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研究活動

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事典項目「宗教的原理主義の台頭」、日本社会学会社会学事典刊行委員会編『社会学事典』丸善、2010年

 考察の対象を限定するために「宗教的原理主義」(religious fundamentalism)という表現が使われることもあるが、多くの場合、「原理主義」という言葉そのものに「宗教的」というニュアンスを含んで用いられている。もちろん、広く意味をとれば「非宗教的」な原理主義が存在しないわけではない。あるいは、国家に代表されるように、そもそも「非宗教的」な共同体が、ある危機的な局面で「原理主義的」になり、同時に「宗教的」になるということもある。近代日本において流布した日本主義(1925年、蓑田胸喜らが結成した「原理日本社」はその一例)やアジア主義、国民統合の原理としての天皇イデオロギーなどをその類例と見なすこともできるであろう。
 このように原理主義という言葉を広義かつ多義的に用いることができる一方、今日、「原理主義」の台頭を考える際には、より限定された意味に注意を向ける必要がある。しかし、原理主義の定義をめぐる議論は百花繚乱で、それはこの概念に学問的中立性・公平性を与えるのが容易ではないことを示している。実際、原理主義は「イスラーム原理主義」という形での使用頻度が圧倒的に多いが、イスラーム研究者の間では、他称かつ蔑称である「イスラーム原理主義」という表現を学術用語として用いることに対する反対論が根強く存在している。そこでは代わりに「イスラーム(復興)主義」などの言葉が好んで用いられる。

■起源としてのキリスト教原理主義者
 では、原理主義という言葉は、どのような経緯を経て、イスラームに適用されることになったのか。この言葉の歴史的起源は、1910年代、米国において、キリスト教保守派が進化論や聖書の文献批評学などの近代主義と対決するために用いた「自称」としての原理主義(者)にある。その呼び名は、1910〜1915年に刊行された「根本的なもの(The Fundamentals)―真実への証言」という12巻の小冊子のタイトルに由来する。
 もともと神学の専門用語であった原理主義という言葉が、社会一般に流布するきっかけを作ったのは、1925年、テネシー州で行われた「スコープス裁判」であった。この裁判では、進化論を公教育で教えることの是非が争われた。進化論を教えて訴えられた生物学教師スコープスは敗訴したが、結果的にこの裁判を通じ、原理主義者の考え方は、科学に反する前近代的思想として嘲笑の的とされ、この時代以降、原理主義者たちはいったん社会の表舞台から姿を消すことになる。
 ところが1960年代以降、こうした動きに変化が現れる。カトリックでは、第二バチカン公会議(1962〜65年)において様々な変革が提示されたが、それに対し、変化を拒絶し、伝統教義に立ち返ろうとする人々が「原理主義者」と呼ばれた。アメリカのプロテスタント保守派は、1960年代以降、自らを「福音派」(Evangelicals)と呼び始め、かつての原理主義的イメージからの脱却を目指しつつ、社会の道徳的退廃を批判し、伝統的価値に立ち返ることを強調した。特に1980年代以降、政治的な保守回帰の動きを支える集団として社会的に注目を集めるようになり、特に大統領選挙の際には、宗教保守層の動向が選挙の勝敗に少なからぬ影響を及ぼしてきた。

■「イスラーム原理主義」の誕生と時代史的背景
 1979年、イランでイスラーム革命が起こることによって、アメリカはイスラーム勢力の台頭に対する警戒心を強めていった。この時期以降、それまでもっぱらアメリカ国内のプロテスタント保守派に対して用いられてきた原理主義という言葉が、イスラームに転用され、「イスラーム原理主義」という表現が広まっていくことになる。そこでイメージ(想像)されたイスラーム原理主義には、キリスト教原理主義から「反近代主義」という意味が転写されていた。さらに、そこには「反西洋」というネガティブなイメージが付加されていた。イスラーム原理主義という言葉が流布するにつれて、キリスト教徒が、20世紀初頭のように誇らしい自称として原理主義者を名乗ることは、ほとんどなくなる。
 以上のように、狭い意味で「宗教的原理主義」の台頭と呼ばれる現象は、20世紀初頭のアメリカにおいて始まり、いったん否定された後、20世紀後半に政治と強く結びつく形で、再度復興してきた。そして、ほぼ同時期にイラン・イスラーム革命を筆頭に、イスラーム世界においても、単なる信仰復興運動にとどまらない、しばしば政治と深く結びついた宗教運動が現れてくる。アメリカにおいて典型的に見られたように、原理主義の台頭は、特定の社会状況と強い結びつきを持っていた。近代主義や、カウンターカルチャー以降の道徳的退廃に対する危機意識がそこにはあった。また、イスラーム社会においては、国内政治の腐敗、西洋的価値観の過度の流入に対する危機感があった。危機意識に対する表現方法は異なるが、いずれの場合も、単に宗教伝統の内部的刷新にとどまらず、自らを取り巻く社会に対し積極的に働きかけ、結果として政治的な関わりを深めていく点に、今日の宗教的原理主義の特徴を見ることができる。
 宗教的原理主義台頭の中心的エージェントとして、キリスト教とイスラームを取り上げてきたが、これら一神教のみに原理主義的特性を限定することはできない。たとえば、多宗教国家インドにおけるヒンドゥー・ナショナリズムの台頭は、原理主義という視角から有用な分析を加えることができる。それは植民地時代以降、西洋近代に対する抵抗原理として機能しながら、今日では西洋の政教分離論を利用し、換骨奪胎する中で自らの理念を訴えている。キリスト教やイスラームなどは「私的領域」に属する宗教であるが、ヒンドゥーは、宗教を越えたより包括的な「公的領域」に属すると考える。宗教的原理主義が要求する政治性とは、しばしば、この「公的領域」における影響力の行使を意味する。
[小原克博]