KOHARA BLOG

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「ダ・ヴィンチ・コード」を読み解く(2)

 続きです。
 「ダ・ヴィンチ・コード」についての講演会をするというのは、一種の便乗商法のように思われるかもしれませんが(もちろん、そういう部分もありますが・・・(^_^;))、こうした講演会を企画するに至った理由があります。
 私は、どちらかという流行のものにすぐに飛びつかない方なのですが、2年前、小説の「ダ・ヴィンチ・コード」が国内で刊行されてから、よくこの本について聞かれました。まだ、この小説を読んでいなかったときには「読んでいないので、わかりませんね~」という感じでごまかしていたのですが、あまりにも聞かれる頻度が多くなり、これは読んでおこうと、一気に読みました。ほぼ徹夜の状態で、まさに一気読みして、この小説のおもしろさをようやく自分で感じ取ることができました。
 それから授業で取り上げたりして、学生の反応が非常によいのを経験したりしている内に、映画化決定、そして、いよいよ上映開始となり、これまでの感じてきたことを、やはりまとめておくべきだろうと思った次第です。
 賛否両論ありながらも、キリスト教を素材としたこれほどの話題作は、めったにあるものではありませんから、やはり、ある種の説明責任というものを感じています。

 以下、今回の講演会を企画するに際の趣意書の一部を紹介しておきます。細部については、順次、紹介していくつもりです。

 今話題となっている小説および映画の「ダ・ヴィンチ・コード」を素材にして、キリスト教神学のおもしろさを伝えることを目的とする。「ダ・ヴィンチ・コード」と同様に話題となっている「ユダの福音書」グノーシス思想の影響を受けているという共通点を持っているので、「ユダの福音書」も関連素材として取り扱う。
 プログラム前半の講演部分では、小原が導入を兼ねて、キリスト教思想(救済論・グノーシス思想等)や現代キリスト教事情(カトリックや保守派キリスト教の動静)の視点から「ダ・ヴィンチ・コード」とその影響についての分析を行い、また、越後屋先生には聖書学および考古学の視点から語ってもらう。「ユダの福音書」についても、越後屋先生に重点的に扱っていただく。
 アメリカを中心に、世界の各地のカトリック教会や保守系プロテスタント教会では、イエスの神性を冒涜するとして抗議運動が起こったり、あるいは映画「ダ・ヴィンチ・コード」の上映を伝道の機会としようとする動きが見られたりする。
 高まる議論は欧米世界に限定されない。隣国の韓国では、韓国基督教総連合会(韓基総)が4月はじめ、「ダ・ヴィンチ・コード」の上映禁止仮処分をソウル中央地裁に申請した。日本の福音派教会でも、「ダ・ヴィンチ・コード」への批判論が強まっているが、実際にそれを読んでいる人は多くないと聞く。
 いずれにせよ、「ダ・ヴィンチ・コード」への関心は、クリスチャンに限定されない社会的現象となっており、一般市民においても、この作品、その背景や影響に対する関心は高いだろう。その点では、「ダ・ヴィンチ・コード」は、かつてキリスト教世界で論争の的となった映画「パッション」や「最後の誘惑」をはるかに上回る社会的関心を喚起していると言える。

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