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K-GURS 公開シンポジウム「宗教と道徳──道徳の教科化を考える」

20150117.jpg 以下のような内容で京都・宗教系大学院連合(K-GURS)の公開シンポジウムを開催しました。私はK-GURSの議長としての務めを今年3月で終えますので、このシンポジウムが外向きには最後の仕事となります。

「宗教と道徳──道徳の教科化を考える」
日時:2015年1月17日(土)午後1時〜4時
場所:キャンパスプラザ京都 第1講義室
基調講演:
 竹内 明(佛教大学 教授)
 「より善き生への支援―宗教と道徳のはざまで」
 森 孝一(神戸女学院大学 教授・神戸女学院院長) 
 「『道徳の教科化』とキリスト教主義学校―守るべきものはか?」
コメンテータ:
 沖田行司(同志社大学 教授)

 竹内先生は道徳教育および宗教的情操教育の必要性を訴えておられました。
 森先生は、戦前、キリスト教が大日本帝国憲法、教育勅語、文部省訓令との関係で苦労した歴史を振り返りながら、現在進められている道徳の教科化に対して以下のような問いを立てられていました。
 宗教科において教科書である『私たちの道徳』をどう扱うか?

1)『私たちの道徳』は使わない。文科省による道徳の教科化を無視し、現行通り、聖書科の教育を行う。
2)聖書科は廃止して、道徳科を設置する。もちろん、教科書は使う。
3)聖書科を道徳科の代替とし、聖書科の中で『私たちの道徳』も使う。
 森先生の選択は3です。キリスト教主義学校の聖書科の中で愛国心を扱ってこなかっただけでなく、戦後の日本のキリスト教がこの問題に向き合ってこなかったこと、この点が日本の神学の弱点であることを指摘しつつ、『私たちの道徳』を批判的に扱う形で、愛国心・道徳の問題に積極的に打って出るべきだという主張を展開されていました。
 沖田先生は、教育史の視点から日本の近現代を振り返り、同時に、同志社や新島襄のことも例にあげながら、論点を明確にされました。戦前は道徳を国家の中に閉じ込め、国家道徳にした点に問題があり、その点に注意を促しておられました。

 道徳・倫理・宗教をめぐる課題は、近代以降、日本社会のあり方を左右してきた問題であるだけに、道徳の教科化が進められる時代の仲で、その全体像をしっかりと見据えて、対応していく必要があることをあらためて感じさせられた、よい機会となりました。

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