小原On-Line

ニュースの最近のブログ記事

 7月24日記事(「ノルウェー・テロ:キリスト教原理主義との関係?」)に引き続き、ノルウェー・テロにおける課題を整理しておきたいと思います。原理主義に関する本や論文を書いている以上、私も「原理主義」(ファンダメンタリズム)についての専門家の端くれですから、今考えていることを明らかにしておくことは、私の社会的責任であると思います。
 ここでは、特に右翼思想とキリスト教原理主義の関係、そしてそのアメリカとヨーロッパの違いなどに焦点をあてます。

 ヨーロッパにおける右翼思想・運動のほとんどは世俗的です。宗教(キリスト教)との接点をほとんど持っていません。ただし、近年、各国に現れている極右団体が、移民排斥の態度を取り、結果的に反イスラーム的なイメージを強めていることは事実です。
 それに対し、アメリカにおける右翼思想・運動は、キリスト教保守勢力(宗教右派)と結びつくことがあります。保守層においては、愛国的であることと、キリスト教的であることが一体的に理解されています。1980年代以降、キリスト教保守勢力が政治活動を活発化させ、大統領選挙においても影響力を及ぼす存在となっていることは、今や広く知られています。

 近年、ヨーロッパでは、極右団体に限らず、政治的保守層においては移民に対するネガティブな姿勢が強まっています。ただし、公的な場におけるイスラーム的象徴を拒絶する動き──フランスにおけるブルカ着用の禁止、スイスにおけるミナレット建設の禁止など──は、世俗的な動機付けによっているのであり、ムスリムに対する排他的態度がキリスト教によって支援されることは、通常あり得ません。ちなみに、ブルカ禁止もミナレット禁止も、それぞれの国のキリスト教会が法案反対の表明を出していました。
 以上のように、世俗主義的な右翼思想がヨーロッパにおける基本型であることを考えると、今回のノルウェー・テロの容疑者は、かなり特殊な例であると言うことができます。少なくとも、容疑者が何か特定のキリスト教原理主義運動を代表しているわけではなく、また、そうした実体がない以上、「キリスト教原理主義者」と自称することは、自らの信念の表明ではあり得ても、社会的な意味はほとんどないと言ってよいでしょう。

 それと同時に確認しておかなければならないのは、次の点です。
1)潜在的には、どの国においても、移民(特にムスリム移民)をめぐって、寛容(受容)と拒絶の間の緊張が高まってきていることを理解すれば、今回の件は、容疑者の個人的狂気として片付けることのできない、根の深い問題を含んでいると言えます。

2)容疑者が特殊な例であるとはいえ、移民排斥の論理としてキリスト教の「十字軍」「殉教」といったイメージを積極的に使っていたことは、西洋キリスト教とイスラームとの歴史的関係を、繰り返し見直していかなければならないことを示しています。キリスト教側が、この件をただ単純に例外的事例として「外部化」してしまうことは禍根を残し続けることになります。キリスト教界は、容疑者の聖書解釈の間違いを批判すると同時に、自らの伝統に対しても批判的な反省の目を向ける必要があります。

3)日本における、このニュースの受け止め方の中には「やはり、宗教が原因になっているのか!」と原因を短絡視しているものが少なくありません。宗教が絡んでいることは確かですが、それを直接の原因と考えてしまうと、微細な問題をすべて見過ごしてしまうことになりかねません。これは、日本社会において、もっとも注意しなければならない点であると思います。また、移民問題(移民蔑視)は日本にとって人事(ひとごと)ではありません。今回の事件をただ惨劇の一つとして消費し、忘れていくのではなく、自国の多文化主義、移民政策のあり方を考える、きっかけとすべきでしょう。
 7月22日、ノルウェーで起こった連続テロ事件の背景や容疑者の動機については、今後の調査を待つ必要がありますが、多くのニュースで言及されている、犯人が「キリスト教原理主義者」を名乗っている点について、少しばかり述べたいと思います。

