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研究活動

研究活動

科学研究費補助金(基盤研究(C))「3.11以降の環境文化とエネルギー政策の倫理的基盤の構築」(2013-2016年度)

研究成果

(2016年度)

(2015年度)

 

(2014年度)

  • Presentation "The Metamorphosis of Religion in the Public Sphere: In the Battle with Modernization and Secularism", TOBB Economics and Technology University, Ankara, Turkey, Feb 5, 2015.

 

(2013年度)



研究目的(概要)

 本研究の学術的背景には、(1)3.11東日本大震災以降、あらためて認識されることになった近代的自然理解と日本の伝統的な自然理解との違いをどのようにとらえ、調停するかという課題、(2)原発の稼働と再生可能エネルギーの開発のバランスを模索している日本社会に対し、安全性や経済効果に還元しきることのできない倫理的な判断基準をどのように提供できるのかという課題、(3)未来世代に対する責任倫理を、いかに構築するのかという課題が横たわっている。いずれの課題も、宗教や宗教文化と深い関わりを持っていること手がかりにして、これら三つの課題を総合することにより、環境文化とエネルギー政策を同時に視野に入れ、3.11以降の国内議論のみならず、国際社会にも提示可能な倫理的基盤を構築することが本研究の目的となる。



1.本研究の学術的背景

(1)自然理解の相克と調停
 3.11以降、原子力エネルギーをはじめとする自然の力を人間は管理できるという近代的な自然観への見直しが強くなった。そうした議論の中には、原子力技術を一神教の産物として非難し、日本の伝統的な自然観へと立ち帰れという主張もあった(中沢新一『日本の大転換』2011年)。脱原発の言説の中には、たとえば梅原猛に代表されるように「草木国土悉皆成仏」の思想(万物の等価性)を再評価し、人間を自然の支配者と見なす西洋的自然観から脱却すべきと訴える論調も、繰り返し見られた。
 しかし、西洋近代的なもの(一神教的価値)と日本的なもの(多神教的価値)を対立的にとらえ、後者を礼賛する形で、問題解決の糸口を与えるかのような手法に、安易に組みすることはできない。むしろ本研究で明らかにしたいのは、こうした現状を踏まえた上で、異なる価値観や自然観を架橋する視点をどのように獲得できるのか、ということである。これまで私は一神教研究に深く関わりつつ、その研究成果をいかにして日本社会に還元することができるかという課題を追求してきた(小原克博『宗教のポリティクス──日本社会と一神教世界の邂逅』2010年)。過去10年の間、21世紀COEプログラムにはじまり、一神教研究のために大型の研究助成を得てきたが、そうしたプログラムの審査(ヒアリング)、中間および最終報告で、審査員によって関心を持たれ、問われ続けてきたのが、まさにこの点であった。したがって、これまでの研究成果を日本的な文化土壌に接合していく本格的な作業を、本研究を通じて行いたいと考えている。
 なお、本研究では、自然と人間の関係を問う際の媒介項としての動物に注視する。そのことは、わが国の宗教文化・環境文化を把握する上で必須のことであるが、同時に、ジョルジュ・アガンベンをはじめとする現代思想家も動物と人間の関係に関する論考を精力的に著しており(アガンベン『開かれ──人間と動物』2004年)、近代的な人間観を批判的に検証する上で、動物を視野に入れることは現代思想の潮流の一つでもある。

(2)エネルギー政策を考えるための倫理的基盤
 今日、わが国でエネルギー政策を議論する際には、もっぱら安全性や経済効果に論点が集中し、その倫理的側面に関心が及ぶことがきわめて少ない。しかし、今後早急に、原発の再稼働や再生可能エネルギーの方向性を決めていく必要があり、そのプロセスの中で倫理的判断を欠くことはできない。
 3.11の後、ドイツが明確な脱原発へと踏み出したことはよく知られているが、その際、メルケル首相が重視した報告書は、キリスト教関係者3名を含む15名の委員から構成された「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」が5月30日に提出したものであった。報告書の中では、ドイツのキリスト教会が積み上げてきた議論が反映されていた。原発は安全性や経済効果の視点だけではなく、未来世代に残す自然環境の質に関わる倫理的な問題として議論されたのであり、その倫理的議論にかみ合う神学的・宗教社会学的作業が蓄積されていた。ドイツと日本とでは、宗教が置かれている社会的状況が異なるとはいえ、いずれの国においても、宗教が社会における長期的な価値形成に果たす役割を決して過小評価すべきではない。
 私はこうした課題を意識しながら、日本社会が原子力エネルギーとどのように向きあってきたのかを、キリスト教神学の学術書(英語)に寄稿したが(依頼原稿、"Creation and Apocalyptic Crises in Japan: A Theological Lesson Learned from the Hiroshima, Nagasaki and Fukushima Disasters"2012)、その論考がキリスト教系では世界最大のニュースメディア Ecumenical News International に記事として取りあげられ(8月3日)、多くの反響を得ることができた。今なお多くの国で、宗教倫理的な価値規範は重要な役割を果たしており、エネルギー問題に関して国内事情に対応するだけでなく、国際社会に対しても積極的な問題提起を行っていきたい。

