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京都・宗教系大学院連合の最近のブログ記事

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 7月29日、京都・宗教系大学院連合(K-GURS)の院生発表会と交流会が大谷大学行われました。
 発表のほとんどが仏教関係ですが、テーマが仏典の文献研究となると、さっぱり理解できず、それがかえって心地よかったです。たまに別世界をのぞいてみるのも、いいことです。
 ただし、高い専門性を持つことと、それをわかりやすく説明することは、両立しないわけではありませんので、徐々に工夫できればと思います。
 いずれにせよ、お互いにまったく知らない分野に耳を傾ける機会があるというのは、大学院生たちにとっては大事なことです。たこつぼ的専門性に身を潜めて研究するのもアリですが、現状ではそれがあまりにも多いので、専門性や宗派・宗教を縦断して研究・教育の視野を広げていくことが、K-GURSの目的の一つであると言ってよいと思います。
 研究発表会のあと交流会が行われました(写真)。新たな交流が構築されていく中で、着実な変化が積み上げられていくことを願わざるを得ません。
 京都・宗教系大学院連合(K-GURS)のチェーン・レクチャーの第5回目として佐々木 閑先生(花園大学)により「宗教教団の暴力性──オウム真理教」と題して、話をしていただきました。
 若い学生にとっては、オウムの一連の事件は幼い頃の記憶の彼方にありますので、佐々木先生が時系列的に詳細な説明をしてくださったのは、とてもよかったと思います。
 今回、オウムの特殊性を「律」をもった仏教との比較の中で際立たせていったのが、とても刺激的でした。日本仏教は「律」を持っていないので、オウムとの比較をしても意味がないとのこと。ほとんどの仏教が「律」を教団(サンガ)の要としてきたのに対し、それを持たない日本仏教はかなり特殊な存在であると言えます。
 仏教という組織を2500年にわたって維持してきた、まさにマネージメントの基盤に「律」があります。それによって、暴力の抑止(不殺生戒)もなされます。
 日本仏教の場合、そうした原則を持たないため、状況次第では暴力が許容されることになります。佐々木先生があげられていた例として、禅堂において師が弟子に体罰を加えることが正当化されたり、比叡山の僧兵や、戦時下における日本仏教界の戦争協力などがありました。いずれも「律」のもとでは厳しく戒められていることです。

 アジアのほとんどの仏教は「律」を持っていますので、絶対的に禁酒です。ところが、お坊さんがお酒を飲むことはごく普通の光景です。国際会議などで、日本の僧侶がビールで乾杯しているのを見て、他の国の僧侶たちが驚愕するのも、「律」の有無に関係しているようです。

 佐々木先生からサイン入りで近著『「律」に学ぶ生き方の智慧』をいただきました。今日の講義の多くのテーマをカバーしているようで、これから読むのが楽しみです。お薦めします。

 今年度、同志社大学を会場として、京都・宗教系大学院連合(K-GURS)のチェーンレクチャー「宗教と暴力・戦争」が行われています。詳細は下記ページをご覧ください。


 今日は、その第二回目で大谷大学のロバート・ローズ先生に「仏教における暴力の克服─ティック・ナットハンの思想を通して」と題して話をしていただきました。
 Engaged Buddhismやティック・ナットハンについての概要は知っていましたが、あらためて丁寧に学ぶことができて満足感がありました。いずれも日本ではまだ十分に知られていませんが、日本仏教の魅力を高めるためにも、学ぶべき点は多くあると思います。
 他大学の先生の講義を集中して聞けるのは、このチェーンレクチャーの醍醐味です。今後も楽しみです。
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 1月8日(土)、同志社大学 神学館礼拝堂で「宗教系大学の歴史と未来を考える」をテーマにして、京都・宗教系大学院連合(K-GURS)の公開シンポジウムが以下のように行われました。

基調講演:本井康博(同志社大学教授)
パネル・ディスカッション
司  会:奥山直司(高野山大学)
パネリスト:頼富本宏(種智院大学教授)
      山極伸之(佛教大学教授)
      赤松徹真(龍谷大学)

