引き継ぎながら、中世スペインのカトリック神学者F. ヴィトリア(Francisco Vitoria, 1480?-1546)やオランダの法学者H. グロチウス(Hugo Grotius, 1583-1645)らによって、正戦論は国際法理論の一部としても整えられていく。しかし、19世紀に入ってからは、ヨーロッパの先進諸国が強力な軍事力を背景に海外へと進出していき、戦争は帝国主義的拡張政策の必要手段と見なされるのがもっぱらであり、その際に、正戦論が戦争抑止的な機能を果たすことはほとんどなかったと言える。しかし、二度の世界大戦を経て、全面核戦争の危機の時代を迎える中で、国際社会の中で戦争を抑止する一つの価値規範として正戦論が再度見直されるようになってきた。国民国家においては、為政者といえども、国民の同意なくしては大規模な戦争行為を決定することはできない。国民を説得するための手段として正戦論の理論的精緻化が求められてきたのであり、アメリカにおいてはベトナム戦争以降、その傾向が強まっていると言える。
 いずれにせよ、正戦論は、戦争を「正しい戦争」(just war)と「不正な戦争」(unjust war)に分類することによって、ある戦争を正当化すると同時に、それに制限を設けようとする。こうした目的を果たすために、正戦論は伝統的に二つの判断基準、すなわち「戦争への正義」(jus ad bellum)と「戦争における正義」(jus in bello)を設けている。前者では、どのような条件が整えば戦争という行為に訴えることが正当化されるのかが主題とされ、後者では、戦争中において、どのような条件を満たすべきかが論じられる。この二つの基準は厳格に区分されるべきであると考えられてきた。なぜなら、ある戦争を始めることが正当化されたとしても、戦争中の行為すべてが無条件に正当化されるべきではないし、また逆に、不当な仕方で戦争が始められたとしても、戦争中の行為に関しては正当な条件が課せられるべきだからである。「戦争への正義」と「戦争における正義」のそれぞれに伝統的に含められてきた諸条件として次のようなものがある。
(a)「戦争への正義」
 1.正当な理由:戦争を始めるためには、不当な暴力や攻撃から人々を守ったり、不当な形で奪われた権利を回復する、といった正当な理由が必要とされる。ただし、正当な理由は必要な条件であるが、十分な条件ではない。ある戦争行為が肯定されるためには、他の条件も満たさなければならない。
 2.正当な権威:戦争を始めることを決定する人物や組織には、人々によって了解された正当な権威が前提とされる。しかし、ある国において正当な権威が存在していたとしても、それが国際社会における権威の正当性に直接つながっていくわけではない。ある武力行使が国際社会から批判される場合、もっとも多く指摘されるのが、この権威の問題である。NATOによるユーゴスラヴィア空爆(1999年)の場合にも、また、アメリカによるアフガニスタン空爆(2001年)の場合にも、国際法的に合法的な権威をもって武力行使がなされたかどうかが問題となった。
 3.比例性(proportionality):結果として得られる善が、戦争によってもたらされる悪にまさるという条件が必要とされる。この条件を満たそうとするなら、武力行使によってもたらされる結果(リスク)を計算することが不可避となる。しかし、不断に変化する状況を前にして、その計算の蓋然性は不確実性にさらされている。今日では、為政者がマスメディアを使い、特定の映像やニュースを国民に流すことによって、派遣された兵士たちの命が危機にさらされるという「悪」よりも「結果として得られる善」を相対的に大きく見せかけることも可能である。この比例性の条件を適切に守ったかどうかは、事後的な検証を待たなければならないことが圧倒的に多い。たとえば、NATOによるユーゴスラヴィア空爆の際の劣化ウラン弾の使用の適否をめぐっては、いまだに議論が続いている。
 4.最終手段:戦争は他の平和的解決が絶たれた場合の最終的な手段として選択されなければならない。この条件には、どの時点で「最終」と見なすのかという困難がつきまとう。平和的な解決を探る忍耐強さと、武力行使の決定の遅延よって事態を悪化させることへの危機感との間には、容易に解消できない緊張関係が存在している。
 5.成功への合理的見込み:成功の見込みのない無謀な戦いは、いくらそれが正当な理由を備えていたとしても「戦争への正義」を持ち得ない。ここでの「成功」は単に軍事的な勝利の意味にのみ限定されるべきではない。武力を行使してまで獲得されなければならない本来の目的が達成されたかどうかが重要である。たとえば、アフガニスタン空爆によってアメリカはタリバーン政権に軍事的には完全な勝利をおさめたと言える。しかし、その中で醸成されていった反テロリズムの呼びかけが、パレスチナに代表される地域紛争を激化させる起点となっているとすれば、一連の行為を単純に「成功」と評価することはできないであろう。
 6.正しい動機:人道的介入を必要とする正当な理由があったとしても、その武力行使が正しい動機によって始められているかどうかが検証されなければならない。少なくとも、国際政治上の利権の拡大や、敵国に対する憎しみが動機となってはならない。しかし、この条件に関しても、比例性の条件と同様、事後的にようやく適否がわかり始めるという側面を持っている。戦争という本来避けるべき行為が正当化される動機づけは、平和の回復という点に収斂されなければならない。そして、動機の正しさは、次の「戦争における正義」が要求する原則の中でも検証されることになる。
(b)「戦争における正義」
 1.区別(discrimination)の原則:武力行使の際には、戦闘員と非戦闘員を区別することが求められる。この条件のもとでは、戦う意志のない民間人や軍事施設と無関係の民間施設を攻撃することは許されない。たとえば、長崎と広島に対する原爆投下は、戦闘員への攻撃を意図したものではなかった。むしろ、民間人を直接に攻撃・殺害することを目的としていたのであり、それは「区別の原則」から言うならば、明らかに禁じられるべきことであった。近年の戦闘においては、高精度のミサイルが用いられると言え、誤爆の危険性がなくなっているわけではない。したがって、「区別の原則」に抵触するような誤爆が生じた場合、その戦闘行為はしばしば激しい国際的非難にさらされることになる。
 2.比例性(proportionality)の原則:なされた不正を正すのに必要以上の力を行使しない。「戦争への正義」の条件の一つであった「比例性」は武力行使中においても求められる。戦いで成功を収めるために投入すべき武力は必要最低限であるべきであり、それを越えると、戦いの意図が疑われることになる。

