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CISMOR講演会「現代世界におけるムスリム女性」

20111022_1.jpg 10月22日、サラ・A・ビン・ジャラウィ・アール・サウード王女殿下を講師に招いて「現代世界におけるムスリム女性」をテーマとするCISMOR講演会を行いました。
 普段、断片的にしか伝わってこないイスラーム世界の女性をとりまく状況やイスラームからの見方をまとまった形で聞くことができ、質疑応答も非常に活発に行われました。
 以下に、簡単なメモをつけておきます。

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現代世界におけるムスリム女性
サラ・A・ビン・ジャラウィ・アール・サウード王女殿下

 イスラームの人権は、イスラーム法によって成り立っているのであって、人間の考えに依存するものではない。そこでは人間の平等が重視される。イスラームの人権は、自由、公正、諸権利、平等に依存している。しかし、これらがすべて実現しているわけではない。
 イスラームの人権は神を尊重することの一部として理解されているので、神を蔑ろにすることは許されない。
 公正の確立について。イスラームは、権利において男性と女性を区別しない。自由と責任と連携、権利と義務の連携が重要。自由は人間にのみに与えられたものである。自由は他人や自分を害することを許さない。
 公正と平等との連携について。イスラームにおける平等は、軸となる考えである。社会はそれを通じて成長する。公正の実現のためには平等が必要。我々はアダムとエバの子孫であるという意味において、みな平等である。
 権利と義務の連携について。権利を獲得することは他者に対する責任を果たすことを意味する。もっとも重要な権利は自由である。自由は人間の意志と関係し、それは選択の結果に責任を持つということを意味する。人間が崇拝すべき対象は神であって人間ではない。自由の一つとして、信仰の自由がある。クルアーンの中にあるように、信じたい者は信じ、信じたくない者は信じなくてもよい。選択の自由があるが、それについては責任を負わなければならない。
 ほかの自由として、見解の自由がある。
 女性には婚姻の自由がある。教育の権利もある。それは同時に義務でもある。教育はよりよい社会のために必要である。労働の権利はもちろん女性にも与えられている。女性がつけない仕事がある。国家の首長につくことはできない。
 財産権について、イスラームは男性と女性を区別していない。
 政治的な権利について。政治という言葉は比較的新しい。近代になって、この言葉が我々の社会に入ってくることによって、様々な議論を引き起こした。しかし、社会の建設において男女はまったく平等である。
 イスラームが持つ変わらない理想はあるが、現代のムスリム女性の現状は必ずしも望ましいものではない。この問題はイスラームに還元されるべきなのか、現実の社会に還元されるべきなのか。イスラーム社会は、様々な分野において後進性の時代を経験した。それに加えて、多くのイスラーム社会が西洋の植民地とされた。イスラームにおける女性の権利が実現されない状態も生じてきた。女性の教育が進む中で、新たな課題が認識されるようになった。その中でも一番大事なものが女性の権利の問題である。女性は自分たちが不正に扱われているということを感じ始めている。社会に対する能動的な参加によって、自己実現したいと考えている。
 多くのイスラーム社会では女性の識字率はまだ低い状態にある。ただし、湾岸諸国やサウジアラビアなどでは、女性教育は進んでいる。イスラーム社会の固有性をどのように維持すべきか、という別の問題もある。
 現代、女性は社会の内部から外部からの圧力にさらされている。アイデンティティは人間にとって本質的。アイデンティティを通じて他者と橋渡しし、未来と橋渡しすることができる。しかし、若い世代の中には、こうしたアイデンティティから離れたいという傾向がある。そして、自分たちのものではない文化を着ようとする。アイデンティティはイスラーム世界において大きな論点となっている。
 こうした問題を先導したのは報道である。古いものを捨て去って新しいものを入れようとする。イスラーム女性が本来の姿とは異なる文化が外国から入ってきて、イスラーム的な価値観を溶解させようとする。女性が消費文化の手段にされてしまう。物質的な側面が強調され、精神的側面が軽視されることになる。
 日本では、我々が抱えているこのような問題に対し、どのように対応してきたのだろうか。この問いをみなさんに聞いてみたい。
 イスラーム法が守られている限りにおいて、女性の権利が削減されることはない。イスラームがイスラームの実際において判断されることも事実である。どの社会においても、本来的ではない意見が存在する。

(質疑応答の中で)
 ベールについて。男女の平等とベールをかぶることは関係がないと考える。自分自身の意志でベールをかぶっており、誰からも強制されていない。イスラーム法によれば、女性は顔以外の部分を覆わなければならないことが決まっている。顔を覆うかどうかは別の問題であるが、わたしは自分でそれを選択している。ベールをかぶることによって、私は私の尊厳を感じることができる。
 イスラーム女性の体が覆われていたとしても理性が覆われているわけではない。

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