 以下に私のメモをつけておきます。あくまでもメモですので、正確でない部分もある(かもしれない)点はご容赦ください。

 今日は以下のような形で、京都・宗教系大学院連合(K-GURS)の研究会が行われ、久しぶりに、花園大学を訪ねることができました。

■京都・宗教系大学院連合 第9回「仏教と一神教」研究会
◎日 時:2010年10月16日(土)13:00〜15:30
◎場 所:花園大学 栽松館3階 大会議室

◎テーマ:祈りと瞑想
◎発表者:
 清水大介(花園大学)「キリスト者の祈りと坐禅」
◎コメンテーター
 小原克博(同志社大学)
 藤 能成(龍谷大学)
◎司会
 中尾良信(花園大学)

 発表者の清水先生は、カトリックにおける祈り(黙想・瞑想)についてかなり詳細に紹介してくださり、また、その各段階が坐禅とどのような対応関係にあるのかを説明してくださいました。
 花園大学は「東西霊性交流」というプログラムを25年にわって行ってきており、ヨーロッパのカトリック修道士と禅僧との交流の拠点となってきました。
 今日の研究会でも、禅宗、浄土真宗、真言宗、キリスト教など様々な角度から議論を交わすことができ、多くの刺激を受けました。K-GURSの醍醐味です。
 種智院大学の先生は、大日如来はきわめて人格的な仏であり、この宇宙を生み出した存在として理解されているが、一神教の神との違いがどこにあるのか、という問いを出されていました。(瞑想における)神との合一という視点に立つと、大日如来と一体化するという真言宗の教えに、さらに近接してしまうので、明確な違いを見つけるのがますます難しくなります。私も似たような関心を持っていましたので、これをきっかけに議論がはずみました。
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 3月28日、京都・宗教系大学院連合(K-GURS)主催の公開講演会を行いました。近年、道元を題材にした著作や歌舞伎の台本で知られている小説家の立松和平氏を講師にお招きし、「禅に学ぶ」と題して講演していただきました(私は司会)。
 立松氏は、禅の専門家ではありませんが、小説家として道元の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』を深く読まれ、とてもわかりやすく道元を中心に禅の世界を話してくれました。まさに道元が残した「言葉の森」に分け入るような話しぶりでした。

 禅を理解する上での重要な考え方をいくつも紹介してくださいましたが、その中でも、立松氏が「修行とは一体何なのか」という問いに対して語られ、禅の本質を言い表しているのではないかと紹介されたのが、次の言葉です。

 徧界(へんかい)曽(かつ)て蔵(かく)さず

 真理は(日常世界の)至る所に存在しており、隠されてはいない、という意味なのですが、修行とは何なのか、真理とは何なのか、ということを端的に言い表していると思いました。キリスト教に引きつけていうなら「自然神学」に隣接点をもつ考え方です。

 この講演の前日に、あろうことか偶然にも、私は道元の永平寺を訪ね、実際に修行僧の姿を見て、あれこれ考えさせられていただけに、この日の講演での一言一言が身にしみました。
 特にプロテスタントは、身体的な鍛錬を軽視する傾向にありますので(信仰義認論の影響)、禅の考え方と実践からは学ぶことが多くあるように思います。

 実は、私はドイツ留学中にクラスで『正法眼蔵』の一部をドイツ語で読みながら、禅の勉強をしたことがあり、そのことを懐かしく思い出しました。さらにいうと、座禅のための修養会に参加し、ゼミの学友たちと、ドイツの森の中で、あの阿部正雄氏から指導を受けたことがあります。
 花園大学(臨済宗妙心寺派)とヨーロッパのカトリック教会は、東西霊性交流という形で交流の歴史があるのですが、日本のプロテスタントはほとんど禅に対する関心を持っていません。そりが合わない、といってしまえば、それまでですが、身体的な鍛錬の重要性を知ることは大切だと思います。
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 1月17日、同志社大学で京都・宗教系大学院連合(K-GURS)の第6回「仏教と一神教」研究会が以下のようなプログラムで行われました。

◎テーマ:天国と浄土
◎発表者:
 曽和義宏(佛教大学)
  「極楽浄土──平等な世界」
 中尾良信(花園大学)
  「道元の説く三時業──地獄の中有と三世」
 越後屋 朗(同志社大学)
  「聖書およびキリスト教における天国」
◎コメンテーター:安達俊英(佛教大学)
◎司会者:小原克博(同志社大学)

