「安息日──自由の起源」(『京都新聞』2009年8月10日、夕刊)を追加しました。
新聞の実物を手にすることができませんので、今回はテキストを貼り付けています。日曜日や休日、さらには「休むこと」の意味について考えたものです。
私がアメリカで過ごす1年間は、同志社大学での呼び名では「在外研究」と言いますが、英語圏では一般的に、サバティカル(sabbatical)と呼ばれているものです。このサバティカルの語源は、聖書のサバート(安息日)にあります。自分自身のサバティカルのことにまで言及しようと書き始めたのですが、字数が足りず、そこまでは書くことができませんでした。
しかし、普段の週末の休日や、長期の休みの意味について、ある程度、普段考えていることをまとめることができたように思います。
日本では「休む」ことを悪徳と考える傾向がまだ強いと思いますが、労働(勉強)と休むことのバランスについて考えることは、長い人生にとって、かなり大切なことではないでしょうか。

はじめましてyukikkusuと申します。
podcast戦争正義平和から巡り巡って辿りつきました。
私は元JW2世で、その影響で宗教から距離をとっていたのですが、試しに聴いてみたpodcastのおかげで自分をすこし客観的に見れるようになりました。ありがとうございました。
安息日の記事も読ませていただきました。
休む(一時的or時には長期)ということは、労働という日常から自由になることにより、新たな思想や枠組を発見する手助けにもなっているのかな~と思いました。ユダヤ系の人々はすばらしい功績を残した人が多いですしね。
小原先生の活躍を祈っております。では。
yukikkusuさん、コメントありがとうございました。Podcastの「戦争・正義・平和」をご覧いただいたとのこと、ありがとうございます。
以前、ある科学雑誌で(本当なのかどうかは私にはわかりませんが)安息日に関する大脳生理学的分析についての記事を読んだことがあります。その記事によると、脳を一定時間、徹底して休ませることによって、脳の能力が再活性化するといったことが書かれていました。ユダヤ人の知的功績の謎について暗示していたかのような内容でした。
真偽はともかくとして、妙に納得させられた記憶があります。