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K-GURS 公開シンポジウム「宗教系大学の歴史と未来を考える」

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 1月8日(土)、同志社大学 神学館礼拝堂で「宗教系大学の歴史と未来を考える」をテーマにして、京都・宗教系大学院連合(K-GURS)の公開シンポジウムが以下のように行われました。

基調講演:本井康博(同志社大学教授)
パネル・ディスカッション
司  会:奥山直司(高野山大学)
パネリスト:頼富本宏(種智院大学教授)
      山極伸之(佛教大学教授)
      赤松徹真(龍谷大学)

 以下に私のメモをつけておきます。あくまでもメモですので、正確でない部分もある(かもしれない)点はご容赦ください。

◎基調講演「同志社大学のモデルを手がかりに」(同志社大学 本井康博)

1.同志社と新島襄
(1)新島襄--教育者にして宗教者
 一般的には同志社を設立した教育者というイメージがあるが、実際には、アメリカンボードの宣教師としての側面を強く有している。新島はすべての給与をアメリカンボードから得ていた。学校作りに奔走したが、本来は、伝道に打ち込みたかった。
 フィリップス・アカデミー、アーモスト・カレッジ、アンドーバー神学校で学び、日本に宣教して送り返される。これらの学校が同志社のモデルになっている。これらの学校は「会衆派」の学校。
 アメリカのキリスト教主義学校は知育と徳育を強調していた。新島は知徳併行主義と呼んだ。新島は徳育を「心育」と呼ぶ。
(2)『新島襄 教育宗教論集』(岩波文庫、2010年)
 岩波書店は「教育論集」のタイトルを望んだが、「宗教」が重要であることを主張して、このタイトルに落ち着いた。
 学校と教会を両輪のように回すことを新島は願った。

2.アメリカにおける高等教育の特徴
(1)大学ランキングに見る上位校
 アメリカでは通常、カレッジ部門(単科大学)とユニバーシティ部門に分類する。
 カレッジ部門はでは、ウィリアムズ、アーモスト、スワスモア、ウェルズリーがトップ。
 ユニバーシティ部門では、プリンストン、ハーバード、イェール。
(2)名門校の独自性
 北東部に多い。トップ校は私立大学。またキリスト教との関係がある。スワスモアはクエイカー、プリンストンは長老派、ハーバードは会衆派を歴史的ルーツに持つ。
(3)カレッジ
 アメリカ特有の制度。多くがリベラル・アーツ教育をしている。ウィリアムズ、アーモスト、スワスモアは「リトル3」と呼ばれる。規模的には小さい。

3.リベラル・アーツ教育とは
 人格形成を重んじる。アーモストのモットーは「世を照らせ」。よい市民を作るためには、幅広い教養教育が必要と考える。基本的には専門教育をしない。二つ(それ以上)の専攻を選ばせる。
 カレッジは地方(田舎)に立地していることが多い。全寮制を基本にしているから。そのため2000人を超えることは難しい。
 教員一名に対し、学生は一桁代。同志社の場合は、教員一名に対し平均40名の学生。カレッジは小規模でありながら、贅沢なスタッフを抱えているので、授業料は日本の私立大学の4、5倍となる。
 単科大学。学部教育のみ(大学院を持たない)。1、2回生は語学、数学に集中する。新島の時代は、ギリシア語、ラテン語を学んだ。
 教員は学者というよりは教育者が望ましい。モットーは「親代わり」(in loco parentis)。

4.ドイツ型のユニバーシティの出現と衝撃
(1)ジョンズ・ホプキンズ大学(1876年創立)
 ドイツ型のユニバーシティが誕生し、研究が重視されるようになる。
(2)ユニバーシティ
 学部教育+大学院教育
(3)アメリカ型ユニバーシティ
  例:ハーバード・ユニバーシティと異なるハーバード・カレッジ。リベラル・アーツ学部のみ。専門教育は大学院で。医学教育は大学院レベルだけ。ユニバーシティの代表であるハーバードさえ、カレッジの伝統を残している。カレッジの伝統に対する独特なこだわりがある。

5.日本における宗教系大学・大学院の今後のあり方
 上記のようなカレッジ的な伝統のよさを、宗教系大学は存分に生かすべきではないか。


◎パネリストによる発表

■頼富本宏(種智院大学)
 新制大学として出発する際に四つの柱を定めた。総合教育。密教だけではなく、広く学問を学ぶ。
 「人の昇沈は定んで道に在り」。ここでの「道」は特定の宗派を指すのではない。
 後継者の育成という使命もあったので、学校形成は紆余曲折した。
 明治14年以降、新たな学校作りが始まる。高野山、大正大学の元になるものが分派していった。教学部門は高野山、実践部門は京都で、という分担をする。
 京都専門学校から、昭和24年に種智院大学と改称する。綜芸種智院の全人教育を土台にしたいと考えた。しかし、師弟教育というニーズも強くあったので、結果的には閉じられた面もあった。
 開かれた大学を目指して、福祉の必要性を考えてきた。借財を作って新しい校舎に移った。最近は、入学者が減って苦労している。
 種智院大学の場合には、14のスポンサー寺院があり、すべての要望を満たせないという状況もある。

