KOHARA BLOG

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エルサレム旧市街地

 今日は、エルサレム旧市街を中心に、かなりの距離を歩きました。写真もたくさん撮ったのですが、その一部を紹介しながら、エルサレムの情景の一部をお伝えしたいと思います。

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オリーブ山にて

 最初にオリーブ山に行きました。オリーブ山には、イエスが主の祈りを教えたと言われるような場所や、そのほか、いわくつきの場所が多数あるのですが、どれも歴史的な根拠は、あまりありません。
 何と言っても、ここでの最大の魅力は、旧市街地の全景を見渡せるということでしょう。上の写真のわたしの右手後方には、小さいですが、黄金の屋根を持つ「岩のドーム」が見えています。


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嘆きの壁

 エルサレムの旧市街を取り囲む城壁には8つの門があります。その一つ、Dung Gateをくぐって、嘆きの壁が見える場所に行きました。このあたりにアプローチするためには、厳しいセキュリティ・チェックを取っていかなければなりません。
 暴動などがあってから、強化されたようです。ちなみに、15年前、わたしが初めてエルサレムに行ったときには、こうした検問はまったくありませんでした。時代の変化を感じさせられます。
 上の写真の嘆きの壁の前をよく見ていただくと、三つのセクションに分かれているのがわかるかと思います。一番奥が男性用の場所、手前が女性用の場所、真ん中が、そのどちらにも行きたくない人の場所であるらしいです。主に、男性・女性の区別をすることを快く思わない改革派のユダヤ教徒(Reform Jew)の人たちのセクションになっています。ちなみに、イスラエルにおいては、正統派のユダヤ人(Orthodox Jew)は、アメリカでは比較的多い改革派のユダヤ教徒たちの考え方にかなり拒絶的な姿勢を示しています。


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岩のドーム

 嘆きの壁の先を少し進むと、岩のドームが見えてきます。岩のドームは、ムハンマドが昇天したと信じられている場所です。中には、巨大な石がありますが、現在では、一般観光客は中に入ることができません。15年前には中に入ることができました。


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ヴィア・ドロローサ

 定番ですが、イエスが死刑判決を受けてから、十字架を背負い、十字架にかけられ、葬られるまでの道のりをたどる「ヴィア・ドロローサ」(悲しみの道)をたどっていきました。14のステーションがあります。半分くらいは、聖書の記述よりも伝説に基づいています。これらは映画『パッション』でも取り入れられています。
 上の写真は、その道の一風景ですが、真ん中に銃を持った若いイスラエル兵が見えるかと思います。エルサレムのいたるところに、銃を持った兵士が立っており、この風景は15年前から変わりません。平和な(平和ぼけした?)日本とは対照的な風景です。


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聖墳墓教会

 ヴィア・ドロローサの終着点は聖墳墓教会の中にあります。上の写真は、十字架からおろされたイエスが布にくるまれたと言われている場所です。記念の壁画の前には、たくさんのロシア系ユダヤ人の観光客がたくさんいました。イスラエルには、ロシアからの移民がかなりたくさんいます。
 最近は、フランスやドイツに戻っていくユダヤ人たちも多くなってきたと聞きました。ホロコーストの傷跡がいまだに深くありますが、ドイツ政府の手厚い補償などもあって、ドイツでのユダヤ人の数は、近年増加傾向にあります。ただし、その多くはシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)に通う宗教的なユダヤ人ではなく、あまりそうしたことには関心を示さない世俗的ユダヤ人のようです。
 それゆえに、ユダヤ人の数が増えても、シナゴーグの数はあまり増えないのです。わたしが4月にベルリンを訪れた際にも、大きなシナゴーグが一つしかないといった事情は、こうしたことと関係しているのです。

 昼間は暑いですが、風があったので、比較的過ごしやすかったです。夜は、もう寒いくらいです。

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