小原On-Line

「国家の威信――揺れる中国」

 「Essays - 新聞・雑誌記事等」の「新聞執筆原稿」に「国家の威信――揺れる中国」(「現代のことば」)(『京都新聞』2008年4月10日、夕刊)を追加しました。
 先日の中国訪問での見聞を下敷きにして書いた記事ですが、チベット騒乱などが今なお大きな問題として世界の関心を集めており、結果的にタイムリーな記事となりました。
 国際世論は中国批判を強めていますが、問題は中国か、チベット(ダライ・ラマ)か、ということではないと思います。中国の対応に問題があるのは言うまでもありませんが、強硬な態度を、どのようにすれば、多少なりとも、ほぐしていくことができるのか、多角的なアプローチが探られるべきでしょう。
 ダライ・ラマ批判や、国際世論への反発を通じて、中国政府が国内のナショナリズムをあおることは、対立構造を大きくしかねませんので、できれば沈静化する方向にもっていってもらいたいものです。
 一筋縄にはいかない問題ですね。

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コメント(2)

小原さん

 お久し振りです。チベット問題における中国国内のナショナリズムの高まりについては、日本時間で一昨日かそのぐらいに放送された『時事弁論会』(香港PHX)でも取り上げられていました。

 その内容に目を通すことが出来たわけではありませんが、日本においても、新聞やその他のメディアによって報道内容に微妙な違い(伝え方が異なるというレベルではなく、伝える事実が微妙に異なるのです。)があることに、私として一体どう解釈するべきなのか悩まされます。そしてそれ故に、ナショナリズムが高まるにしても、「然もありなん。」と思わざるを得ません。

 かつて日本で開催された東京オリンピックに際しても、国を挙げた当時の取り組みを鑑みればこそ、今回のようなことに見舞われた場合、ナショナリズムの高まりがあっただろうことは既に指摘されています。国際的な祭事に関しては特に、経済効果も然ることながら、国威発揚が根底にあるのは事実ですから、私としても、「仕方ないのでは?」と、思わなくはありません。

 ただ、そこまで考えるに、中国を含めた各国として、ああもチベットにこだわる真意が一体何処にあるのかが気になります。一一般人として得られる情報を前提とすれば、表立って示される事態の展開振りとは別の真意なり意図があるかのようにも見えますから。もし、その真意を前提に動いているのだとしたら、日本が際立った非難をしないことも頷けますし、対立構造を幾ばかりかは大きくすることもその目的の一つかとも考えさせられます。

 事の次第を受けて沈静化の努力はされているようですが、下火になるとして、一体どのような方向に落ち着くのでしょうね。本当に、一筋縄ではいかない問題ですよね。

大和さん
 丁寧なコメントをいただき、ありがとうございました。
 チベット問題は、中国政府がダライ・ラマと対話のテーブルにつく可能背が出てきたとはいえ、おそらく、妥協的な態度はとらないでしょうから、当分は問題解決には至らないでしょうね。
 今回の騒動で、愛国心やナショナリズムの果たす役割をあらためて考えさせられました。国民が自然な形で抱く、地に根ざした愛国心は自然な感情の発露だと思いますが、政府の政府の主導などによって、その範囲を超えてしまうと、愛国心の持つ排他性に注意を払わざるを得ません。
 やっかいな問題ですが、このあたりの課題は、これからますます顕在化していく可能性がありますので、腰を据えて考えていく必要がありそうです。

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このページは、小原克博が2008年4月21日 01:18に書いたブログ記事です。

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