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研究活動

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パネル発表「宗教間教育とは何か──その必要性と課題」、日本宗教学会 第73回学術大会、パネル「宗教多元時代における宗教間教育の実践とその課題」、同志社大学、2014年9月13日

20140913.jpg1.宗教間教育とその周辺

1)概念の整理
 宗教間教育(interfaith education)という言葉は、欧米ではキリスト教のエキュメニカル運動などを起点とし、異なる宗派間・宗教間での相互の学びという意味で広く使われてきた。しかし、日本での認知度はまだ低いので、最初に、隣接する概念との関係の中でその位置づけと目的を示したい。
 宗教間教育が、広い意味での宗教教育(religious education)の一部であることは言うまでもないが、両者の間には対象(宗教)との距離に関して違いがある。一般的に宗教教育が、信仰の有無にかかわらず、客観的な宗教知識教育を提供しようとする、あるいは、特定の宗教の内部教育(宗派・宗門教育 confessional education)であると考えられるのに対し、宗教間教育は信仰を前提としながら、それとは異なる信仰との関係に関心を向ける。つまり、宗教間教育は、その対象との距離に関して、宗教知識教育と宗派教育との間に位置すると言うことができる。
 宗教間教育と表裏一体の関係にあるのが宗教間対話(interfaith dialogue)である。宗教間対話では、特定宗教の優位性を否定する多元主義(pluralism)モデルが理想とされることが多い。しかし、宗教間教育は必ずしも多元主義的な信仰理解を目指すものではなく、むしろ、排他主義(exclusivism)を克服しようとする包括主義(inclusivism)の立場に近いと言える。

2)「間」を課題とする意味──私自身の経験から
 私がドイツに留学していた1980年代終わりから1990年代始めにかけて、いくつかの大学の神学部でイスラームの授業がカリキュラムに組み込まれ始め、私も、その最初の学生として、それらの授業を履修した。トルコ移民を中心とするムスリム住民の増加にともない、様々な軋轢が生じ始めていたことが、その背景にあったと考えられる。ドイツでは宗教改革の時代から、イスラームに対する敵対的な感情があったため、それを現代において再現しないためにも、キリスト教とイスラームの「間」に対する学問的関心があったと言える。実際の授業でも、イスラームやクルアーンを教えるものだけでなく、キリスト教や聖書との関係を扱うものもあった。また、この時期を境に、キリスト教とイスラームの関係を論じた専門書も続々と刊行されてきた。
 こうした変化には、その前史と、それに続くさらなる変化がある。「間」を問う前史とは、第二次世界大戦後のキリスト教とユダヤ教の関係である。ドイツではホロコーストへの反省を踏まえた神学教育が徐々に整えられ、未曾有の悲劇は、まさに両宗教の「間」の機能不全が引き起こしたという認識のもと、両者の関係の再解釈・再構築に大きな教育的エネルギーが注がれた。これはイスラームとの対話に先立つ宗教「間」教育と言えるだろう。
 ところが、こうした宗教間教育がなされてきた一方で、9.11以降、ドイツ国内におけるムスリムへの態度は一変することになる。それまで一般的には「外国人労働者」(Gastarbeiter)として見られていたトルコ人たちが、突如として「ムスリム」という視角から見られるようになったのである。それは宗教アイデンティティの「スティグマ化」を進行させることになった。
 9.11以降のこうした変化は、ドイツだけでなく、多かれ少なかれ、ムスリム移民を多数抱えた他のヨーロッパ諸国においても見られた。その帰結として、2010年から翌年にかけて、ドイツのメルケル首相、イギリスのキャメロン首相、フランスのサルコジ大統領(当時)らが、立て続けに多文化主義の失敗を表明することになった。こうした混迷と緊張の中で、ヨーロッパにおける宗教間教育は困難な歩みを進めているが、それゆえに大きな社会的ニーズがあるとも言える。それに対し、現在の日本では緊張感を伴った宗教間の対立は存在していない。では、日本には宗教間教育の必要性はないのだろうか。その問いに答えるために、次にK-GURSの事例を通じて、日本における課題を考えてみる。

2.K-GURSを事例として

1)教育と研究の宗派・宗教間インフラとして
 K-GURSは一年の準備期間を経て、2005年に設立され、七つの宗教系大学院(九つの研究科)が共に協力しながら、教育と研究に関わる様々な事業に取り組んできた。今年、新たに皇學館大学が加盟することにより、仏教および一神教に加え、神道をも視野に入れた教育・研究活動を展開することができるようになった。K-GURSの中心的な事業は、単位互換制度、チェーン・レクチャー、研究会、院生発表会(交流会)、公開シンポジウム、加盟各校の行事等の情報共有と告知、機関誌『京都・宗教論叢』の刊行などである。
 高野山大学や皇學館大学のように京都から遠隔地にある加盟校もあるが、ほとんどの加盟校は京都市内の近接する場所に位置し、K-GURSは交流する上で地の利を得ている。しかし、以前は近くにあっても、一部をのぞけば、相互の交流や情報交換はほとんどなされていなかった。つまり、将来の僧侶や牧師は自校の宗派的・宗門的伝統の中でのみ教育を受け、比較の視点から、自らの伝統を相対化して見る機会はきわめて乏しかったと言える。こうした状況に対する危機意識がK-GURS設立の動機付けの一つにあった。


