KOHARA BLOG

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ワシントンD.C.激動の一日そして、さようなら

 朝7時前に森先生から、今日のAdditional Meeting(特定テーマをAARメンバーに伝えるために部屋を借り切って行うプログラム。後述)のために発送した荷物のチェックに行こう、との連絡を受けました。実は、すでに到着していなければならないはずの三つの荷物の内、一つが到着しておらず、その中に重要なものが入っていれば大変だ、という心配をワシントンD.C.到着時からしていました。
 未着の荷物の所在を、会場となるホテルでインターネットのトラッキング・サービスで調べてもらったところ、ケンタッキーまで来ていることがわかりました。しかし同時に、必要とする時間までには間に合わないだろう、ということを認識せざるを得ませんでした。
 そこで次の問題は、もっとも重要な品々(作製したばかりのCISMOR英文パンフなど)が到着済みの二つの中に含まれているかどうかということになりました。3分の2の確率です。
 はさみを借りて、箱を開けました。もしこの二つの箱に重要なものが入っていなければ、森先生の機嫌が悪くなることは明らかですので、はさみを持つ私の手は緊張のあまりガタガタと震えていました(というのはウソですが・・・(^^ゞ)。
 くじ引きをするような気持ちで、さくさくと開けていくと、一つ目の箱の中にもなく、また二つ目の箱の中にも、求めているものがないではありませんか? オウ・ノー!と絶叫しかけましたが、もはやどうしようもありません。
 こんなことがあるんですね~。楽観的な私もさすがに愕然としました。森先生のホテルの部屋番号が911だったので、何か破局的なことが起こるのではないかと心配していたのですが、実際に起こってしまいました。
 「あまり気にせず気楽にやりましょう!」と声をかけ(やっぱり楽観的?!)、私は残されたわずかの時間を観光にあてるべく、ホテルを後にしました。

061121_1 最初、街中からは少し離れたところにあるアーリントン国立墓地に向かいました。靖国問題を論じる際に、しばしばアーリントンのことを引き合いに出してきましたので、ぜひ見ておきたいと思っていました。アーリントンは国立ですが、無宗教ではなく、基本的にあらゆる宗教による葬送儀礼を認めています。つまり、葬儀における宗教性を国民の「自由」の一つとして認めているということです。
 アーリントンは巨大でした。木々が紅葉し、落ち着いた美しいたたずまいを見せていました。学校からの見学を含め、多数の来場者の姿も目にしました。
061121_2 右の写真はアメリカ海軍が行っていた式典を撮影したものです。たまたま、その場に巡り合わせたのですが、厳かな緊張感が伝わってきました。
 時間の関係ですべてを見て回ることはできなかったので、有名なことろをねらって急ぎ足で回りました。その一つは左の写真にあるジョン・F・ケネディの墓所。大きな大理石のサークルが他の墓所との違いを際だたせていました。そのサークルの隅に写真のような名前のプレートと燃え続ける炎が置かれています。
061121_3 右の写真は、一目瞭然ですが、スペースシャトル・チャレンジャーの犠牲者を慰霊する墓標の一つです。

 アーリントンの後、ホロコースト博物館に行きました。左下の写真はその外観です。
 エルサレムにあるホロコースト博物館ヤド・ヴァシェムに行ったことがありますが、それと比べてもワシントンD.C.のそれは展示物の多さや規模において勝っている部分がありました。
061121_4 館内を見て回った後、インフォメーションのご老人と少し話をしました。ヤド・ヴァシェムと比較した印象を述べると、世界の各地にあるホロコースト博物館は、それぞれ異なる目的を持っていること、そして、全米には5、6個のホロコースト博物館があるらしいのですが、それらにおいても同様であることを丁寧に説明してくれました。
 今、授業でナチス・ドイツのことやホロコーストのことを話していると語ると、食い入るように私の話に耳を傾けていました。

 正午にAdditional Meetingの会場となるホテルで他の方々と待ち合わせをしていました。アメリカ在住のCISMOR研究員の松永先生(ニューヨーク大学)やモール先生(ブラウン大学)とも久しぶりに再会しました。
061121_5 昼食を共にした後、私とモール先生は、最後のビラ配りに出かけ、その後、会場設営やプレゼンの準備をしました。今回のAdditional Meetingは"New Kyoto Programs"というテーマの元、CISMORK-GURS(京都・宗教系大学院連合)の活動を紹介することが目的でした。
 McMaster University(カナダ)のKurt Richardson をはじめ、期待していた人はだいたい皆さん来てくださり、また、予期せぬ来場者もあって、結果的に、よい紹介・話し合いの場になったと思います。2時間半という時間があっという間に過ぎ去りました。

 終了後、Zikmund先生、イスラエルのIlijah InstituteのGoshen-Gottstein氏らとスシ・レストランで夕食をとりました。
 この頃は疲れがピークに達しており、目を開けているのが精一杯という感じになっていました。

 明日早朝にワシントンD.C.を離れます。振り返ってみると、実によく働きました。収穫も大きかったと思います。合間を縫って、そこそこ観光もできました。
 ワシントンD.C.からの報告は、これで終わりとなります。

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