小原克博 On-Line に「平和憲法ファンダメンタリストとして」(「現代のことば」)(『京都新聞』2007年4月25日、夕刊)を追加しました。
昨今の改憲議論をある程度意識して書いたものです。
集団的自衛権の行使など、これまで議論の俎上にすら上がらなかったテーマが、急速に現実味を帯びてくる時代となりましたので、平和主義の「根っこ」の部分を繰り返し考えておくことが大切だと思います。
「平和憲法ファンダメンタリストとして」
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今日、生誕100年を迎えた中原中也(1907-1937)は、「サーカス」という詩を、
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
という二行から始めているけれど、彼の言う「茶色い戦争」とはなんだったのでしょうか?…
なお、中也の作品はすべて著作権が切れていますので、青空文庫で読むことができます。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person26.html
小原さん
先ほど、記事を読ませて頂きました。「宗教の危機―激動の時代こそ不変を」(2007年1月21日更新記事)に目を通して以降、小原さんのファンダメンタリストという言葉の背景として一体どのような意味があるのか気になっていた一人としては、大変嬉しい内容で、とても勉強になりました。
ただ、一つ疑問があります。ガンディーやキング牧師らは、非暴力を訴えることで、それぞれ、イギリスとアメリカといった強権的なカウンターパートを得ることに成功し、彼らの活動は歴史に残るものとなったわけです。その事実と、日本国憲法の平和主義をどのように位置付けるのか、という点です。
現在の日本において、日本国憲法が(その実質は別として、)アメリカから与えられたとする人たちは、恐らく、そうしたことへの認識があってのことだと思います。だとすれば、その視点を排する場合には、それに代わる視点を得なければ、日本が平和主義を訴えていくことは困難だと思います。
広島や長崎があっても、たとえその事実を伴う教育が行われても、その記憶がそのまま後世に受け継がれて行くわけではありませんし、アメリカの「力強さ」が相対的に低下することが見込まれている今日、それだけによった日本国憲法の平和主義は、その効力のほどが問われることになるのは必至です。
そうしたことを見越せばこそ、平和主義を維持するためには、日本はアメリカに対して、ガンディーやキング牧師とは異なる位置づけを得なければなりませんし、その逆も然りと言いえます。そしてそのためには、集団的自衛権の行使を、憲法解釈に踏み込んだ形であっても進めなければならないのではないのでしょうか。
もちろん、実際にそうなった場合、なし崩し的に、日本の平和主義など消し飛んでしまうことは十分に有り得るわけですから、平和主義の伝統を過去の伝統としないために、識者の方々が腐心されることも分からないではありません。とはいえ、その場合、アメリカの「力強さ」だけに頼った平和主義的発想から決別することを迫られるはずです。
果たして、今の日本に、それが可能でしょうか。
中国や韓国といった周辺国との歴史問題においても、私的には進展のある一方で、依然として、公的には著しい進展はないとされます。そのような中では、日本がいくら、広島や長崎を伴う平和主義を訴えても、人道的な観点から了解してくれる人たちもいるだろうとはいえ、各国それぞれにおいて反発を示す人たちもいるでしょう。そのような状況下において、アメリカのみに拠らない平和主義を日本は選ぶことが出来るのでしょうか。
私は、出来ないと思います。
もちろん、私としても、小原さんの「平和憲法ファンダメンタリスト」たる意志を否定するつもりは毛頭ないのですが、専門家でいらっしゃる小原さん自身、私以上に思索を巡らせていらっしゃることとは思いますが、私には、今の政府の行動を無碍に否定できるような認識を得ることが出来ません。
宜しければ、その辺りのことをカバーしたことを示唆して頂けるのであれば、私としては幸いです。
大和さん
長文コメントをいただき、ありがとうございました。ここまで考えていてくだされば、私の方から特に付け加えることはありませんが、若干コメントを。
日米安保を基礎にしたアメリカとの協力関係を無視することはできません。それと同様に、戦後の日本が基本線として維持してきた国際協調主義(国連中心主義)も、きわめて重要で、両者のうまくバランスを取る必要があるでしょう。
こうした伝統を統合する理念として、日本の平和主義は存在しています。その視点から見れば、今の政府の強引なやり方を日本のよき伝統からの逸脱と感じる人も少なくはないでしょう。
小原さん
コメントを頂き、ありがとうございます。並びに、返事が遅れまして、申し訳ありません。
日米安保を基礎としたアメリカとの協力関係は言わずもがな、御指摘のように国際協調主義(国連中心主義)を維持して来たことも、その双方のバランスを取ることも確かに大切ですね。
そしてそれ故に、私においては、今の政府のやり方を強引と見ることは出来ません。というのも、日本なりに、これまでに、国際協調主義(国連中心主義)を維持・深化するべく働きかけて来ているためです。
技術進歩に併せ、アジアの他の国々の経済的な台頭が進めば進むほど、島国である日本が有して来た地理的な優位性は損なわれて行くわけです。そんな中では、日本の存在感を肯定的に発揮するためには、日本は国際協調主義の姿勢をより強く打ち出さざるを得ません。
そのためにも、日本は常任理事国入りを果たしたいのでしょうが、将来的には兎も角として現実には、アメリカにも、中国にも、常任理事国入りすることを拒否されています。
そしてそれは、「日本がもし、国際協調主義を従来よりも強く打ち出したいのであれば、アメリカや中国に、もっと配慮した動きを具体的に示さないと駄目だよ。」というメッセージを、日本向けに送られているとも言えます。
これまでの日本の国際協調主義を巡る簡単な経緯に沿う限りにおいて、私は今の政府のやり方に際し、その辺りのことを推測せざるを得ません。
だから、「日本のよき伝統からの逸脱」との見方をされる人たちがいるのだとしても、私には、「じゃぁ、一体どうすれば良いのだろう?」という疑問も湧いて来ます。
私は、下手な平和主義を掲げられて、その主義に巻き込まれる形で早々に死ぬことは御免ですから、出来る限り考えて来てはいますが、目下においては、そうした考え方をしてしまいますね。