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宗教倫理学会 研究会「無縁社会を、お墓でつなぐ」(秋田光彦氏)

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 6月24日、キャンパスプラザ京都で宗教倫理学会の定例の研究会を開催し、今回は浄土宗大蓮寺・應典院の秋田光彦氏を講師として招き、「無縁社会を、お墓でつなぐ~生老病死のコミュニティ」と題して話をしてもらいました。
 今年度の研究テーマは「死生観の変容──葬送儀礼を問う」で、私は研究プロジェクト委員長を務めています。
 應典院が取り組んでいる様々な働きを紹介してもらい、さながら仏教の現代的可能性を実験しているような感じです。発表内容の簡単なメモを記しましたので、その一端を感じ取っていただければと思います。さらに関心のある方には下記の本をお薦めします。

無縁社会を、お墓でつなぐ〜生老病死のコミュニティ

浄土宗大蓮寺・應典院 秋田光彦

導 入
 「葬式をする寺」大蓮寺と「葬式をしない寺」應典院
 秋田氏は大蓮寺の29代住職。檀家を持つ典型的な葬式仏教。それに対し、應典院は檀家を持たず、「葬式をしない」という宣言をする。二つの寺は一対となっている。墓の無縁化は大きな問題となっている。もし対応できなければ、破棄物として処理せざるを得ない。
 何をしているのか。死生観を感じること。墓で舞踏をしたり、詩作をしたり、様々なアートを試みる。特に若い人たちへの伝達に努力している。アートセンター、市民センターのような役割を担っている。

1.「お寺」はもういらない、か
 7万6千カ寺が6千寺になるという『アエラ』(2010年10月11日号)の報告。葬儀をサービスとする「イオン・ショック」なども昨年はあった。

・ 通用しない、「お寺は檀家が守るもの」
 寺は檀家が支えるという原則。法施(寺)と財施(檀家)の相互関係。

・個人化と脱宗教化
 2010年、イオンの「お布施の目安」。葬儀を消費者に対するサービスとして進める。

・東京メディアの情報グローバリゼーション
 東京都と地方とでは葬儀のあり方は異なる。共通する「死生観」は存在しない。

・寺と檀信徒の関係性
 信仰→共助→公益。東日本大震災では地域の浄土宗の寺を訪問し、そこから地域の人への奉仕を行う。
 仏教界の問題要因(慶応大学・中島教授):宗教活動の空白化、長期的視点の欠落、組織的ガバナンスの問題、人材不足。
 宗教法人の規定が厳格化される中で、寺の法人格が剥奪されるケースも出てくる可能性がある。

・葬式は一本の映画である
 家族葬、一日葬、直葬(直葬は首都圏の葬儀の2割を占めると言われている)。
 葬式のミニマム化が進んでいる。今日の葬儀の簡略化は積極的な意味より、虚無的な感覚を伴っている。死者への弔いの意味が根本的に問われている。
 人生を一本の映画にたとえれば、ラストシーンは葬儀である。葬儀だけを豪華にしても意味がない。葬送儀礼の本質は、葬式だけを見てもわからない。生前の生き方を含め、そこにかかわるものの全体を再点検していく必要がある。
 

2.供養の共同体:生前個人墓「自然」(じねん)

・リストラされる葬式仏教
 散骨、自然葬、式場葬、家族葬、直葬、イオンの葬式が広まる。

・永代供養墓の歩み〜自然志向、コミュニティ志向
 家族の縮小に伴う供養の困難。最大の難問は「家墓」の継承難。自分が生きたという痕跡を、死後、誰が責任をもつのか。
 日本人の遺骨信仰。いっしん寺には、遺骨で作られた仏像がある。
 永代供養の歩み。80年代、比叡山から始まり、広まってきた。90年代、岩手・祥雲寺の樹木葬。自然に着目した葬儀のスタイルが広まってくる。

・結縁のネットワーク
 血縁から結縁へ。供養のネットワーク。血縁を超えて永代に供養するという試みも始まっている。「家墓」を否定する。墓を介して、個人と個人が出会っていく。

・生前個人墓「自然」の仕組みと生前交流
 應典院で生前個人墓を備える。個人単位。夫婦でも別々。生前に自分の意志で個人墓を備える。生前に個人と交流する。合同供養を一年一回行うことによって、交流が進む。「墓友」(はかとも)のような関係ができる。ほとんどの人が大蓮寺の「自然葬」(じねんそう)を選ぶ。

・エンディングサポートという社会実験
 「大蓮寺エンディングを考える市民の会」を作り、様々なセミナーを行う。
 「自然」→会員→NPO→市民という具合につながっていく。

 
3.グリーフワークとしての葬送

・個人を圧迫するグリーフ(悲嘆)
 映画「送り人」。現代の遺族は死を知らない。死を継承できなくなったときに、このような映画が出てきたと言える。
 大切な人を失った悲嘆は変わらない。悲しみの重力を和らげている環境がかつてはあったが、今はそのような共同体がないため、悲嘆がいきなり個人に襲いかかることになる。

・手元供養の登場...供養は故人のメモリアルか
 供養の私事化、メモリアズム化。遺骨をペンダントやネックレスに変える。遺骨は追憶の対象となる。自分の記憶の中に閉じ込める。いつまでも個人の中にかかえることになるので、グリーフにつながるかどうかはわからないが、非常に盛況である。

・グリーフと市民活動
 自分の最後について語り合う。予期悲嘆を学びの対象としている。中高年の人たちが多数集まってくる。宗教抜き。
 「年越いのちの村」:年末年始、里に帰ることのできない人々が集まって共同生活をする。年越しそばを食べる、除夜の鐘をつく、書き初めをするという共同の行為を通じて、一気に関係が打ち解けていく。一定の決まった行為を積み上げていくことは重要である。

・グリーフワークとしての葬式
 死の事実を見つめる。悲嘆の表出。死者を弔う。死者の再評価。(碑文谷 創)

・災害と葬式
 自分が前向きになると、亡くなった人を置き去りにしたような気持ちになる。葬式をすることによって、自分たちが生きることこそ、故人に対する供養になるという気持ちに変わっていく。


4.生老病死のコミュニティ

・「いのち」を支えるお寺の地域事業
 「支縁のまちネットワーク」が2010年立ち上げられる(釜ヶ崎)。
 教育、福祉、医療、看取りにお寺が関わっていく。地域事業型の寺が誕生しつつある。葬式仏教のあり方が変化していく。

・宗教の立ち位置をデザインする
 宗教は生から死までをカバーすることができる。葬式仏教は、これまでエンディングだけをカバーしてきた。

・寺は死生観形成の拠点
 死生観は時代状況によって変わっていくが、なくなるものではない。自分たちの体験の中で、死生観を学び直していかなければならない。たとえば、遺影展を行い、自分の死について語ってもらう。仏教とアートが供養によってつながる。
 若者による死生観の学びもある。生と死のワークショップを行っている。特定の宗教を背景にしていない。宗教者はそれに対して何ができるのか。

・葬式仏教を上書きする〜共生極楽成仏道
 無縁社会において、孤立する個人とともに生き、共に安心して往ける、つながりづくり。
 これが浄土門の今日的意義ではないか。

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