2)情報発信と国際化
 設立されてから10年近く経とうしているK-GURSの課題として、この数年議論されているものに、情報発信と国際化がある。情報発信に関しては、YouTubeによる動画配信(研究会・講演会)を開始し、ウェブサイトを大幅リニューアルした(CMSとレスポンシブ・ウェブの導入)。国際化に関しては、米国仏教大学院(Institute of Buddhist Studies)と協定を結んだり、時々、海外から来日中の研究者に研究会で発表を行ってもらう、といったことをしている程度で、本格的な国際化からは遠い状況にある。
 日本宗教に関心のある海外の学生や研究者から、K-GURSでの受け入れに関する問い合わせが時々来るが、こうしたニーズにK-GURSとして応える仕組みは備えておらず、加盟各校への打診を促すにとどまる。こうした点を含め、K-GURSは、上述の米国仏教大学院が加盟している神学大学院連合(Graduate Theological Union, GTU)とは、組織運営の仕組みがかなり異なる。米国、とりわけ西海岸・東海岸では宗教の多元化が進んでおり、宗教間教育に対するニーズは高いと言える。こうした社会背景の違いがあるとはいえ、GTUと比較することによって、K-GURSが目指すべき地平と確認すべき限界も、より明らかになってくると思われる。この点については、那須英勝氏(龍谷大学教授)による発表「宗教間教育の実践とその評価─海外の事例との比較を通じて─」において紹介される。


3)共通の課題を発見・共有していく道筋──専門性と汎用性(普遍性)
 K-GURS加盟各校は、それぞれが帰属する伝統の中で宗門・宗派の聖職者(研究者)を養成してきており、その専門性は今後も維持されていく。しかし、社会環境が急激に変化していく中で、専門性の保持が各教団とその伝統の存続、さらにはその社会的位置づけを将来にわたって保証してくれるわけではない。少なくとも、他の宗門・宗派と交流し、共通の課題を発見し、共有することによって、自らの伝統の輪郭をより広い社会的コンテキストの中で描き出し、社会とのインターフェイス(interface)を拡充することができるはずである。言い換えるなら、宗教間教育は専門性を汎用性や(真理の)普遍性へと接続していく試みでもある。実際、そうした事例を単位互換科目における院生同士の交流の中に見ることができる。この点に関して、安永祖堂氏(花園大学教授)による発表「宗教間教育の可能性を考える─単位互換科目の現場から─」から実例を紹介してもらうことになる。
 最後に、海外での宗教間対話に数多く参加してきた私の経験から、宗教間教育において考えるべき普遍性(国際性)という課題について付け加えたい。近年、サウジアラビアやカタール、ヨルダンなどが国策レベルで主導する宗教間対話のための国際会議が開催されるようになってきた。9.11の影響であることは言うまでもないが、欧米のキリスト教主導ではない、新しいタイプの宗教間対話が進められていること自体は歓迎すべきであろう。問題は、日本宗教の位置づけである。イスラームから見れば、実質的に仏教や神道は「宗教」ではなく「文化」のカテゴリーの中で扱われることが多い。これはイスラームの宗教観や仏教・神道に対する理解不足を反映したものであるが、同時に、仏教や神道の関係者がこうした場で、自らの考えを適切に表明していないことも理由としては大きい。もし、K-GURSの宗教間教育を通じて、仏教諸派や神道に連なる大学院生が一神教世界の現実に触れ、対話の作法について理解を深めることができれば、将来的には、京都でなされた宗教間教育が国際舞台における宗教間対話へと結実する可能性もあるだろう。
 以上のことから、日本の宗教界の次世代を担う人々がインターフェイス(interfaith)な学びを通じて、社会や世界とやり取りしてくためのインターフェイス(interface)を強化していくこと、そこで得られた知識と経験を自らの伝統へと柔軟にフィードバックしていくことを、宗教間教育の長期的な課題と考えたい。



パネル「宗教多元時代における宗教間教育の実践とその課題」
 「宗教間教育とは何か─その必要性と課題─」小原克博(同志社大)
 「宗教間教育の可能性を考える─単位互換科目の現場から─」安永祖堂(花園大)
 「宗教間教育の実践とその評価─海外の事例との比較を通じて─」那須英勝(龍大)
 コメンテータ:井上順孝(國學院大)