 以上見てきたように、「戦争への正義」と「戦争における正義」を検証する際の諸条件は、一つひとつとしては曖昧さがつきまとうが、全体として組み合わされた場合に、少なくとも何の条件も考えないよりは、はるかに武力行使に対する抑止効果を発揮できると言えるであろう。ただし、このような正戦論が様々な歴史的教訓の中から積み上げられてきているにもかかわらず、実際の戦争は必ずしも正戦論が示す諸条件に対し、慎重な配慮を示してきたわけではない。政治学者M. ウォルツァー(Michael Walzer)は「戦争への正義」に関して精緻な基準を立て、それと膨大な歴史上の事例を照合させていった。そうした作業からわかるのは、明らかに人道的介入が認められるような、「戦争への正義」の条件を満たした事例は、きわめて少ないということである[Walzer, 1977]。
 キリスト教神学の中で正戦論を積極的に展開した代表的人物として、P. ラムジー(Paul Ramsey)をあげることができる。彼は「戦争への正義」には関心を示さず、「戦争における正義」を強調する。彼にとって「戦争における正義」を要請するのは「隣人愛」に他ならない。それを説明するために、彼は「よきサマリア人」(ルカ10:30-37)のたとえを引き合いに出して、もしあのサマリア人が追いはぎによる犯行の現場に出くわしたとするなら、イエスは彼にどのような行為を求めたであろうか、と問いかける。また、アウグスティヌスと同様、絶対平和主義者の行動指針の一つ「悪人に手向かってはならない」(マタ5:39)に言及し、イエスは弟子たち対し、だれかが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさいと教えたが、「抑圧を受けている人間がもう一方の頬も打たれるように、弟子たちは彼の顔を上げてやるべきだとはイエスは要求しなかった」と語る[Ramsey, 1968, 143]。こうしたラムジーの主張からも明らかなように、危機にさらされている者や抑圧されている者を救い出すことこそが、愛の行為であり、そのためにたとえ武力を用いることが必要とされても、そうすべきであると彼は考える。したがって、そのような愛に動機づけられた責任を絶対平和主義者は初めから放棄してしまっているとして、彼は絶対平和主義の考えを厳しく非難する。ラムジーにとって、キリスト教の愛の倫理と正戦論とは一体不可分の関係にあるからこそ、「もし正戦論がまだ存在していないとすれば、キリスト者はそれを作り出さなければならない」と彼は言い切ることができるのである[Ramsey, 1968, 145]。
 ラムジーの理解は、正戦論をめぐる議論に大きな影響を与えたが、彼のように絶対平和主義と正戦論を完全な対立関係に置く考え方は必ずしも一般的であるとは言えない。むしろ、その間にある解消しがたい緊張関係に注意が払われてきた([Childress, 1992, 369]など)。正戦論における「戦争への正義」「戦争における正義」の諸条件が曖昧さを含んでいることからもわかるように、正戦論は諸刃の剣としての性格を有している。すなわち、正戦論は国家が簡単に戦争へと至らないような抑制効果を発揮する場合もあれば、逆に、それが、国家が戦争行為へと至るためのレトリカルな準備をする場合もある。
 また、今日の宗教多元社会においては、一つの正義を共同体として共有することはきわめて困難である。そうした事実を見過ごしてしまうと、本来、抑圧されている者を救うはずの正義が、かえって、新たな抑圧を生み出す道具となりかねない。この点に、正戦論をキリスト教社会の内側の論理として貫徹させるのではなく、むしろ、比較宗教倫理学的な視点から見直していくことの今日的理由が存在している。

