小原On-Line

Mission San Miguel

20100707.jpg モントレーから無事、サンタバーバラに帰着しました。
 途中、ガソリン・ランプが点灯したので、急ぎ、フリーウェイ(Route 101)を降りガソリン・スタンドに向かいました。給油後、フリーウェイに戻ろうとしたところ、入り口を間違えたため、小さな町をぐるっと回ることになったのですが、そこで偶然、California Mission らしきものと遭遇しました。降りて確かめると、Mission San Miguel Arcangel でした。San Miguel という小さな町で1797年に設立されています。21あるカリフォルニア・ミッションの中では16番目のものです。この教会の中庭にも、ユニペロ・セラ(Junipero Serra)の像が立っていました。このミッションはセラが直接に建てたものではありませんが、彼はすべてのカリフォルニア・ミッションの代表者のような位置づけを与えられていることが、こうした像からもわかります。
 Mission San Miguel の詳細は次のページに記されています。

■Mission San Miguel

 参考まで、21あるカリフォルニア・ミッションの全体図を右上にあげておきます。現在の Route 101 (El Camino Real) と、ほぼ重なっています。

 Mission Santa Barbar にはじまり、いくつかのミッションを見てきましたが、若い国アメリカの中に歴史的な足跡が残されているのは興味深いです。カトリックは巡礼を重視しますが、カトリックではない私でさえ、ミッションをたどってみた気にさせられます。
 歴史的に、プロテスタントは、巡礼というカトリック的伝統を無視ないしは軽視してきました。プロテスタントは場所にとらわれない普遍性を重視する傾向があり、「聖なる場所」が意識されることはあまりありません。しかし、特定の場所へのこだわりと、それからの自由は、おそらく、あれかこれかという二者択一的なものではなく、相互補完的な重要性を持っているのだと思います。特定の場所への巡回が「自由」を支えるアンカーとなるのであって、それを失った「自由」は、糸の切れた凧のように、制御を失っていくのではないか・・・ ということを、ふと考えました。

 Mission San Miguel の写真(あまり多くありませんが)を組み合わせた動画をアップしましたので、関心のある方はご覧ください。

■関連記事
Carmel Mission (07/03/2010)
Mission Santa Inés (02/07/2010)
Mission Santa Barbara (09/11/2009)

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コメント(2)

小原先生

いつも興味深いご記事と写真をありがとうございます。自分まで西海岸を旅行したり、勉強している気分にさせて頂いています。

私もサンフランシスコに留学する前に、カリフォルニア・ミッションに関心をもったのですが、文学の授業でヒッチコックの『めまい』(Vertigo)を観たのがきっかけです。自殺衝動をもったスペイン系のヒロインが自分の先祖の足跡を辿るかのようにスパニッシュ・ミッションを訪れるのですが、その中にサンフランシスコのミッション・ドロレスや、サン・フアン・バティスタという名のミッションが出てきました。私は貧乏院生で、車がなかったので、最初意気込んでいたようにカリフォルニア・ミッションの多くを訪ねることが出来ませんでしたが、カーメルのミッションやロサンゼルス近郊のサン・フアン・キャピストラーノは、訪れました。温暖なカリフォルニアの天候に恵まれ、おそらく年中咲いている、色とりどりの鮮やかな花・木の庭園や、ミッションごとに異なる宣教の歴史、先住民との対立や交渉の記録が、興味深かったです。

このように各地に広がっている、というと、どの場所も訪れたくなりますね。それが巡礼というものかもしれません。

私自身もプロテスタントとして、カトリックの色々な伝統に躊躇を感じる場合がありますが、神聖な場所や時間の意識は、時々居心地よさを感じます。例えば、灰の水曜日に始まりイースターまでのレントの期間、ペンテコステや、アドベント、クリスマス、公現日などの聖日は、キリスト教徒にとって一年の暦と同時に、色々な意味を考えさせる記念日だと思います。サンフランシスコで通ったルター教会や日本人教会(同志社系列の)も、これらの聖日をお祝いしていましたが、私の印象では、日本のプロテスタント教会の中には、ペンテコステをとりわけ記念しなかったり、教会暦をあまり重視しない傾向もあるのでは、と思われます。

あまり聖日が多すぎて忙しくなりすぎ、形骸化するのもどうかと思いますが、「聖なる場所と時間」は時々あったほうが、心を集中したり、聖書や人生についてあれこれ考えることが出来て、良いのではないかと思います。

Whitewhale さん
カリフォルニア・ミッションに関する貴重なコメント、ありがとうございました。わたしは、こちらに来るまでは、カリフォルニア・ミッションについて十分な理解を持っていませんでしたが、一つ、二つと訪ねる内に、ミッションがカリフォルニアや植民地主義、さらには米国の歴史と深く関わっていることに関心を引かれるようになりました。
「聖なる場所と時間」に関するコメント、まったく同感です。
「聖なる場所」「聖なる時間」は、マンネリ化してしまうと、まさに本末転倒ですが、「物語」を構成し、イマジネーションをかき立てるためには、とても大切な役割を果たすと思います。それに対する意識が希薄になると、時折プロテスタント教会に見られるように、普遍的であるが故の抽象化へと向かっていくように思います。特定の場と時間を共有するという身体経験は、信仰の具体性(身体性)を確保する上で重要ではないかと考えています。

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