研究活動

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ダライ・ラマ法王を囲む「21世紀の〈智と実践〉討論会」(奈良)

dalailama1.JPG 2003年11月5日(水)午前中、奈良ホテルでダライ・ラマ法王を囲む「21世紀の〈智と実践〉討論会」に参加しました。
 メンバーは仏教関係者を中心に8名。周りにはオブザーバーや報道関係者60名ほどが取り囲んでいました。
 最初にダライ・ラマが簡単なスピーチをして、それを受けて、参加者が簡単なスピーチをしたり、テーマの流れに即した比較的自由な討論がなされました。
 わたしは以下のような質問をダライ・ラマに投げかけました。

 ダライ・ラマ法王は瞑想や宗教だけでは今日の問題を解決することはできず、科学的な方法を十分に用いなければならないと言われた。わたしも、法王の姿勢に共感するし、その意味で、徹底したリアリストの立場を取っている。それを前提にした上で、次のような問題を感じている。

1)宗教は科学の暴走に歯止めをかけることができるというが、果たして、そうだろうか。あるいは他の方が発言したように、仏教はその自然思想を通じて環境問題の解決に貢献できるという主張を聞くが、果たして、そうだろうか。具体的に何も問題解決のモデルを示していないのに、解決できるかのようにいうことはむしろ「幻想」ではないのか。
 深い洞察をもった宗教は、固定化された幻想(fixed dellusion)を払拭すべきなのに、伝統宗教はかえって幻想を作り出し、知性をにぶらしているのではないか。もし、何らかの問題解決ができるというのなら、具体的なモデルを示すべきであると思うが、いかがお考えか。

2)法王は対話が必要であると強調されるが、今日の世界には対話を拒絶するような国家や集団も存在している。たとえば、単独主義と批判されている米国がそうであるし、また、チベットの独立を認めようとしない中国も同様であろう。対話を拒絶する者と対話をすることの困難を世界が感じている。法王は、非暴力、アヒンサーの大切さを説かれれた。わたしもその重要性を十分に認識している。しかし、アヒンサーを唱えるだけで、戦争を防ぐことができるのだろうか。非暴力の主張は、イラク戦争を阻止することができたのだろうか。

3)法王は宗教の間の調和や対話の必要性を説かれた。その通りであろう。しかし、すべての宗教が善意の発露として機能しているわけではなく、むしろ、今日問題とされる紛争や暴力は、しばしば、宗教との関係を指摘されている。日本においては、1995年にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。オウムは宗教と科学がいびつな形で結合した一つの例であった。きわめて反社会的、そして破壊的、暴力的な宗教勢力は今も存在する。すべての宗教を同列に置くことができないとすれば、よい宗教と悪い宗教をある程度区別する基準が必要ではないか。少なくとも、宗教に潜む悪を洞察するための価値規範が必要なのではないか。それなしに、宗教間のハーモニーを説くことは安易に過ぎるように思うが、いかがお考えか。

dalailama2.JPG  ざっと、こういうった趣旨のことを質問しました。たいていの質問は笑顔で聞き流されてしまうのですが、わたしのこの質問に対して、何と10分近くもかけて返答してくださり感激しました。返答の中で印象的だったのは、イラク戦争に言及された次のような発言でした。

 イラク戦争は確かに起こった。しかし、二つの世界大戦の頃と比べてほしい。世界大戦のときには、ほぼすべての国民が戦争に巻き込まれ、戦争に荷担する総力戦となった。しかし、イラク戦争勃発に先立って、世界中で反対のデモが起こり、米国内においても、大きな反対運動が起こった。戦争を防ぐことができなかったにしても、世界大戦の頃と比べた場合の、この変化は大きい。
 わたしは楽観主義者である。希望を持って、世界がよい方向に進んでいることを信じたいのだ。

 座談会は90分くらいでした。終了後、ダライ・ラマから、チベットのストールのようなもの(名前を忘れました。写真参照)をいただきました。

 ダライ・ラマはなかなか魅力な人でしたが、それは次のような点にあると感じました。

1)話がわかりやすい
 日本の仏教者のいうことは、よくわからない話が多いのですが、それとは対称的です。決してうまいとは言えない英語を使って、シンプルだけれども、ストレートに伝わってくるメッセージを語ります。日本の仏教関係者に見習ってほしい点です。

2)笑顔がすばらしい
 難しい話をしていても、聞いていても、笑顔が絶えません。年を取ると、何となくシブイ表情になっていきがちですが、ダライ・ラマを見ていると、笑顔のすばらしさを再認識させられました。ダライ・ラマ自身が、わたしの質問に対する返答の中で「わたしは楽観主義者だ」と言っていましたが、それとも関係しているのでしょう。多くの人が、ダライ・ラマのような笑顔をもっていれば、世界はもっと平和になるだろう、と思ってしまうほどでした。

 わたしなりにダライ・ラマの印象を一言でまとめるなら、リアリストであり、オプティミストであることを同時に体現している人物である、ということです。この世のリアリズムを解しないオプティミストはしばしば無責任となります。また、オプティミズムを解しないリアリストは、しばしば周囲に窮屈な思いを強いることになります。リアリストであり、かつ、オプティミストであることは決して簡単なことではありません。しかし、ダライ・ラマの屈託のない笑顔を見て、二つを同時に兼ね備えることの希望と可能性を身近に感じることができました。