 まず、「キリスト教原理主義」の原義はアメリカの歴史的文脈において理解する必要があります。その言葉や運動が、20世紀初頭のアメリカで誕生しているからです。現在のヨーロッパは、全体的に世俗化が進行していることもあって、ヨーロッパには、アメリカのキリスト教原理主義に対応するような組織は存在していないと言ってよいでしょう。
 もちろん、今回、テロの容疑者が「キリスト教原理主義者」を名乗っていることからもわかるように、個人のレベルでその言葉を解釈し、自己理解とすることは可能です。しかし、アメリカの原理主義運動が持っているような組織的な宗教・政治的活動とは次元が違うことを認識しておく必要があります。
 おそらく、ノルウェーのテロ容疑者の場合には、宗教的動機付けが主軸にあるというよりは、彼の持つ右翼思想を正当化する論理の一部としてキリスト教に依拠していたのではないでしょうか。その理由の一つには、容疑者が持っていたと言われる反イスラーム感情があります。反イスラーム的態度を正当化するために、彼にとっては保守的なキリスト教思想が利用しやすかったのかもしれません。
 実際、現代のキリスト教原理主義、あるいは、宗教右派の運動の一部には、明確な反イスラーム的態度が見られます。昨年、世界でももっとも話題になった例をあげれば、フロリダ州の牧師、テリー・ジョーンズが、9.11にあわせてコーランを焼く計画を立て、大騒動になった事件がその典型的なものです。
 今回のテロの容疑者が、どの程度キリスト教の影響を受け、どのような意味で「キリスト教原理主義者」と名乗っているのかを確かめるためには、もっと詳細な背景情報が必要です。今の段階で言えるのは、彼の右翼思想の一部となっていた移民排斥・多文化主義批判および反イスラームの態度が、保守的キリスト教の排外的な思想を引き寄せることになったという程度でしょう。しかし、これはこの容疑者だけの問題ではなく、多かれ少なかれ、現在のヨーロッパ全域(さらにはアメリカ)に見られる傾向であり、この事件だけを、時代の文脈から孤立させて特殊化してしまうのは、よくないと思います。
 アメリカにおいてもヨーロッパにおいても、社会が寛容に向かい過ぎることを嫌う人々がいます。その場合、寛容に抵抗するための論理が何らかの形で求められることになります。今回の場合、容疑者はその論理を「キリスト教原理主義」と呼んだのではないでしょうか。

 なお、今回の事件に関連して、たくさんのニュース記事が出ていますが、比較的丁寧に思想的・社会的背景を記しているものとして次の記事を示しておきます。


 このブログの関連記事として以下のものがあります。


 また、事典項目として「原理主義」について記したものがありますので、関心ある方は参考にしてください。

「キリスト教原理主義」、井上順孝編『現代宗教事典』弘文堂、2005年
「宗教的原理主義の台頭」、日本社会学会社会学事典刊行委員会編『社会学事典』丸善、2010年

 原理主義の問題については、共著『原理主義から世界の動きが見える』(PHP新書、2006年)に記しましたが、今回の件に関連しそうな部分「現代の原理主義:宗教右派の特徴」(p.145以降)を、参考まで以下に引用しておきたいと思います。

 震災に対する救援活動は、様々な形で活発化しつつありますが、宗教関係の組織も、比較的早い段階から活動を始めています。ただ、それぞれの教団が個別に対応するのではなく、可能な範囲で協力して支援に取り組むことを目的として、宗教者災害支援連絡会が結成されました。
 異なる宗教間で具体的な課題を共有して行う実践的な取り組みは、これまで、あまり例がありませんので、まずは情報交換から始まることになります。
 私は賛同者の一人として関わっているだけで、具体的なことは何もできていないのですが、まずは、このような組織が活動を始めていることをお知らせしておきたいと思います。
 2002年5月15日、NHK BS23 ワールドニュースで放送されたものをYouTubeにアップしました。カトリック教会の基本構造や、2001年以降、アメリカ宗教界を激震させてきた聖職者による児童への性的虐待問題の初期の事情を知 ることができます。番組後半で、私がコメントしています。
 すでに2001年から本格的な問題が露呈していながら、十分な対応をしなかったために、現在に至るまで尾を引く大問題となってしまいました。今ある問題の根の部分を知る上で、2002年時点の放送内容が皮肉にも、古びない内容として響いてきます。
 NHKからクレームが来れば、すぐに取り下げますので、関心ある方はお早めにご覧になってください。日が経っているので大丈夫だとは思いますが。

