KOHARA BLOG

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情報化社会の人間理解

 昨日、宗教倫理学会公開講演会で、渡辺哲夫先生の話を聞くことができました。質疑応答に参加できなかったのは残念でしたが、講演部分だけでも十分刺激を受けることができました。
 詳細はいずれ宗教倫理学会HPでご紹介できると思いますが、まず全体として受けた印象は次のようなものです。
 渡辺先生は統合失調症の患者さんと長い間向き合ってきた体験から、人間はコンピュータ的な情報理解などでは、とても把握できないほど複雑な存在であることを語られました。死者と生者を明確に区分することも、きわめて近代的・西欧的な考え方であって、両者の関係性なしには向き合うことのできない病理的な問題もたくさんあることを示唆されたように思います。
 現代人(特に若い世代)は、人よりも多く、そして早く情報を喰らうことに価値を置き、その喰らった情報をどんどん排泄していく。そんな情報概念に支配された人間に、「もののあわれ」などわかるはずがない、とも語られました。意味深長ではないですか。

 情報やメモリーの考え方で、人間を語ることはできない、人間の実態をデジタル化することなどできない、という出張は、単に情報化社会への警鐘として意味があるだけでなく、長年の臨床体験に裏付けられた見解であるだけに説得力がありました。

 このBLOGでも、いろいろなことを伝えようと思い、つれずれなるままにあれこれを記していますが、いくらがんばっても生身のわたしを伝えることはできません。わたしと会って知っている人が、文章を読む場合と、まったく面識もなく文章を読む場合とでは、おのずと受け取り方も異なってくるでしょう。

 わたしはインターネット授業や動画のストリーミング配信をしてきましたが、同時に、それでは補いきれない部分を講演などの機会において伝えようとしてきました。
 いくら情報化社会が進んだとしても、人と人とが直接に会うことを完全に代替することなどできないでしょう。出会いの妙技を楽しむこともまた、これからの社会ではいっそう大切にされるべきだと、あらためて感じました。

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