(2)イスラームの場合
 2(2)において見たように、イスラームでは、アッラーのための戦いは許容されてきた。イスラームの戦争理解が取り上げられる際、一般的にジハードが「聖戦」(holy war)として翻訳されてきたが、これについては注意が必要である。なぜなら、ジハードを聖戦と等置することは概念的な厳密さを欠くだけでなく、イスラームを好戦的宗教と見なそうとする十字軍以来の偏見を助長することになりかねないからである。
 イスラームの世界理解によれば、「イスラームの家(世界)」(ダール・アル=イスラーム)と、その外部にある「戦争の家(世界)」(ダール・アル=ハルブ)に世界は区分され、イスラームの家の防衛や拡大のための戦いをジハードと呼び、それはイスラームの主権確立と関係のない世俗的な戦争、ハルブとは区別される。ジハードは、イスラームの守護とムスリムの安全の確保を目的として戦争法規にのっとって遂行されるのが、イスラーム法学上の伝統である[中田、2001、242]。もちろん、ムハンマドの時代のジハード理解と、現代のジハード理解の間には大きな変化があるが[Kelsay, 1993, 69]、正当な武力行使と不当な武力行使の区別を設けるクルアーンの伝統は受け継がれている。その意味では、何を「正当」「正義」と見なすかの基準は異なるにしても、ジハードと西欧の正戦論の間にはアナロジーが存在していると言える。正戦論者が必要な武力行使を正当化しつつ、不当な戦争を制限しようとするように、ジハードも、アッラーへの献身としての戦いを肯定する一方で、人間の欲望によって駆り立てられたハルブに陥らないように、戦いを制限する。したがって、本論文における類型に従えば、ジハードの本義は聖戦論より正戦論にあると言える。
 古典イスラーム学やスーフィズム(神との合一を説く神秘主義を核として、個人の内面を重視するイスラーム思想・運動)の伝統では、ジハードは「大ジハード」と「小ジハード」に分類される。大ジハードは信仰を深める個人の内面的戦いであり、小ジハードは(異教徒に対する)武器を取る戦いとされる。この分類に従えば、一般的に「ジハード=聖戦」とされてきたジハードとは、小ジハードのことであり、さらに言えば、この小ジハードは正戦論との関係で理解した方が適切な解釈の場を得ることができるのである。正戦論の範疇を越えるジハードについては次の聖戦論において言及する。