 トニー・ブレア(前英国首相)が、Tony Blair Faith Foundation を設立しました。詳細は次のサイトをご覧ください。

■Tony Blair Faith Foundation
http://tonyblairfaithfoundation.org/

 宗教間対話のセンターです。世界の主要宗教の間の相互理解を促進することが目的とされていますが、関わっているメンバーを見ると、ユダヤ教・イスラーム・キリスト教の間の相互理解に優先順位がおかれているようです。
 世界には宗教間対話のための組織は数え切れないほどありますが、宗教指導者ではなく、プロの政治家が、こうしたセンターを組織・運営するのは前例がないのではないでしょうか。
 その点では、他にはないユニークな貢献がなされることを期待しています。まだ具体的なことは何もなされていませんので、まずはお手並み拝見、といったところでしょうか。

 トニー・ブレアについては、最近の私の論文「宗教多元主義モデルに対する批判的考察――「排他主義」と「包括主義」の再考」でケース・スタディとして取り上げ、彼の論文を批判的に検証しています。
 上記サイトのトップページにもかかげられていますが、ブレアの目指す "Global Good" (グローバルな善)が、どの程度共感を呼び、広く受けとめられるかが焦点になりそうです。

 この事故は、全国的に報道されていると思いますが、わたしも第一報を聞いたときはびっくりしました。午後の授業のあと、事故の近所から来たという学生さんから、比較的詳しい話を聞き、かなり心配になりました。彼が言うには、同志社の京田辺キャンパスで2時間目の授業に出席する際に、同志社の学生がよく使う時間帯の列車だ、とのことでした。
 詳細はまだわかりません。この列車には神学部の学生も乗車しており、怪我をしたものの無事であると知らされました。そのほかにも、同志社の学生が乗車していた可能性は高く、心配です。
 負傷された方々の無事と、そして大切な人を亡くされたご家族への慰めとを祈らざるを得ません。

 全国的にどの程度報道されたのかはわかりませんが、関西の方では、今日の新聞は「聖神中央教会」の事件をかなり大きく扱っていました。
 わたしは午前中から用事があったので、きちんとした情報収集もしていませんでしたが、大学の方には朝から、いろいろなメディアからコメント依頼の問い合わせがあったらしく、時間の合間を縫って、何とか対応しました。
 詳細な情報を得ようと、事件の舞台となった教会のHPにアクセスしようと思っても、お昼間はアクセス不能状態でした。マスコミ経由の情報や、インターネットの書き込みなどを参考にして、コメントしましたが、あとでHPの情報を見て、それほど的はずれなことを言っていなかったことが確認できました。
 一点驚いたのは、京都の八幡市にあるローカルな教会かと思いきや、海外にも教会を持つ、かなり大きな組織であったということです。
 この教会はカリスマ運動の一翼をなしていると言えますが、一般的な日本の教会があまり元気がないのに対し、こうした教会が知らぬ間に大きく成長していることは不思議な感じがします。

■関連記事
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200504060023.html
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200504060025.html

 真相究明はこれからでしょうが、非常におぞましい事件であることに違いはありません。

 お口直しに、というわけでもありませんが、少し前向きな記事を。昨日も紹介した日経新聞のインタビュー記事をCISMOR BLOGに掲載しました。
 なかなかよい記事ですので、関心のある方は、ご覧になってください。

■CISMOR Blog
http://cismor.exblog.jp/

 Yokoさんがコメントで紹介してくださっていましたが、日本経済新聞4日朝刊に、一神教学際研究センターやCOEプログラムに関する森先生へのインタビュー記事が、かなり(!)大きく掲載されました。
 森先生の写真もかなり大きい。これだけ大きいと、「みのもんた」と間違えられることもないでしょう。(^_^;)

