KOHARA BLOG

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CIMOR研究会報告

040612

 1週間遅れになりましたが、一神教学際研究センター(CISMOR)の部門研究1「一神教の再考と文明の対話」の6月研究会の報告をします。
 メインスピーカーはアメリカ研究科のZikmund先生でした。中田先生(イスラーム学)には短い時間でイスラームにおける宗教間対話について話してもらいました。
 実は、Zikmund先生は今年度で退職され、退職後はアメリカに戻られるので、今回は無理を言ってお願いしました。今年11月に予定されている「一神教聖職者交流会議」(詳細は、いずれここでご紹介します)のco-chairをやっていただいている関係もあって、Zikmund先生とは、普段、頻繁に打ち合わせ等をするのですが、学問的な面だけでなく、実務面でも、非常にすぐれた能力を持っている方です。
 この両方の面を兼ね備えている大学の先生は、意外と少ないものです。

 研究会の内容をまとめるのは大変なので、出席者の一人、大学院生(後期課程)の上原さんに書いてもらった報告を掲載します。正式なものとするためには、少し手直しが必要ですが、論点はきちんとまとめてくれているように思います。

スケジュール(6/12)
1:30-1:35 挨拶
1:35-3:05 発表:バーバラ・ジクムントBarbara B.Zikmund(同志社大学アメリカ研究科教授)
       "Issues Facing Monotheistic Religions In the United States"
3:05-3:35 発表:中田 考(同志社大学神学部教授)
       「イスラームにおける異教徒との共生」
3:35-3:45 休憩
3:45-3:55 コメント:小原 克博(同志社大学神学部教授)
3:55-4:05 コメント:石川 立(同志社大学神学部教授)
4:05-5:15 ディスカッション
5:30-7:30 懇談会(自由参加)

研究会概要
今回行われたジクムンド氏、中田氏の両発表は何れも「宗教間対話」への関心をその根底に持つものであった。
ジクムンド氏は宗教間対話の必要性を説く。未曾有の宗教的多様性を見せる今日のアメリカにおいては、何れの信仰体系も他の信仰体系と関らざるを得ない。その際、一神教的信仰を持つ諸団体は必然的にある問題に直面する。つまり、唯一神を信仰の中心に持つために他宗教を否定するような嘗ての排他主義を乗越えて、他宗教に対し敬意を持って接しなければならず、なおそれが一神教の信仰を保ちつつなされねばならないという問題である。この「一神教の直面している最大のチャレンジ」の事例研究として、1999年にNCC(the National Council of Chursches)から提出された”Marks of Faithfullness”や、それに関ってきた自身の経験を挙げ、さらにその課題も指摘した。何れにせよ、現代のアメリカ社会において宗教間対話は必須であり、それは単に他宗教との関係のみならず、宗教的多元化によって再編を迫られている自らの信仰理解にとってもそうなのである。
一方で中田氏は昨今殊更に推奨されている宗教間対話に懐疑的である。というのも、殊更に宗教間対話を行うことにより、両教義間の差異がますます強調され、結果として両者の衝突を増加させる恐れがあるからだ。とりわけそのことは対話をする両者の間に権力的不平等が存在する場合に当て嵌まる。この場合、誰がその宗教の代表者となるのか、また、その代表者は何を目的として対話をするのか、といったことが「強者の動機」「弱者の動機」を中心に遂行され、結局、平行線を辿る非建設的な議論とならざるを得ない。寧ろ、目指されるべきは法的安定性であり、対話から「宗教」を除くことによる共存のシステムである。この法的安定性のモデルとして中田氏はイスラム教が異教徒との共存のために採用した「庇護契約モデル(イスラム国際法モデル)」を挙げる。イスラムのMissionは「宣教」ではなく、法治空間の拡大である。それ故、公法に抵触しない限り、私的領域においては各宗教の自治権が認められるのである。この公私の区別は古典的イスラム都市(バザール)に見られ、そこではモスク=私的空間とバザール=公共空間が区分されつつ安定を保ち、各宗教の共存が成り立っていたのである。
コメンテーターの小原氏は前者の発表に対し、”Marks of Faithfullness”の成立にどの程度他宗教の代表者が関与したのか、アメリカにおける保守系ユダヤ人(Messianic Jewsなど)の親イスラエル的な態度の歴史的ルーツは何か、また「対話」の内実は何かを質問し、石川氏は後者の発表に対し、比較的安定した時代のイスラム国際法モデルが宗教的多元性の著しい今日においてどれ程有効であるのかを質問した。
両者の質問から、中田氏の言うように固定化された教義同士のすり合わせとしての対話は確かに虚しいが、現実的な生活レベルでの信仰理解を切り開く宗教間対話は現代において確かに必要であるということが確認された。質疑応答では、宗教間対話の現状や、日本のコンテキストでの読み替えなどを巡って議論が進んだ。
(CISMOR奨励研究員・神学研究科 上原 潔)

■Barbara Brown Zikmund
https://members.aol.com/doshishagsas/bbzbio.html

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