研究活動

研究活動

科学研究費補助金(基盤研究(C))「科学技術時代における宗教倫理の展開──「不在者の倫理」の構築」(2017-2020年度)

研究目的(概要)

 本研究は、科学技術が人間の欲望を先導する時代において、宗教倫理の視点から、現代世代の倫理的責任を明確化し、世代を超えた新たな公共性の認識を拓くことを目的とする。近代国家における公共性は、現代世代の人間の利益を最大化することを前提とし、科学技術はそのための道具とされてきた。こうした近代的枠組みを批判し、過剰に人間中心的でも、現代世代中心的でもない倫理規範を提示するためには、死者(過去の不在者)の想起や未来世代(未来の不在者)への責任意識が欠かせない。本研究では、それを「不在者の倫理」としてとらえ、過去および未来に従来別々に向けられてきた倫理的関心(責任)を統合する。そこから現在の存在者である我々が負うべき具体的な課題を、「食」「犠牲」「記憶」をキーコンセプトにして、展開する。

 

1.研究の学術的背景
(1)着想に至った経緯

 申請者はこれまで宗教間(特に一神教間)の平和構築、宗教と政治、宗教の公共性および倫理的役割の考察に取り組んできた(小原克博『宗教のポリティクス』2010年、等)。歴史的な経緯を押さえつつ、時代の要請にどのような宗教学的な応答ができるのかが申請者の中心的な関心事の一つであり、直近の科研費「3.11以降の環境文化とエネルギー政策の倫理的基盤の構築」(平成25-28年度)においては、3.11東日本大震災によって顕在化した社会的・倫理的諸問題への応答を試みた。そのような取り組みの中で、これまでの研究成果を国際的な舞台で検証するために、2015年、ドイツ・エアフルトで開催された国際宗教史学会(IAHR)において "How can the religious communities contribute to tackling the contemporary ethical problems?"というタイトルで研究発表を行った。そこでは、3.11以降の原発に対する日本の宗教界からの評価、復興支援への取り組み、政治的な右傾化と宗教をめぐる考察にとどまらず、まだ試論の段階ではあったが、科学技術に牽引される現代社会を批判的に対象化していく視点として「不在者の倫理」(Ethics of the Absent)を提示した。それは簡潔に言えば、過剰に人間中心的でも、現代世代中心的でもない新たな公共性を形成するために、過去および未来における不在者を記憶・想像することによって、現在の存在者である我々に対し具体的な責任を喚起する倫理的枠組みである。その研究発表の際、まだ萌芽的なアイディアに過ぎなかった「不在者の倫理」に対し、マイケル・パイ氏(マールブルク大学名誉教授、IAHR元会長)が高い関心を示して下さり、それをぜひ展開すべきという助言を与えてくれた。その後、この概念を学会等で発表しながら、その学問的意義を検証し、現時点での到達点を論文「不在者の倫理──科学技術に対する宗教倫理的批判のために」(『宗教と倫理』第16号、2016年)としてまとめた。

 これまで申請者は、一神教研究に深く関わりつつ、その研究成果をいかにして日本社会に還元することができるかという課題を追求してきた。過去十数年の間、21世紀COEプログラムにはじまり、一神教研究のために大型の研究助成を得てきたが、そうしたプログラムの審査(ヒアリング)、中間および最終報告で、審査員によって関心を持たれ、問われ続けてきたのが、まさにこの点であった。申請者のこれまでの研究成果を日本の文化土壌に接合させつつ、世界に通用する学問的提言をするために必要な、申請者自身の研究の本格的な「総括」として本研究を位置づけている。

 

