KOHARA BLOG

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イランにおける宗教的少数派

080307.jpg 2月29日にホテル近くのアッシリア教会を訪ね、はじめてガルムー大司教と会い(→2月29日記事)、3月2日にアッシリア教会のミサ(礼拝)に参加したこと(→3月6日記事)は、これまで述べてきたとおりです。
 ところで、ちょうどその間の3月1日付ワシントンポストに、何と、このアッシリア教会とガルムー大司教が登場しているではありませんか。帰りの空港で、偶然、その事実に気づきました。

 このワシントンポストの記事は、非常に読み応えがあり、また考えさせられる内容を含んでいますので、一読をお勧めします。

■Washington Post: U.S. Zeal for Iran's Non-Muslims Faulted (March1, 2008)

 記事中の写真は、私が訪ねたアッシリア教会で、Nextボタンを押すと出てくる人物がガルムー大司教です。
 偶然とはいえ、ワシントンポストに掲載された話題の人物と出会っていたことになります。ちなみに、上記記事の最後に出てくる Mohammad Ali Abtahi 氏は、イランに到着したその日に訪ねた人物です(→2月26日記事)。

 ワシントンポストの記事は、アメリカがとってきた宗教的少数派の救済策が、結果的にローカルな共同体を瓦解させていると批判しています。
 もともと、ユダヤ人の救済策として始まった計画が、宗教的迫害を受けている他の少数派にも適用されるようになり、アメリカ政府が財政的な援助をしています。また、この制度を通じてアメリカに渡った宗教的少数派の人々は「難民」として認定されます。

 アッシリア教会のミサに出たあと、参加者の一人にクリスチャンなどの宗教的少数派がイランでどのような扱いを受けているか聞いたところ、就職差別をはじめ、さまざまな差別に苦しんでいるとのことでした。これは、おおむね事実でしょう。
 それゆえに、自由を求める人にとって、アメリカがさしのべる手は、まさに「救い」です。しかし、この個人の救いが、結果的に、イランにおけるクリスチャンの存亡を危うくしているというのです。

 ワシントンポストの記事中、ガルムー大司教が31年前にイラクのモスルからイランにやってきたときには、3万人のアッシリア教会信徒がいたと記されています。それが今や3000人に激減しているというのです。

 思い切ってまとめるならば、次のような課題が突きつけられていると言えるでしょう。
 個人の救済が、共同体を崩壊させている。

 難しい問題です。「アメリカでクリスチャンでいることは、イランでクリスチャンでいるより、はるかに難しいのに・・・」と記されたガルムー大司教の言葉が印象的でした。
 断片的に記事の要点を紹介しましたが、きちんと全体を読まれることをお勧めします。


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