小原On-Line

AAR Plenary Pannel

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 今日は朝から AAR の Plenary Pannel (AARが企画した全員向けパネル)に二つ参加しました。
 一つ目のテーマは Rethinking Secularism でした。Charles TaylorJose Casanova といった、この分野の大物が名を連ねていたこともあって、会場は大勢の参加者であふれていました。
 私の関心分野に近いこともあって、興味津々、各パネリストの発表に耳を傾けていました。短い時時間で、ポイントをよくまとめていたと感じましたが、全体としては、西洋世界から見た、また西洋世界内部における世俗化の問題に終始していました。これは、この種の議論の現状をあらわしています。
 世俗化をめぐる問題はすでに長い議論の歴史を有していますが、西洋キリスト教世界がモデルとなっており、それ以外の世界における世俗化およびそれへの反発との比較研究は、まだまだ未発達の状態にあります。
 ちょっときつめの言い方をすれば、西洋の学者達は自分たちの自画像を描くのに精一杯で、非西洋世界にまでリーチが届いていない、ということになります。このあたりの問題は、タラル・アサドなどが批判的に言及するところであり、彼の名前も数回議論の中で出てきていました。
 西洋の場合、ウェストファリア条約以降、公的領域と私的領域の区分や、国内(領土内)問題と国際(領土外)問題の区分などが定められ、それに従う形で、政教分離など多くの用語法が形成されてきました。この歴史プロセスを必ずしも共有することのできない非西洋世界において、同じ用語法による説明が、どの程度可能なのかは、今後、十分に検討していく必要があるでしょう。特に西洋的価値観とイスラーム的価値観のすれ違いは、このあたりに起因することが多いので、これは単に学問的問題にとどまらず、実際的な課題としての重要性を持っているように思います。
 もう一つ感じた問題は、発表者の多くが、世俗化しつつある社会に対する分析に終始しており、宗教復興以降の時代、9・11以降の時代における状況との関係を、あまり正面からとりあげていなかったということです。世界のある部分は確かに世俗化しつつありますが、それとは反対の現象が進行している事態をどのように見るか、という問題です。
 いずれにせよ、これらの課題は、今後、私自身の課題として受け止めていかなければならないと感じていますので、問題点がクリアーになっただけでも、今回のパネルに参加した価値があったと思います。

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 もう一つのパネルは、タリク・ラマダーン(Tariq Ramadan)によるパネルでした。彼はこれまでも、AARから招待を受けていながら、アメリカ政府が入国を拒否し続けてきたため出席がかないませんでした。今回は、AARがカナダで実施されたため、ようやくラマダーンによるパネルが実現することになりました。
 いつもながら、情熱的かつシャープな言葉遣いで聴衆を魅了していました。イスラームにおけるテキストとコンテキストの関係を論じながら、イスラーム的伝統における Reform とは何かということを説いていました。
 

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このページは、小原克博が2009年11月 8日 17:00に書いたブログ記事です。

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