4 聖戦論

(1)キリスト教の場合
 神々に導かれて戦争を戦ったり、神の名のもとに戦争を行う、といった形で、戦争と信仰(宗教)が密接に結びついた聖戦の類型は、古くは古代オリエントにおいて見られる。たとえば、シュメール人は、都市国家間の戦いを各都市の所有者である神々の間の戦いとして考えていた。
 こうした傾向はヘブライ語聖書のいくつかの箇所においても見られ、その中には神の名のもとに敵を徹底して攻撃する考え方も見受けられる。「あなたの意のままにあしらわさせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない」(申7:2)、「彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした」(ヨシュ6:21)、「このように、主よ、あなたの敵がことごとく滅び、主を愛するものが日の出の勢いを得ますように」(士5:31)などは、その典型例であると言える。
 しかし、こうした古代世界に見られた聖戦論は、キリスト教には直接は受け継がれなかった。とは言うものの、その戦争類型は後の時代になって、すなわち、十字軍遠征の時代を境にして、キリスト教の中にも発現していくことになる。「かくて互いの間に平和を保つことを約したおん身らは、東方の兄弟たち、神に背く呪われた種族の脅威にさらされている兄弟たちを、救う義務を負うているのである」[ベイントン、1963、143]というウルバヌス二世のクレルモン会議での演説(1095年)に象徴されているように、イスラームはキリスト教にとって「神に背く呪われた」存在と見なされるようになっていく。しかし、こうした敵愾心はムスリムに対してだけでなく、ヨーロッパ内のユダヤ人たちに対しても向けられた。十字軍以前、ユダヤ教・キリスト教・イスラームは直接的な衝突をすることなく共存する術を備えていたと言えるが、十字軍以降は、ユダヤ教徒とムスリムはキリスト教徒にとって大きな脅威と見なされ、しばしば悪魔そのものとさえ見なされたのであった[アームストロング、2001、255]。すなわち、十字軍遠征によって、ヨーロッパ世界における反ユダヤ的態度、反イスラーム的態度は決定的なものとなり、それは後の時代にまで大きな影響を及ぼすことになる。また、十字軍によって確立したとも言える聖戦のパターンは、ヨーロッパ内部の熾烈な宗教戦争の上にも影を落としている。
 正戦と区分されうる聖戦の特徴は次のようにまとめることができるであろう。
 1.聖戦論者は戦いを善と悪の闘争と見なす。ここには正戦論に見られたような「より小さな悪を選び取る」といった比例性は存在しない。善と悪との間には絶対的かつ明確な区分が存在している。したがって、敵対勢力と戦うのは、相手が何か悪い「行為」をしたからではなく、相手が悪い「存在」だからなのである。存在論的な次元での善悪の峻別が聖戦論の第一の特徴である。
 2.聖戦論者は絶対的な目的を追求する。不正を正すのに必要以上の力を行使しない、という正戦論における「比例性の原則」は聖戦論では顧慮されない。自らの目的遂行のために敵対する悪を徹底的に打ち負かさなければならないと考える。したがって、聖戦の場合には、戦闘員と非戦闘員の「区別の原則」はしばしば無視される。また、聖戦は特定の宗教の主導によってなされるだけでなく、国家が疑似宗教的な力を帯びてなされる場合もある。
 3.聖戦論者は善と悪の対立した構図を演出するために、しばしば黙示的終末論を利用する。国家が疑似宗教的な力を手に入れ、ナショナリズムを拡張する場合、その中核に黙示的終末論が潜在していることが少なくない。善と悪の最終戦争、切迫した決断といったイメージを大衆に植え付けるために黙示的終末論は大きな役割を果たす。疑似宗教化したナチズムにおいても、この点は明瞭に認められる([小岸、2000]を参照)。また、2001年9月16日に同時多発テロ事件(9月11日)への報復を十字軍にたとえ、作戦名を「無限の正義」(infinite justice)と名付けた(内外の批判から9月25日に「不朽の自由」へと作戦名変更)ジョージ・W・ブッシュ米大統領の一連の発言の中にも同様の要素が看取される。

