KOHARA BLOG

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イスラエル最終日

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ハイファ

 カルメル山からハイファを眺めた風景です。ハイファは、テルアビブ、エルサレムに次ぐ、イスラエルで三番目に大きな町です。
 カルメル山は南北に20キロほど延びる山で、特に目立った頂上はないのですが、ヘブライ語聖書(旧約聖書)には、預言者エリヤがバールの預言者(異教の預言者)たちと戦ったという、いわれのある山です。


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2000年前のナザレの再現

 地中海とガリラヤ湖の真ん中あたりに、イエスが育ったナザレの町があります。ナザレのYMCAに隣接する場所に、2000年前の風景を考古学的な検証に基づいて再現したという場所がありました。3年前にできたばかりのものです。ワインやオリーブ油を作る道具などは、すでに他の場所でも見ていましたが、当時の家やシナゴーグの再現を見たのは初めてだったので、興味深かったです。
 上の写真は、ロバを使って小麦をひいている(脱穀している)風景です。


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告知教会

 ナザレで、イエスの母マリアは天使ガブリエルから、イエスを身ごもる告知を受けた聖書は記していますが、それを記念した告知教会(Church of Announciation)があります。どういうわけか、訪れた時間にはゲートが閉まっていて中にはいることができませんでした。
 ここには、世界中から聖母子を描いた絵が集められており、日本からは着物を着たマリアの絵が送られているようです。


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ナザレのマーケット

 上の写真はナザレの大通りに面する場所にあるマーケットです。狭い道の両脇に、所狭しと、いろいろなお店が立ち並んでいます。

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教会の前のモスク建築予定場所

 昔のナザレは、牧歌的な田舎町であったのかもしれません。しかし、今のナザレは、たくさんの人が住み、交通渋滞が絶えない、にぎやかな町になっています。
 そして、ここはユダヤ教やキリスト教徒より、はるかに多くのイスラム教徒が住んでおり、今やイスラム教徒の町としての性格が強くなりつつあります。
 上の写真は、教会の真ん前に建築予定のモスクの工事現場の入り口部分です。教会よりはるかに大きなモスクを教会に隣接して建てる、という傾向は、イスラエルの他の場所でも見られるようです。
 こうしたモスク建築のお金は地元の人が出しているわけではありません。オイル・マネーで潤っているアラブ諸国から資金が入って、イスラム教がキリスト教より優位に立っていることを示そうとする意図があるようです。
 建物の大きさで競い合っても意味がないと思いますが、これが今の世界の複雑な現実の一部を照らし出していることにも注意を払う必要があるでしょう。

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ガリラヤ湖

 ナザレから少し東に行くと、ガリラヤ湖が広がっています。ここは死海と違い淡水湖なのですが、英語ではSea of Galaleeという間違った呼び名が一般的になっています。本来は、Lake of Galaleeとなるはずです。ただし、ガリラヤこの数カ所では、地底から塩水が噴き出しています。その意味では、まったくの淡水湖でもないのですが。

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St. Peter's fish

 ガリラヤ湖は、イエスが最初の弟子たちを集めた場所としても知られています。その一人にペトロがいます。ペトロは後に、初代ローマ教皇ということになりますが、もともとはガリラヤ湖で魚を捕る漁師でした。
 そのペトロが当時捕っていたと言われているのが、上の写真のSt. Peter's fishです(本当の名前が何なのかは知りません)。白身が多く、とてもおいしかったです。


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パンに群がる魚

 そのSt. Peter's fishの稚魚と思われる小魚が、レストランの近くに群がっていました。ピタと呼ばれるパンを投げ込むと、百匹ほどの小魚が、わんさか近寄ってきます。また、そのパンをねらって、70cmはあると思われる、大きなナマズが水面に現れてきました。
 ちなみに、ユダヤ人はナマズを汚れた魚として食べることはありません。これは、ユダヤ教の食事規定によるのですが、うろこのない魚を食べることは禁じられているのです。ちなみに、うなぎも、ユダヤ教徒は食べません(わたしは大好きですが・・・)。


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ペトロの家

 ガリラヤ湖の北端にはカペナウムという町があります。ここには人はあまり住んでおらず、昔の居住地を再現した場所があります。
 そこには、ペトロが住んでいたのではないかとの言い伝えのある場所もあります。
 上の写真はペトロの像です。この場所を、2000年にヨハネ・パウロ2世が訪ねたそうです。
 この像を見ると漁師であったペトロと、イエスから天国の鍵を授けられたペトロとを見ることができます。


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メギド

 カペナウムを後にして、ウエスト・バンクの西側を通るルートで、空港のあるテルアビブに向かいました。途中、分離壁もありました。また、このあたりは、アラブ系住民が多く住んでいるので、途中、たくさんのミナレットが目に入りました。イスラエルが、ユダヤ教徒の国であるだけでなく、すでにたくさんのイスラム教徒が住んでいる国であることを端的に感じることができました。

 上の写真は途中で通過したメギドです。メギドは、ハルマゲドンとしても知られています。ヨハネ黙示録に記されている、世界最終戦争の起こる場所として有名です。もっとも、今のメギドはただの平坦な土地で、特別に世界の終わりを想起させるような場所ではありません。
 しかし、ハルマゲドンという言葉が一人歩きして、世界の終わりに関する様々なイメージを喚起してきたことは、おもしろいと思います。終末論のテーマですが、これについては、また違う形で言及したいと思います(わたしの専門分野の一つです)。

 このあとテルアビブのホテルを午前2時に出て、空港に向かい、他の国では考えられないほどの厳重なセキュリティ・チェックを受け、今、アムステルダムにいます。

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