■山極伸之(佛教大学)
 数年間から自校教育に取り組んでおり、その授業を担当している。
 佛教大学、仏教ならびに浄土宗について教えている。
 1912年に開学。来年100周年を迎える。1949年、学制改革にともない佛教専門学校が佛教大学となる。
 1953年、通信教育課程を開始する。今の学生たちはこうした伝統について、ほとんど知らないので、自校教育をすることは価値がある。通信教育は「開かれた教育」を目指す点で重要な役割を果たしてきた。開かれた教育は、法然上人の理念にもかなっている。
 1965年、社会福祉学科を新設。佛教大学の看板となる。
 教員免許を通信教育で取得可能。教育の分での貢献も大きいのではないか。
 1999年、通信制の大学院を設置。
 2012年、看護学科の設置を予定。
 法然上人の理想を、人材養成に結びつけていくことは、すべての学部学科において求められている。

■赤松徹真(龍谷大学)
 明治初期、学僧たちがヨーロッパで学び、近代化の中で、制度を整えていく。
 1900年、仏教大学と改称。
 1918年、大学の名前に宗教・宗派の名前をつけてはならないという政府からの指導があり、龍谷大学に改称する。
 1961年、経済学部を設置し、総合大学としての歩みを始める。親鸞聖人700回忌の記念事業としての意味もあった。その後、経営学部、法学部を設置。
 1985年、留学生別科を設置。
 1989年、瀬田学舎を開学。社会学部、理工学部を設置。
 1996年、国際文化学部を設置。
 2009年、実践真宗学研究科を設置。文学研究科の真宗学研究科が文献研究を中心としているのに対し、新しい研究科では宗教実践の分野に力を入れている。
 2011年、政策学部を設置。
 全学的には「仏教の思想」を必須科目としている。


◎パネル・ディスカッション
頼富)総合教育と専門教育(実務教育)の関係をどのように考えたらよいのか。

本井)専門家の育成は大学院で。神学部では専門家の養成はしない。キリスト教の影響を受けながら、一般社会に出て行く。

山極)本井先生の話の中では、カレッジとユニバーシティの違い、あり方が印象的であった。佛教大学は6000人から7000人の規模。仏教を中心としたリベラル・アーツを目指すことは現実的には難しい。専門性を身につけながら、佛教大学ならではのプルス・アルファをどのように付加することができるのか。

本井)新島はカレッジを目指したが、135年たって同志社はユニバーシティになった。この状態を見て、新島は悲嘆するだろうか。アーモストのようなリベラル・アーツ教育は、規模的にはもはや不可能。しかし、理念的には、ハーバード・カレッジのようなものを目指すことはできるのではないか。同志社女子大は Doshisha Women's College of Liberal Artsという。女子大は6年制の薬学部を設置。もはやcollege ではないという人もいる。

赤松)現代の若者の多様な悩みに対し、宗教系大学はどのように応えていくことができるのか。龍谷もカレッジの頃には寮制度があり、寮での共同生活が卒業生の帰属意識を育んできた。寮のあり方をあらためて考えさせられた。

本井)寮でも一人部屋では人格を陶冶できないのではないか。サークルの合宿場は寮に似た機能がある。オリエンテーション・キャンプなども代替案の一つ。時間が短くても、授業以外の接触は記憶に残る。同志社の場合には、原点に戻ることができるという利点がある。

頼富)スポンサーの寺院から実践教育を強く求められる場合がある。真言宗の場合には、そうした要求が強いが、大学は高等教育の場であるという視点から距離を置いてきたが、悩みの種ではある。

小野寺)仏教系大学の場合、僧侶の養成学校が徐々に大学の形態をとっていった。宗門の学生と一般の学生という区別があった。この二つの区別をどのように整理するか。同志社の場合、専門者を育てるという志向が当初あったのか。

本井)新島の場合、プロの聖職者を養成しようとしたことは確かであるが、キリスト教精神をもった専門家を世に輩出しようとした。

佐藤)同志社大学は様々な宗教行事をやっているが、実際には、一般の学生にはキリスト教の意義は十分に伝わっていないように見える。仏教の場合、一般の学生に浸透しているように思うが、どうか。また、どのような工夫をしているのか。

頼富)宗門師弟よりも多くの一般学生を受け入れていた時期もあった。一般学生の場合、一般就職の他、密教を学問的に深めていこうとする人たちもいる。新たに始まろうとしている「宗教文化教育」には関心がある。

山極)様々な宗教行事を行っている。しかし、それが学生にまで届いているかどうかは簡単ではない。無理にしようとすると、かえって拒絶反応が出てくる。日常的な気づきのようなものが大切ではないか。仏教の汎用性を日常生活に結びつけることができる。卒業後はじめて気づくような、息の長い視点が必要ではないか。

赤松)龍谷大学では献身アワーを設けている。宗教局が担当している。一般学生も多く関わっている。

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