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研究活動

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武田龍精先生退職記念論集刊行会編『武田龍精博士退職記念論集 科学時代における人間と宗教』法蔵館、2010年

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宗教・科学・哲学等国内外の幅広い分野で活躍する研究者による論集。親鸞浄土教の、比較思想研究と現代におけるその研究意義を問う書。

【目次】
第一章 科学時代における人間と宗教
第二章 宗教の哲学的解釈
第三章 日本仏教の展開と課題
英文論文


第一章所収「近代国家における宗教と科学の錯綜──秩序への挑戦か、迎合か」

小原克博

一 はじめに
 近代国家において、科学の発展は産業の興隆や軍事力の強化に直結する、まさに国家の生命線を担っていた。したがって、科学の発展は一国を豊かにするだけでなく、その力がしばしば他の国に対し、脅威として映ることもあった。海外との交流の扉を長く閉ざしていた日本が、開国と共に、近代国家としての自立を目指した背景には、西洋近代科学に対する「憧れ」と、それからの「脅威」という相反する感情が伏在していたことは言うまでもない。
 日本に限らず、非西洋圏における近代国家の多くは、西洋科学を、それに付随する価値観と切り離し、社会の近代化に寄与しうる知識や技術として導入しようとした。日本においても、西洋的な価値は、日本の伝統的な価値に対し「脅威」を与えるものとして警戒された。その際、迫り来る脅威への防波堤として「宗教」が政策的に利用されたことは、宗教と科学の関係を考える際に見過ごすことのできないコンテキスト(文脈)として存在している。
 本稿では、近代国家における宗教と科学の関係を問うていくが、両者は、異なる論理(文法)によって組み立てられた二つのテキストと見立てることができる。異なる言語間において翻訳や解釈が必要とされるように、異なるテキスト世界を関係づけるためには、ある種の論理や作法が必要である。実際、両者を積極的に関係づけたり、そもそも関係ないものとして棲み分けたりする議論は、すでに多数見受けられるが、両者のテキストそのものが付置されているコンテキストの解釈学は、まだ十分な展開を見せていない。そこで本稿では、近代日本を中心的な事例として、近代国家成立以降、宗教の側から科学を考察の対象とする際、どのような解釈基盤が求められるのかを明らかにすると同時に、両者の政治的機能を分析する。

※続きは、本書をご覧ください。