小原On-Line

「教室の未来」

 なんだかんだで猛烈に慌ただしい日々を送っており、結果的に、ブログの更新が超スローペースになっています。
 しかし、講義「現代神学のフロンティア」のポッドキャスト配信は、何とか毎週続けています。他方、KOHARA Podcast の方は完全に休店中となっています。仕切り直しをして、近い将来、きちっと再開したいと思っていますので、気長にお待ちください。

 さて、『京都新聞』記事「教室の未来」(2009年6月12日、夕刊)を追加しました。現在進行中のインターネットおよびポッドキャストによる授業を題材にしています。「建学の精神とキリスト教」を昨年も同じ形式で実施し、600名ほどの履修者がありましたが、今年度は1800名にまで増加しました。インターネットだからこそできることですが、この人数はなかなか大変です。新しい教育スタイルを模索する中で普段考えていることを、まとめたような内容になっています。関心ある方はご一読ください。

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コメント(3)

小原先生

「現代神学のフロンティア」拝聴させて頂いています。私は関西の大学で非常勤をしている者で、もともとの専攻はアメリカ文学で、昨年までのアメリカ留学(サンフランシスコ)では英語教育の修士課程にいました。

私は家族がクリスチャンで子供の頃から地元のバプテスト教会に通っておりましたが、サンフランシスコではそれまで経験したことのない信仰の多元性を体験することができました。先生の「現代神学」のご講義から判断すると、解放の神学、フェミニスト神学の影響を深く受けた教会(リベラルなルーテル教会)に通いました。ルーテル派なので北欧出身の信徒さんが多く、牧師さんはドイツ系の女性でしたが、人間の罪性よりも人間の尊厳、死後の生よりも「現在に生きる」こと、宣教よりも社会正義に貢献する試みをしていた教会だったと思います。

アメリカから帰国後、どこかにこのような教会があるかもしれない、と探しているのですが、インターネット上も教会の情報は少なく、結局地元のパブテスト教会に通っております。信徒さんは昔馴染みの友達や家族で、ほっと出来るのですが、信条がサンフランシスコのルーテル教会とはかなり違うので、礼拝にももう一つ積極的に参加できないでいます。

リベラルな教会は、日本にも存在しているのでしょうか。

福地

福地さま
 興味深いコメント、ありがとうございました。また「現代神学のフロンティア」をご試聴いただいているとのこと。このような言葉を聞くと、手間暇かけて、コンテンツをアップしている労苦が報われる思いです。
 さて、リベラルな教会についてですが、日本にももちろんたくさん存在しています。日本キリスト教団の中の同志社系の教会などは、ほとんどがリベラル派といってよいのではないでしょうか。
 私の断片的な知識と経験から判断すると、バプテスト派は保守的・政党的な伝統に立つものがアメリカでも日本でも多いと思います。ただし、これは善し悪しの問題ではなく、それぞれの教派の歴史的なバックグラウンドに起因する特性です。
 ただし、教派によって保守・リベラルの区分ができるわけではありません。たとえば、アメリカにおいてもっともリベラルな教派の一つである聖公会(Episcopal Church)は、日本においては必ずしもリベラル色を強く発揮しているわけではありません。
 アメリカのように、中絶・同性愛等、リベラルと保守を区分けする道徳的マーカーがはっきりとある場合には違いも見えやすいのですが、日本の場合には、外側からはなかなかわからない場合が多いかもしれません。
 しかし、リベラルな教会が多数存在しているということは最低限言えると思います。

小原先生

お返事を頂き、ありがとうございます。小原先生は様々な情報はネット上に公開して下さっているので、参考図書など探すときに大変参考になります。

丁度サンフランシスコでは同志社卒の牧師さんが、日本人教会でご奉仕されており、親切にして頂きました。確かにサンフランシスコでは同性愛者をいかに教会で受け入れるか、あるいは叙任するか否かが重要な問題であるようで、同性愛者の結婚式をあげる教会もありました。

それに対し、日本は教会が社会に対し、そのような意思表示をする必要にあまり迫られていないのでしょうね。だからそれぞれの教会の特徴が見えにくい。本当に通ってみないと分からないかもしれません。ただ聖書や賛美歌、あるいは使徒信条などで使われている言葉は気になります(「父なる神」「乙女マリヤ」、あと帝国的・軍事的な言葉で神の偉大さを言い表す)。また聖餐式がなぜ洗礼を受けた人たちだけなのだろう、と子供心にも思ったものでした。これらは長年の教会の伝統に基づくから、簡単に変えれるものではないと聞いており、確かにそうだと思うのですが。

ありがとうございました。

福地

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このページは、小原克博が2009年6月20日 00:11に書いたブログ記事です。

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