(2)イスラームの場合
 聖戦に関しては、キリスト教とイスラームは近似した特徴を備えていると言える。ただし、ここで言う聖戦はジハードのすべてを包含するわけでなく、むしろ先の正戦論に収まり切らないジハード(小ジハード)に限定して考えるべきである。たとえばそれは、テロリズムに代表されるように、正当な戦いと不当な戦いとの伝統的な境界設定を意図的に破棄し、無差別的な攻撃をしかけるジハードである。ジハードは本来「イスラームの家」を異教徒の侵略から守る防衛的な戦いであり、近年の例をあげれば、旧ソ連侵攻時のアフガニスタン、パレスチナ、チェチェン、カシュミールなどにおける武装闘争がそれに該当する。しかし、イスラーム復興運動の高まりと共に、防衛的な働きを越え出るようなジハード、すなわち、イスラーム世界の浄化と境界の再設定を目指す「革命のジハード」を唱えるイスラーム主義反体制武装闘争派が伸張してきた。アル=カーイダ、エジプトのジハード団などがその代表例である[中田、2001、242-243]。テロ行為をも辞さない、こうしたグループは自らの行動をジハードと見なしているが、その場合の行動原理や特徴は、先にあげたキリスト教の聖戦の特質と酷似していると言える。彼らもまた、善と悪の存在論的二元論の立場に立ち、無差別攻撃をも容認し得る絶対的な目的を掲げ、ジハードの戦死者には殉教者として楽園(天国)が約束されるという終末論を持っているからである。
 しかし、こうした立場はイスラームの中でも少数派である。それゆえ、ジハード=聖戦とすることによって、十字軍をひな形とするキリスト教の聖戦モデルがジハードの全体に不当にも投影されてしまう危険性を回避するためには、先にも述べたように、ジハードを正戦論とのアナロジーで理解する側面が必要となる。イスラームとイスラーム原理主義を区別して、前者を肯定し、後者を否定するという、西欧社会が作り出した身勝手な分類の問題性が指摘されつつあるが[内藤、2001、108]、そのような恣意的分類によるよりも(イスラームではそもそも「原理主義」という言葉を使わない)、イスラーム自体の用語法であるジハードの内実を丁寧に洞察し、それと西欧の戦争類型を照応させていく方が、概念的な厳密さに配慮しつつ、旧来の偏見を取り除いていくことに寄与できると思われる。


5 今後の展望――宗教多元社会における正義の模索

 これまで見てきた戦争をめぐる三つの類型は、あくまでも理念型であり、実際にはそれぞれの間に様々な中間形態が存在している。いずれにせよ、戦争をめぐる三類型は、国家と宗教、宗教と宗教の間の緊張関係がもたらした歴史的経緯を反映している。つまり、国家が宗教(キリスト教)に対し圧倒的優位にある場合、信仰者は絶対平和主義に基づいた生き方を選び取らざるを得なかったのであり、また、国家と宗教との間に力の平衡関係が成立するようになると、社会的責任の自覚の結果として、正戦論が育まれてきた。さらに、異なる宗教(イスラームとキリスト教)や異なる教派が直接的に衝突する事態の中で、組織的な戦争が宗教によって先導されるという聖戦の類型が生まれてきた。
 現代では、一つの戦いを聖戦と見なす者もいれば、正戦として条件付けようとする者もおり、また絶対平和主義の立場から武力行使を批判する者もいる。そのように複数の戦争類型の間に生じる緊張関係を内包しながら、社会や国家としての合意形成をはからなければならない点に、世俗化した近代社会の特質がある。しかし、戦争をめぐる三類型に対する潜在的選択能力(capability)6に関しては、社会状況による偏差が大きいと言える。たとえば、米国では聖戦論か正戦論を選択することへの許容度が、絶対平和主義を選択することへの許容度よりはるかに高い状況にあると言える。冒頭に記したハワーワスのような発言が受けとめられる素地はきわめて限られている。他方、日本では絶対平和主義を選択することへの許容度が高く、正戦論に関連する諸条件を丁寧に検証する能力は未成熟な状態にあると言える。そのことは、たとえば自衛隊の海外派遣などの是非を問う際の論点・争点の不明瞭さとして露呈している。
 戦争に関して多様な類型があることを認識しておくことは重要である。なぜなら、他者の認識構造を理解せずに、自らの立場の主張に努めることは、結果的に、複数の戦争類型に対する潜在的選択能力の偏差を容認することになるからである。どのような近代社会であっても聖戦論の誘惑に絶えずさらされていることを認識した上で、正戦論と絶対平和主義との間に無数のバリエーションがあることを「選択の豊かさ」として受けとめていく必要がある。そのようにして潜在的選択能力を向上させることによってこそ、既存の偏差を流動化し、合意への議論を活性化する道が開かれていく。同時に、そのようなプロセスを通じて、戦争をするか、しないか、という二者択一だけが論点ではないことが見えてくるであろう。戦争をしなければよい、と言うだけでは何ら問題解決にならないほどに、この世界には不条理と悲惨とがあふれている。そのような現実を直視しながら、抑圧され迫害される人々といかに連帯し、リスクを分かち合うのか、どのように和解への道を模索するかといった課題が「正義」の問題として論じられていかなければならないのである。
 宗教多元的状況の中では、正義は多元性へと開かれている必要がある。言い換えるなら、一つの信念体系の中で閉じられた正義を貫徹することは決して美徳とはならない。むしろ、異なる宗教の正義概念を理解した上で、他者の正義を徹底していくことを自己の正義の一部として引き受けていくことが新たな美徳とされるであろう7。また、異なる正義概念が激しく衝突しようとする際に、それらが決定的な戦いへと移行しないために、両者の共存可能条件を政治的・経済的・宗教的に設定することは、国際社会が必要としている新たな知恵に属するのである。