 冗談はさておき、日経がこれだけ大きく扱ってくれたというのは意味深長です。経済的関心と宗教というのは、日本ではもっとも縁遠い関係として見なされることが多かったですから。記事の内容は、ポイントをうまく整理しており、とても読みやすい内容に仕上がっています。できれば、スキャン画像をCISMORサイトにのせたいと思っています。

 この記事の中に小さなコラムがあって、そこで「同志社科目」に言及されています。わたしも、この科目を来週から担当します。新島襄や同志社の歴史を教えるほどの知識を持ち合わせていないのですが、行きがかり上、担当せざるを得ません。今から、勉強です(悲し・・・)。

 ローマ法王の逝去に関して、東京新聞から電話取材がありました。教皇の定年制についてコメントしました。40歳で就任、60歳で定年が望ましいですね、と答えておきました。どこかの記事の一部になるかもしれません。

 今日、京都の街中をタクシーで通り過ぎたのですが、桜、咲いていました。ほとんどの木は、まだまだこれからなのですが、一部の種類は、3分咲きくらいになっていました。京都では、今週末あたりに、ぱっといきそうな雰囲気です。

 ヨハネ・パウロ2世が亡くなり、世界中のメディアがそれを報じています。
 わたしは、授業の中で、ヨハネ・パウロ2世のことに頻繁に触れてきたこともあって、やはり寂しさを禁じ得ません。もちろん、彼の超保守的な立場から発せられる見解の多くに、わたしは賛同できませんでしたが、数々の歴史的過ちを認め、乗り越えようとしてきた行動力には、大いに敬意を払ってきました。
 その点で、傑出した教皇であったことは異論の余地がないでしょう。

 しばらくは、日本のメディアも大きく取り上げていくことでしょうけれど、比較的詳しい情報がカトリック中央協議会のサイトに出ていますのでご参照ください(下記参照)。後継者選びのことについても説明があります。また「用語説明」は秀逸。へぇ~!という発見があるはずです。

 コンクラーベという日本人にとっては、しゃれにも聞こえてしまうような選挙を通じて、120人ほどの枢機卿の中から教皇は選ばれるそうですが、候補者にあがっているのは、ほとんど70歳以上のご老人です。もっとも若い候補者でも60歳代。
 枢機卿の中から選ぶわけですから、年齢が高いのは仕方がないとも言えます。しかし、カトリックの教会法の上では、教皇の条件は「カトリックの男性」であればよいことになっていますから、もっと若い人が教皇になった方が、よいと思うのですが。
 たとえば、40歳代の人が教皇になれば、健康上の問題で気をもまなくてもよいですし、カトリック全体の雰囲気が変わると思うのですけど。

 キリスト教がまだキリスト教という名前すら持っていなかった、イエス運動と最初期の教会においては、活動の中心的担い手はもっぱら若い人々でした。若さにあふれた運動が、組織化と共に、高齢化していくというのは、何もキリスト教に限った話ではありませんが、やはり深刻な問題です。

 年寄りが悪い、ということを言いたいわけではありません。そんなこと言うと、"age discrimination"になってしまいます。そうではなく、高齢者が組織運営することが当然のことになってしまうと、信仰にとって大切なものが失われることが、しばしばある、ということです。残念ながら、日本のキリスト教界や仏教界で、こうした危険性を十分に自覚できないまま、世代交代に失敗し、組織そのものを疲弊させている例を多く耳にします。

 信仰の刷新、組織の刷新は簡単な問題ではありませんが、生き生きとした生命(信仰)の循環性を、組織がいかに体現していくことができるのか、やはり知恵を絞らねばならないと思います。

■特集:教皇ヨハネ・パウロ2世(カトリック中央協議会)
http://www.cbcj.catholic.jp/pope/index.htm

You are the
 th Visitor
 since 01/07/2004.

自己紹介

近  著

YouTube


Loading...

月別 アーカイブ

2011年8月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちニュースカテゴリに属しているものが含まれています。

次のカテゴリは生命倫理です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。