(2)研究の動向

 3.11以降の状況、とりわけ、それが引き起こした原発問題に対し、日本の宗教界からも様々な声明が出されたが、島薗進はそれらをまとめ、ドイツの「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」との対比を行っている(「福島原発災害後の宗教界の原発批判──科学・技術を批判する倫理的根拠」、『宗教研究』87-2、2013年)。これらの声明は震災直後の宗教界の考えの一端を知る上で貴重であるが、いずれの論点も数行でまとめられているに過ぎず、また、これ以降、日本の宗教界あるいは宗教研究において宗教倫理的な議論が十分に展開されてきたとは言い難い。
 他方、急速に変容しつつあるとはいえ、伝統宗教の多くは「過去の不在者」(死者)との対話の作法を有している。死者を生者の世界から排除しようとする現代人が、死者との穏やかな共存を再現することはもはやできない。しかし、そうした時代がかつてあったことを自覚することによって、我々が立脚する現在の地平を相対化することはできる(佐藤弘夫『死者の花嫁──葬送と追想の列島史』2015年)。また、環境問題や持続可能な社会の形成に関して、従来、「未来世代の倫理」がテーマ化されてきた。その先駆的な役割を担ったハンス・ヨナスが示すように、地球規模の持続可能性を考えるためには未来世代への責任原理を欠くことはできない(ヨナス『責任という原理──科学技術文明のための倫理学の試み』2000年)。言い換えれば、「未来の不在者」に対する倫理的責任の認識が必要なのである。しかし現状では、以上のような過去に対する倫理的視線と未来に対する倫理的視線は、ほとんど接点を持っていない。これら過去と未来に向けられた別々の倫理的ベクトルを統合し、相補的に強化する視点として「不在者の倫理」を本研究は構想しており、それは先行研究には見られない新しい取り組みである。

 

2.何をどこまで明らかにしようとするのか

 「現在の存在者」の利益を最大化するために用いられる科学技術を、ただ現代世代の利害関係、現代世代の公共性の内部において批判するだけでは十分ではない。宗教学や宗教倫理においてなし得る固有の働きは「過去の不在者」にかかわる豊穣なリソースを活用し、同時に「未来の不在者」に対する想像力を活性化することを通じて、過去と未来に対する倫理的射程を拡大し、それによって現代世代に課せられた責任を喚起することである。その目的のために、本研究では以下の三つの倫理的視点(いずれも過去と未来を接続)を設定し、具体的な細部を掘り下げていく。

 

(1)食の倫理:現代世代が未来世代に残されるべき様々な資産(食・エネルギー・自然環境)を先食いしている現状を実証的に分析すると同時に、その倫理的な課題を明らかにする。英語圏では2005年頃からキリスト教神学の領域において、食を問う研究が本格化している。そういった先行研究も十分に視野に入れて、国際的な議論に対応できるようにする。

 
(2)犠牲の倫理:動物供犠や犠牲は人類史的に見れば、宗教的行為の中核を占めていた。また、近代国家は伝統的な「犠牲」の観念を迷信として破棄したのではなく「犠牲のシステム」としてアップグレードさせた。こうした歴史的経緯を踏まえながら、特定の人々や特定の地域に犠牲を強いることによって成り立っている社会構造やエネルギー供給に対して宗教倫理的な視座から批評を行い、科学技術によって駆り立てられている人間の消費行動が、どのような犠牲のもとに成り立っているのかを明らかにしていく。

 
(3)記憶の倫理:伝統宗教は何世紀にもわたる経験を記憶・継承する作法を有している。人間・自然・動物の関係史(宗教史)を顧みながら、世代間倫理(inter-generational ethics)に接続可能な「記憶の倫理」を明らかにしていく。この領域においては、ホロコーストの記憶をめぐる社会学的研究など、参考になる先行事例が比較的豊富にある。

 

 以上のような三つの宗教倫理的基軸を統合するプラットフォームとして「不在者の倫理」を構築し、「過去の不在者」と「未来の不在者」を統合的に見、その中間存在としての「現在の存在者」(現代世代の我々)を倫理的に止揚する道筋を明らかにしていく。

 

3.学術的な特色・独創的な点及び予想される結果と意義

(1)倫理的議論の多様性への貢献:原子力エネルギーをはじめとする科学技術に対し、わが国では安全性や経済効果の視点から論じられることがもっぱらで、その倫理的次元が深められることは決して多くない。本研究は、宗教倫理的な視点から、伝統宗教(特に日本宗教)の中にある「公共性」(人間・動物・自然の関係性、生者と死者の関係性、生命と非生命の関係性、等)を現代にふさわしい形で展開することによって、新たな議論の地平を開く。さらにそれがグローバルな倫理的課題との接点を提供することが予想される。

 
(2)関連分野を架橋する学際性:科学技術・エネルギー・宗教・文化等を、宗教倫理を接合面として総合していく学際的な研究成果が期待できると共に、宗教学の新たな学際性を提示できる。

 
(3)国際社会への具体的提言:持続可能な社会を実現し、将来世代に負の遺産を残さないことは多くの国にとって危急の課題となっている。申請者が有している国際的なネットワークを通じて、本研究の成果を発信することにより、新たな関心領域の開拓が予想される。