※本論文は、2002年3月に開催された日本基督教学会近畿支部会での研究発表に大幅な加筆・訂正をしたものである。また本論文は、2001年度同志社大学学術奨励研究の成果である。

1 ここではR. H. ベイントン(Roland H. Bainton)が用いてから広く採用されている絶対平和主義、正戦論、聖戦論の三つの類型を踏襲することにする[ベイントン、1963、5]。
2 [Johnson; Kelsay, 1990]は西洋とイスラームの正戦論を比較研究した先駆的な書物の一つであるが、類書は決して多くない。
3 R. ニーバー(Reinhold Niebuhr)もまた、1940年に著した評論「なぜキリスト教会は絶対平和主義ではないのか」の中で絶対平和主義を二種類に分けた上で、政治的な動機によらない伝統的な絶対平和主義を肯定し、他方、政治的に動機づけられた現代の絶対平和主義を厳しく批判している。主な批判点は次のようなものである。(1)プラグマティックな絶対平和主義者は人間の罪の深さを認識していない。(2)新約聖書における無抵抗の戒め(マタ5:39)は、非暴力的に抵抗することとは異なる。(3)抵抗しなくても専制政治は自ずと滅ぶと考えることは歴史的事実に反する[Niebuhr, 1992]。
4 ハワーワスの言葉の全文は次のアドレスにおいて見ることができる。http://www.sojo.net/news/index.cfm/action/display_archives/
mode/current_opinion/article/CO_010702h.html

5 クルアーンからの引用は[井筒、1957-1958]によっている。また、引用したクルアーン本文の番号付けはカイロ版に準拠している。
6 経済学者A.セン(Amartya Sen)によれば、「潜在的選択能力」は様々なタイプの生活を送るという個人の自由を反映した機能のベクトルの集合として表される[セン、1999、60]。それは個々人が持っている資源や基本材によって評価されるのではなく、価値ある生き方を選択する自由が実際どのくらい享受されているかによって評価される。
7 大澤は、アフガニスタンでの戦争を終結させるためには、軍事攻撃ではなく、むしろ、イスラームの五行六信の一つ「定めの喜捨」を徹底して行うこと、すなわち、イスラームの視点に正義と映ることを行うことが必要であると論じている[大澤、2001]。


【引用文献一覧】
アームストロング、カレン 2001 『聖戦の歴史――十字軍遠征から湾岸戦争まで』(塩尻和子、池田美佐子訳)柏書房。
井筒俊彦(訳) 1957-1958 『コーラン』(上)(中)(下)岩波書店。
内村鑑三 1990 『非戦論』(内村鑑三選集2)岩波書店。
大澤真幸  2001 「大規模な喜捨=援助が『見えない敵』をあぶり出す――支援投下に見る戦争終結の萌芽」、『論座』(朝日新聞社)2001年12月号、94-105頁。
キケロ 1999 「義務について」(高橋宏幸訳)、『キケロー選集』9、岩波書店、125-352頁。
小岸昭 2000 『世俗宗教としてのナチズム』筑摩書房。
セン、アマルティア 1999 『不平等の再検討――潜在能力と自由』(池本幸生他訳)岩波書店。
内藤正典 2001 「ムスリムの心情と一体性を理解せよ――来るべき『文明の衝突』を避けるために」、『論座』(朝日新聞社)2001年12月号、106-113頁。
中田考 2001 『イスラームのロジック――アッラーフから原理主義まで』講談社。
ハワーワス、スタンリー;ウィリモン、ウィリアム・H 1999 『旅する神の民――『キリスト教国アメリカ』への挑戦状』(東方敬信、伊藤悟訳)教文館。
ベイントン、ローランド・H 1963 『戦争・平和・キリスト者』(中村妙子訳)新教出版社。
ヨーダー、ジョン・H 1992 『イエスの政治――聖書的リアリズムと現代社会倫理』(佐伯晴郎、矢口洋生訳)新教出版社。
――――― 1998 『愛する人が襲われたら――非暴力平和主義の回答』(棚瀬多喜雄訳)新教出版社。
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