KOHARA BLOG

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モハッゲグダーマード師に聞く

041111

 11月10日、イラン科学アカデミー学部長のモスタファ・モハッゲグダーマード師を迎え、同志社大学で少人数のセミナーを開催しました。文化庁が主催する会議に出席するために来日されていたのですが、それならついでに、ということで、同志社に来ていただきました。モハッゲグダーマード師はかなりの高位聖職者でもあります。
 TIME誌が最近イスラーム特集をしたときも、モハッゲグダーマード師のコメントが取り上げられていたので、欧米世界でもかなり知名度の高い方であることがわかります。イランの高位聖職者でありながら、欧米型民主主義に対しても肯定的な評価をするベラルな側面を持っています。
 今回のセミナーでは"Western Democracy from the View of Islamic Studies"というタイトルで話をしていただきました。欧米の民主主義が個人に立脚するのに対し、イスラーム型民主主義はコーランに基礎をおく、という大きな構造から入って、細かな違いや共通点を語られていました。
 わたしは、イスラーム型民主主義がコーランに基づくといっても、その解釈は一様ではないのであり、見解が分かれた場合、どのように調整するのか、と質問しました。また、モハゲグダーマード師はTIME誌でもリベラルな人物として紹介されいましたが、実際に、イランでそのような立場に同調する人はどれくらいいるのか、といったことも聞きました。
 特定の解釈はない、というのが返答の中心的なポイントであったように思います。しかし欧米では、カトリックとプロテスタントの間で、あるいはプロテスタント同士の間で、何事につけ解釈上のコンセンサスを得るのは簡単ではないこと、そして、解釈上の相違が宗教戦争や迫害を引き起こしてきたという教訓から、政教分離というルールを確立していったわけです。イスラームが政教分離ではない方法で民主主義を実現しようとするなら、宗教上の見解の相違をどのように調整するかは、きわめて大きな問題となるはずです。そのあたりを突っ込んで聞きたかったのですが、時間の都合上、そこまでは聞くことができませんでした。
 実際、イランにおいてもハタミ大統領のように、欧米に開かれた姿勢を持ちながら民主化を進めようとした人もいれば、伝統的な政教一致スタイルを主張する伝統的なイスラーム聖職者もいます。この両方の極性が、ぶつかりあっているよな光景を時々見るだけに、上記の点に関心を寄せざるを得ないのです。

 イスラーム型民主主義の可能性。これはイランだけの問題ではなく、広く中東世界の安定を繁栄を考えるとき、非常に大きな課題であると言えます。

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