小原克博 On-Line

研究活動

研究活動

科学研究費補助金(基盤研究(C))「ポスト・セキュラリズム時代の比較宗教政策研究──信教の自由、政教分離を中心に」(2009-2012年度)

【要旨】
 本研究では、「世俗的」「宗教的」といった二項対立的な概念規定では描写することのできない現代社会の変化を「ポスト・セキュラリズム」としてとらえ、その理論的構築を目指すと同時に、その具体的な事例とそれに対する政策的な対応を分析することを目的とする。その際、各国の政策的な取り組みを特徴付ける指標として、信教の自由および政教分離に注目する。ただし、これらは近代西洋に思想的ルーツを持つ考え方であるため、それが非西洋世界においてどのように受容あるいは拒否されているのかを慎重に考察する。特に、西洋型(特にアメリカ型)の信教の自由、政教分離理解にしばしば反発してきたイランや中国における状況に着目することによって、非西洋世界におけるポスト・セキュラリズム研究の重要性をも明らかにしていきたい。
1.本研究の学術的背景
 本研究の学術的背景には、旧来の世俗化論と、1980年代以降急速に進んできた、世俗化論に対する根本的な見直しがある。伝統的な世俗化論では、社会の近代化と共に、遅かれ早かれ、どのような社会においても宗教の支配的影響力は減退し、世俗化は不可逆に進行すると考えられていた。確かに、ヨーロッパ社会は典型的にそのような状況を示していた。しかし、1980年代以降、世界の各地で現れた宗教復興運動が一過性のものでないことを認め、代表的な世俗化論者たちがその理論の修正を余儀なくされた(Peter Berger ed., The Desecularization of the World, 1999)。世界のグローバル化の進展は宗教のグローバル化にも連動してきたが、とりわけ、9.11同時多発テロ事件以降の世界においては、宗教勢力の復興と地域紛争(テロを含む)との結びつきが各地で顕在化するようになった(この問題については、科学研究費による研究課題「宗教多元社会における正戦論の考察─比較宗教倫理学の視点から」[平成14-15年度]において考察した)。
 典型的に世俗化が進んだと考えられてきた西洋社会においてすら、従来のようにsecularとreligiousを二分法的に切り分けること、すなわち「世俗的なもの」を公的領域に、「宗教的なもの」を私的領域に整然と配置することが困難になりつつある。これは西洋が、キリスト教中心的な社会から宗教多元的な社会に移行してきた結果でもあるが、世俗的なものと宗教的なものを対立的にとらえ、両者の間に境界壁を設けるのでなく、むしろ相互に関係づける法的・政治的・政策的な作法を求めようとする動機付けが、ポスト・セキュラリズム研究の出発点にある。ユルゲン・ハーバーマスのようなヨーロッパを代表するリベラル派知識人たちが、公的領域における宗教の位置づけについて積極的に発言するようになったことも、ポスト・セキュラリズム研究の追い風となっている(ハーバーマス、ラッツインガー『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』2007年;J. Habermas, Between Naturalism and Religion, 2008)。近年、欧米の諸大学でポスト・セキュラリズムをテーマにしたシンポジウムなどが開催されているが、実際、この種の研究は始まったばかりで、そのことは、ポスト・セキュラリズムをタイトルに含む単行本(欧米語圏)が、まだほとんどないことからもわかる。
 この研究に近接する領域に公共宗教論があり、それについては国内外で研究の蓄積がある。しかし、公共宗教論では、西洋社会におけるカトリックやプロテスタントに代表されるように、特定地域ですでに社会的影響力を持っている宗教の機能分化(変容)を研究対象とすることが多い。それに対し、本研究では宗教マイノリティを積極的な考察の対象とし、その方法論的視座として「信教の自由」と「政教分離」を用いる。これまで科学研究費による研究課題「非欧米型宗教間対話と政治状況の相関関係─東アジア・中東を中心にして」(平成18-20年度)などを通じて、西洋的起源を持つ政教分離原則が、非西洋世界においては、社会や国家の近代化の要請のもと、様々な葛藤を引き起こしてきたことを考察してきた。そして、西洋のリベラル・デモクラシーが前提とする寛容の原則や(宗教的)多元主義を、非西洋世界に単純に適用することはできず、そこには、しばしば宗教的価値と結びついた相応の理由があることを見いだした。
