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研究活動

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研究発表「生物多様性に対する神学的考察」、日本基督教学会 近畿支部会、2011年3月29日


1.はじめに──生物多様性とは何か
 生物多様性は生態系の豊かさやバランスだけでなく、生物が過去から未来へと伝える遺伝情報の多様性を問題にしている。したがって、環境問題に歴史的な次元を加え、自然や動物と人間の宗教史的な関係の多様性を評価し直す上でも、生物多様性は有益な視点を与えてくれる可能性がある。
 生物多様性は、近現代のキリスト教においては、進化論論争として現象化していた。ただし、進化論論争が創造論を中心主題としていたのに対し、現代の生物多様性をめぐる問題は終末論への親和性を持つ。自然災害は突発的なカタストロフィーをもたらすが、生物多様性は、漸進的なカタストロフィーを暗示している。

2.現代神学における生物多様性への手がかり
1)無生物に対する畏敬── H. リチャード・ニーバーの徹底的唯一神主義(1960)
 シュヴァイツァーの「生への畏敬」を「生けるものの共同体という単一神主義(henotheism)」として批判し、「徹底的唯一神主義(radical monotheism)は、死せるものへの畏敬をも含む」として、それが非有機的存在への畏敬をも含むと主張する。(Niebuhr 1993: 37)
 一神教概念の新しい可能性が示されているが、観念的なレベルにとどまっている。
2)環境の神学──サリー・マクフェイグ:「神の体」(The Body of God)
 世界を「神の体」とみなすメタファーとしての有効性と共に限界も自覚している。"I am not even afraid of pantheism; the line between God and the world is fuzzy" (McFague 2008: 120).
 示されている神学的ビジョンは有益。しかし問題は、この世界にどのような形で神の霊が宿っているかではなく、むしろ、人間が自らの「身体性」をどのように自然世界に拡張できるかにあるのではないか。また、自然と人間をつなぐ媒介項(たとえば動物)に対する言及はほとんどない。
3)動物の神学──アンドリュー・リンゼイ:「寛大さ」の倫理(弱者の道徳的優先権)
「私が示唆したいのは、権利の概念は道徳神学と十分に両立するものであり、それは動物をも含むように正しく拡張されるのが正しいということである」(リンゼイ 2001: 20)。
 権利論を中心に主張を展開。非西洋圏ではどの程度有効か。

3.動物と人間の関係をめぐる歴史的考察──生物多様性の多様な前史
1)動物供儀──動物を殺すことによって生じる罪責感
 ヘブライ語聖書における焼き尽くす捧げもの(ホロコースト):神と人の断絶
 農耕文化における動物供儀:神人共食、動物供養
2)聖書の自然観・世界観──神による創造、人間による支配
 アウグスティヌスはストア派の動物観の影響を受けた。動物は理性を持たないので、人間は動物に対して道徳的な責任を負わないという考え方が、後の(西洋)キリスト教においても支配的になる。
3)日本の伝統的な動物観──神・人・動物の交流(身体的連続性)
 欧米の動物権利論では、動物を権利主体と見なし、倫理的共同体の中に取り入れる。変身譚の比較:[グリム童話] 人間から動物へ(疎外のシンボル)、[日本の昔話] 動物から人間へ(交流の物語として)
4)動物の家畜化
 動物の家畜化(道具化)が極度にまで進んだ現代においては、動物の犠牲や絶滅は、私たちにとっての直接的な痛みにはならない。動物に対する繊細な関係を失ったとき、「ヒトは産業による動物の虐殺を超え、他のヒトを強制収容する技術を洗練させて、ついにはヒト自身の大量殺戮へと向かうことにもなったのだろう」(鷲田 2009: 313)。強制収容所という例外空間は、我々の日常から遠く離れているのではなく、現代社会の中に内在化されてしまっている。「今日における哲学のさまざまなアポリアは、動物性と人間性とのあいだで還元されぬままに引き裂かれ張りつめているこの身体をめぐるアポリアと符合するのである」(アガンベン 2004: 25)。

4.アニミズムの復権というディスコースに対する批判
1)日本の自然観の優位性を説く文化ナショナリズム
 しばしば一神教批判を伴う(一神教と多神教をめぐるディスコースについては、小原克博『宗教のポリティクス』第四章を参照)。この種の議論は環境問題に対する責任意識を麻痺させるため、有害な側面を持つ。安易に「自然との共生」などを説くことができないほど、人間による自然破壊が深刻であることを「生物多様性」は教える。
2)呪術的畏れの回復ではなく、科学的手法による「畏敬の念」の回復
 アニミズム的世界観においては、動物と人間の間には不断の緊張関係があった。現代人とペットの関係のような、弛緩した友愛的関係ではなかった。暴力的に命を奪うことに対しては「祟り」という呪術的な畏怖の念がつきまとった。アニミズムの前提となる、そうした呪術的恐怖を現代社会に回復することは不可能。ここでは、呪術的概念に回帰せずに、自然に対する「畏敬の念」を回復するための科学的手法として「生物多様性」を理解する。呪術的メカニズムが全体的連関を考慮しない閉じた因果論であるのに対し(悪行→祟り)、「生物多様性」は閉じることのない生命の連鎖と系譜へと視線を向けさせる。

5.結論──生物多様性から見える課題
1)地域別の環境戦略(生物多様性保護)の必要性:生物多様性は環境意識に「具体性」を与える。
2)動物と人間の関係への関心の喚起。それに基づく社会学的洞察(ホロコースト)の進展。
3)人間中心的ではない間身体的認識。サクラメントの生物学的次元の認識。
 西洋では「身体」は人間(個人)の専有物。日本では、身体は人間と動物の「間」にあるものとして理解することができる。サクラメントを広義の身体理解のためのアナロジーとして用いることができる。イエスと信仰者の「間」には新しい身体性(キリストの体)が形成される。新しい身体性の認識としてサクラメントを広義に解釈すれば、動物供養の中にさえ、サクラメンタルな側面を見いだすことができる。生命圏へと拡張されるサクラメント解釈。

【引用文献】
アガンベン、ジョルジュ 2004 『開かれ──人間と動物』平凡社。
リンゼイ、アンドリュー 2001 『神は何のために動物を使ったか──動物の権利の神学』教文館。
鷲田清一 2009 「人間性と動物性」、林ほか編『動物観と表象』岩波書店、305-313頁。
McFague, Sallie 2008 A New Climate for Theology: God, the World, and Global Warming. Minneapolis: Fortress Press.
Niebuhr, H. Richard 1993 Radical Monotheism and Western Culture: With Supplementary Essays. Louisville: Westminster John Knox Press.