(3)未来世代に対する責任倫理
 3.11において生じた突然の離別、そして埋葬や葬儀さえ許されなかった大量の死者は、死者と生者の関係を国民的なレベルで問い直すきっかけを与えることになった。また同時に、福島第一原発の放射能汚染は、まだ生まれていない未来世代に対する心配を大きく駆り立てることにもなった。このように、3.11は、死者と未来世代と、今、生きている我々との関係をめぐる問いを突きつけた。死者との関係を取り結ぶ作法を、多くの日本宗教が持っているが、そうした伝統的な「非存在者への倫理」を土台の一部としながら、未来世代を対象とする「非存在者への倫理」を構築することを本研究は目指す。未来世代は、現代世代の行為の影響を直接に受ける利害主体である。3.11以降の被災地支援を通じて、宗教の「公益性」が話題とされることが多くなったが、「非存在者への倫理」を、広い意味での公益の一部として位置づけ、未来世代に対する責任倫理の基盤を構築する。


2.研究期間内に以下のことを明らかにする

(1)日本の近代的自然観が確立し、それが科学や科学政策に影響を与えたプロセスおよび、近代日本の国策の中で、科学と宗教が補完的な役割を果たしてきたプロセスを明らかにする。この課題の基礎作業は次の論考においてなされているので、さらにそれを展開していく。小原克博「近代国家における宗教と科学の錯綜──秩序への挑戦か、迎合か」、2010年。

(2)近代以前の日本の自然観の中で、動物が果たしてきた自然と人間との間の媒介的な役割を考察する中で、日本の自然・人間関係の独自性を探ると共に、それが近代化のプロセスの中で、どのように失われ、現代の自然観(人間中心的な自然観)に影響を及ぼしているのかを明らかにする。また、日本における独自性の追求だけでなく、それが現代思想の中で積極的にテーマ化されている動物・人間関係とどのような関係を持ちうるのか、その普遍的側面をも明らかにする。

(3)一神教的伝統における世界観・自然観が近代科学に及ぼした影響、および、日本をはじめ東アジアの宗教文化(多神教的文化)における科学の受容プロセスを考察して、一神教的価値と多神教的価値を対立的にとらえず、むしろ関係づけるための宗教倫理的基盤を明らかにする。

(4)原子力エネルギーに対する倫理的な議論が、主要国および宗教界において、どのようになされてきたのか資料収集し、宗教的価値観とエネルギー政策の相関関係を明らかにする。

(5)公益・公共概念を、日本の環境文化および宗教文化の中で解釈し直し、近代的な理解の枠組みから排除されてきた要素を明確にすることによって、死者や未来世代を視野に入れた「非存在者への倫理」を構築し、現代世代の倫理的責任の基盤を明らかにする。


3.本研究の学術的な特色・独創的な点および予想される結果・意義は以下の通りである

(1)関連分野を架橋する学際性
 自然環境・宗教・文化・動物理解・エネルギー政策・倫理を、環境文化や宗教文化を接合面として総合していく学際的な研究成果が期待できると共に、宗教学の新たな学際性を提示できる。

(2)国際社会への問題提起および具体的提言
 エネルギー政策をそれぞれの文化の中で適切に定着させ、同時に将来世代に負の遺産を残さないことは、世界の多くの国にとって危急の課題となっている。その手がかりを具体的に提言する。

(3)宗教(宗教文化)と公益・公共性への新たな視点
 宗教を社会の中にどのように位置づけるかは、グローバルな課題であるが、西洋型の政教分離とは異なるモデルを提示することは、国内のみならず他の文化圏に対しても大きな意義がある。