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宗教倫理学会 公開シンポジウム「3.11以降の社会と宗教」

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 3月17日、龍谷大学で宗教倫理学会の公開シンポジウム「3.11以降の社会と宗教」が開催されました。
 真宗大谷派の福島和人先生と関西学院大学の栗林輝夫先生(写真)を講師としてお招きし、それぞれ40分ほど話をしてもらった後、私を交えて、パネル・ディスカンションをしました。
 原発問題をどのようにとらえるのかについて、仏教とキリスト教の視点の違いや共通性について確認することができたように思います。
 人間と自然との関係、人間中心主義、技術と人間の欲望をめぐる問題などを議論し、今後予定されている研究会の論点が示されたように感じました。
 以下に栗林先生の講演のメモをつけておきます。
栗林輝夫「原発をキリスト教はどう見るか──神学で読む原子力テクノロジー」

1.はじめに
 日本では技術はよいものと考えられてきた。しかし、技術をどのように考えたらよいのか。キリスト教世界では技術に対する議論がなされてきた。

2.キリスト教とテクノロジー
 エデンの園でアダムは禁じられた知恵の実を食べ、楽園から追放された。技術は、楽園の外に追放された人間を助ける「善なるもの」と考えられてきた。技術が徐々にできていく様子が旧約聖書にも記されている。技術は人間を自然の脅威から守る道具として考えられてきた。
 アウグスティヌスは技術を高く評価していない。「神の国の至福に比べれば無に等しい」(『神の国』) しかし、1000年ほど前から技術は高く評価されるようになる。それを最初に言ったのはエリウゲナ(810-877)。技術は神の国の一部を地上に実現する。
 古代では、ものを「作る」のは奴隷と女の仕事とされた。それに対し、ものを「考える」哲学者など、もっとも尊いとされた。しかし、1000年ほど前から、もの作りが重視されるようになる。参考:ケン・フォレット『大聖堂』
 技術は神の国の救済につながると考えられてきた。技術に対する見方は、西洋の10世紀から13世紀頃に成立している。

3.キリスト教と原子力技術
 原子力開発も、人間に仕えるものと考えられた。原子力は、神に奉仕するのではなく、人間の解放のために奉仕すると考えられた。
 レオ・シラード(1898-1964): 米国に原爆製造を進言。人類の解放のために。ナチスが原爆を先に作ってしまえば、自由世界は終わってしまうと考えた。
 ロジャー・ベーコン(13世紀):科学技術を教会のもとで監督しなければならないと考えた。科学技術を「反キリスト」に悪用されないため。
 カール・バルト:原子力エネルギーは神の恵みであるが、それを悪用してはならない(『教会教義学』)。

4.キリスト教は原発をどう見てきたか
 日本では、鉄腕アトムはヒーローであり、原子力は夢のエネルギーであった。
 ティヤール・ド・シャルダン:原爆の成功を喜んだ。核エネルギーを人類の手中におさめたことを絶賛した。
 その後の世論は、核兵器はだめだが原発はよいという主張が一般的であった。
 アメリカは、広島に原発を作りたいと考えた。原子力エネルギーの平和利用は望ましいと考えたから。
 ジャック・エリュール:巨大な技術は人間から独立し、人間はその奴隷になってしまう。預言者の偶像崇拝の精神に立ち返る必要がある。こうした批判は1970年代後半になって、ようやく出てきた。

5.おわりに──キリスト教は原発をどう見るか
 技術は三つの段階を経て静まる。1.すべてが技術によって解決するという希望。2.技術の欠点が見えてくる。3.利点と欠点を公平に見て、その利用を評価する。原発は第三段階目に位置している。
 私たちは原発の全方位システムから逃れられないのだろうか?
 技術 には二種類のタイプがある。1.「ノアの箱船」的技術。人類を救う技術。2.「バベルの塔」的技術。人間が神に代わろうとする。

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