KOHARA BLOG

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『新約聖書への神学的入門』の読み方

 『新約聖書への神学的入門』の目下の売り上げ状況を簡単に報告します。神学館2階では20冊強が売れました。また、北は北海道・青森から南は九州まで、全国に15冊ほど郵送しました。ちなみに、郵送分の半分は東京都内でした。また、残部は10部ほどとなっていますので、ご希望の方はお急ぎください。
 今回、郵送のやり取りの中で、いろいろな方がこのBLOGを見てくださっていることが、あらためてわかりました。ありがたいことです。

 さて、購入者へのアフターケアーも兼ねて、この本を読むツボを簡単に説明したいと思います。
 第一章「口伝と最初の文書化」は、一言で言えば、どうやって聖書ができたのか、ということを説明しています。聖書学になじみのない人にとっては、多少難解な箇所があるかもしれませんが、気にせず読み通してみてください。聖書学の基本的な考え方を、ここで理解することができます。

 第二章以降は、聖書の各文書について説明がされていますが、聖書におさめられている順番通りではなく、著者や執筆年代ごとに、まとまりが与えられています。
 わたしがこの本の魅力の一つとして、「訳者あとがき」に書いたことを次に引用します。

 一般に書物を熟読するときには「行間」を読むということが求められる。聖書においても同様であるが、特に本書を通じて読者が知るのは聖書の「書間」を読むことの大切さ(楽しさ)であろう。自分にとって都合のよい箇所や書物だけを特別視し、解釈の(絶対的)基準にしてしまうのではなく、新約聖書の各巻の間にある差異がなぜ生まれたのかを問い、そしてそれらの差異が指し示す多様なベクトルの総和の中にこそ、イエスの生き生きとした姿(人間の恣意によって固定されない姿)を見るべきではなかろうか。本書はそういった目標のためのよい手引きとなるはずである。

 このあたりの旨みを伝えてくれる本は意外と少ないのです。したがって、新約聖書の入門書は無数にあるとはいえ、この本には類書にはない魅力があります。
 その意味では、タイトルが「新約聖書への入門」ではなく「神学的入門」となっているのは意味があります。「序論」のシュヴァイツァーの言葉から引用すると、次のようになります。

以下の叙述が一般の入門書と区別されるのは、次の点においてである。すなわち、史的問題は、新約文書の神学的に重要な表現をただ可能な限りよく認識するための根拠としてのみ役立てられるという点である。また、罪や恵みといった概念ではなく、一つひとつの文書を中心にしているという点において一般の新約聖書神学とも区別される。それはことさらに歴史的な過程の叙述でもあり、その限りにおいて、かなり控え目な試みである。その際、決して一つだけの関連する展開が考えられるのではなく、新しい手がかりや別の解決策、修正がいつも指示されている。それらは外側から見れば歴史的な偶然である。しかし、新約聖書の証言の統一性に対する問い、つまり、パウロやヤコブ書といった様々な応答が相互にどのような関係を持っているのかという問いは脈々と続いてきている。したがって少なくとも示唆されるべきことは、必然的に個人的になる決断において、著者は、教会の信仰と生活において観察される種々の緊張関係や対立を受けとめ、克服するために、どのような方向を見ていたのかということである。

 第2章以降で各文書の説明を読み進めていく際には、聖書を横に置き、指示されている箇所に目をやりながら読んでいくことをおすすめします。聖書の解説を読んで、聖書そのものを読まない、というのは、もったいないだけでなく、解説の意図を理解し損なうことにもなりかねませんので。

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