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近代日本における原理主義

 ノルウェーでのテロに関連して、キリスト教原理主義について、7月24日記事(「ノルウェー・テロ:キリスト教原理主義との関係?」)7月27日記事(「右翼思想とキリスト教原理主義の関係──アメリカとヨーロッパの違い」)で記しましたが、この勢いにまかせて、今日は、近代日本における原理主義について簡単に記しておきたいと思います。
 先の記事でも触れたように、日本では「原理主義」と聞くとそれを暴力やテロの原因として短絡視してしまう傾向があります。しかし、原理主義が内包する問題の広がりは、決して外国での話ではなく、我々の歴史の一部にも深く関係していたことを知っておくことは大切です。
 原理主義をどのように定義するかは、専門的な学問領域でも論争を引き起こしてきましたが、ここでは簡単に狭義と広義の理解を示しておきます。狭義の理解では、原理主義は、20世紀初頭のアメリカ・プロテスタントの文脈で理解されるキリスト教原理主義として理解されるべきです。これが原理主義の原義と言ってもよいでしょう。他方、広義の理解ではキリスト教に限定せず、他の宗教や運動における同様の傾向性に注目します。私の場合、「近代化・世俗化に抵抗しつつ、それを超える文明論的な原理を掲げる、思想的・政治的な運動」(小原・中田・手島『原理主義から世界の動きが見える』PHP研究所、2006年、32頁)と定義しています。
 広義の理解に立てば、国家神道を近代国家形成のための基軸に据え、欧米に抵抗しようとした近代日本の国家体制は、原理主義的傾向を持っていたということができます。また、それは神道に限らず、仏教にも多かれ少なかれ見られた傾向でした。そのあたりのことは、少し前のものになりますが、以下の研究発表で触れています。

「近代日本宗教史の中の「原理主義」―キリスト教原理主義との比較」、京都・宗教系大学院連合 第2回「仏教と一神教」研究会

 細部はともかくとして、ここで私が言いたいのは、「原理主義」と聞いて、それを外国における暴力・テロの原因として直結してしまうのではなく、私たちの歴史の一部にも、類似の構造があったことを認識することを通じて、問題の普遍性を理解することに努める必要があるということです。

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