 本研究では、思想・宗教研究を中心としてきたこれまでの研究を、さらに実際的な政策レベルの課題に結びつけていくことを目的とする。また、これまでの研究では西洋および東アジア・中東を比較的広範囲に、そしてその意味では対象をいくぶん抽象化して扱ってきた面があるが、本研究では、比較のための対象領域をアメリカ、中国、イランに限定し、具体的な宗教政策をめぐる現況を把握する。
 アメリカは建国の理念にまでさかのぼる基本的人権の基礎に信教の自由を据えている。その精神は、国務省が過去10年来、毎年刊行し、国務長官が発表する「宗教の自由報告書」(Religious Freedom Report)にも反映されている。その報告書では各国の状況が網羅的に記されているだけでなく、宗教(信教)の自由に関して問題のある国々が指摘されている。中国、イランは絶えずそのリストの中に入れられており、この報告書が発表されるたびに、強い反発の姿勢を示してきた。結論的に言うなら、この件に関し、これらの国とアメリカとの間には、まともな対話のチャンネルすら存在していないのが実情である。中国もイランも、世俗と宗教の関係を扱うために西洋とは異なるモデルを有しており、その点で、ポスト・セキュラリズムの類型を考察する上で格好のケーススタディとなる。すなわち、中国におけるチベット問題や、イランにおけるシーア派宗教指導者による統治体制に起因する問題など、西洋的・アメリカ的アプローチだけでは解決困難な問題群に内在している(宗教的)価値観や秩序原理を明確にし、ポスト・セキュラリズム時代にふさわしい対話の糸口を見いだすことが、本研究の目的となる。
2.本研究の目的
(1)理論構築および概念整理
 西洋社会をモデルとして構築された伝統的な世俗化論に対する根本的な見直しがなされてきた。その研究史的な動向を整理する。そこでは非西洋世界における動向にも関心が向けられつつあるとはいえ、西洋化や近代化(世俗化)への抵抗を含む宗教運動(宗教ナショナリズム)との関連づけや、宗教・世俗の二分法で整理することできない別種の秩序原理に対する比較研究が十分になされているとは言えない。基本概念の批判的再検討をはじめ、こうした課題を包括する形で、ポスト・セキュラリズム研究の基礎理論の構築を行う。
(2)宗教政策の実情の把握・分析と類型論の構築
 上記の基礎理論を裏付けるためのケーススタディをアメリカ、中国、イランを中心に行う。各国の宗教政策に関する一般論をまとめるのではなく、相互の価値観の衝突の背景を探ることに焦点を絞る。また、西洋型の信教の自由、政教分離理解が前提としている事柄(リベラル・デモクラシー、多元主義など)が普遍的な価値として通用するのか(させるべきなのか)を、具体的な政治的・政策的事例研究を通じて明らかにする。その成果に基づき、グローバル社会における宗教政策の類型論を構築し、価値観の過剰な対立や衝突を抑制するための手がかりを提言する。
3.本研究の学術的意義
 本研究の学術的な特色・独創的な点および予想される結果・意義は下記の通りである。
(1)新しい学問領域の開拓
 ポスト・セキュラリズム研究は、欧米では近年注目されつつあるが、日本ではまだ未開拓の分野である。それに着手し、学問的基礎付けを行うことの意義は大きい。また、本研究は非西洋における宗教(宗教マイノリティを含む)と宗教政策の関係(それは、しばしば反西洋的特徴を有する)に着眼しており、その点で、欧米のポスト・セキュラリズム研究に対し、批判的な貢献をなすことも予想される。また、まだ類例の少ない比較宗教政策研究の礎石となる意義も大きい。
(2)関連諸分野を架橋する学際性
 基本的な価値観をめぐる軋轢が実際の紛争を招く例は少なくない。宗教・思想研究と政策研究を有機的に結びつけることを目指す本研究は、思想信条にかかわるディスコースと、社会(国家)統治にかかわるディスコースとの間を橋渡しし、両者の対話可能性を拡充することが期待される。
(3)日本における政教分離理解への寄与
 国内では自己充足的な形で議論されがちな政教分離論に対し、本研究は、政教分離や信教の自由が持つ、国際社会における問題の複雑さと重要性を示し、議論の深化への一助となる。