 知らないことばかりで勉強になりました。
 やっかいなのは、浄土にしても天国にしても現代人にどのように語るか、という課題です。理念と現実の乖離についても、それぞれの立場から紹介がなされました。

 以下は、私の勝手なコメントです。
 かつて、浄土も天国も空間的に位置づけられていました。浄土であれば西方に、天国であれば上方にあると考えられたわけです。昔は、遠い距離がそのまま「超越性」を担保することができたので、空間的メタファーによって語ることによって、十分機能していたわけです。
 しかし、さすがに近代以降は空間的に、それらを位置づけることができなくなりますので、「死後生」として時間的次元に転移させられていきます。
 浄土も天国も、死後の行き先として考えられるようになります。もちろん、そのような死後生を信じられない人は、浄土も天国も否定するか、あるいは象徴的に解釈することになります。様々な理解と解釈が幅広く混在するところに、現代特有の課題があると言えるでしょう。

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 7月25日、種智院大学で下記のように研究会が開催されました。

京都・宗教系大学院連合
第5回「仏教と一神教」研究会
◎テーマ:宗教と戒律
◎発表者:
 龍口明生(龍谷大学)
 「戒律と浄土真宗」
 前谷恵紹(高野山大学)
 「バラモン教にける戒律観」
 富田健次(同志社大学)
 「シーア派イスラームと戒律(シャリーア)--その意味と諸側面」

 種智院大学は真言宗の大学ですが、真言密教とは何か、という本質的な理解をめぐって、同じく真言宗の高野山大学の先生と、種智院大学の先生との間で激しい議論が交わされたのが印象的でした。
 こういう顔合わせや、テーマ設定は、K-GURSならではのユニークなものだと思います。この種の研究会を地道に続けていくことの意義をあらためて感じた機会となりました。

080331.jpg 3月29日に京都・宗教系大学院連合の公開シンポジウムが花園大学で行われました。
 講師は、京都大学のカール・ベッカー氏。「日本の死生学教育―現代の課題と急務」というテーマで話しをしてくださいました。
 内容もすばらしかったですが、何と言っても、日本語の使い方、間の取り方のうまいのに驚きました。
 小学校から高齢者に至るまで、どのような死生学教育が必要か、ということを具体的に語ってくれました。
 講演後、パネルディスカッションがあり、私もパネリストとして参加しました。

 今日で3月も終わり。信じられないほど、あっという間に時間が過ぎ去って、ほとんど休む間もなく、新学期に突入です。4月1日は入学式です。


 下記のように、K-GURSの公開シンポジウムを予定していますので、都合のつく方はご来場ください。

日本の死生学教育 ― 現代の課題と急務 ―

 「京都・宗教系大学院連合」は、大谷大学大学院 文学研究科、高野山大学大学院 文学研究科、種智院大学 仏教学部、同志社大学大学院神学研究科、花園大学大学院 文学研究科、佛教大学大学院 文学研究科、龍谷大学大学院文学研究科の7つの大学院・大学および9つの協力団体(研究所・学会)がそのメンバーとなっています。
 2006年度より、加盟大学院間の単位互換制度の実施をはじめ、教育や研究の具体的な取り組みを始めています。また、京都に息づく日本の伝統文化・宗教を積極的に国際社会にアピールするために、幅広い研究ネットワークの構築を目指しています。
 本連合の目的や活動を広く知っていただくために、今回、カール・ベッカー氏を基調講演の講師としてお招きし、「日本の死生学教育」というテーマのもと公開シンポジウムを下記のように企画いたしました。多くの方のご来場をお待ちしています。なお、来場された先着200名様には本連合の機関誌『京都・宗教論叢』第2号を贈呈いたします。

■日 時:2008年3月29日(土)午後1時~3時30分
■場 所:花園大学 無聖館(むしょうかん)(図書館)5階ホール
      京都駅よりJR嵯峨野線「円町」駅下車、徒歩8分
■プログラム
・あいさつ:ロバート・ローズ(大谷大学)
・基調講演:カール・ベッカー(京都大学大学院 人間・環境学研究科教授)
  「日本の死生学教育――現代の課題と急務」
・パネル・ディスカッション
  司会:中尾良信(花園大学)
  パネリスト:
   安永祖堂(花園大学)、鍋島直樹(龍谷大学)、小原克博(同志社大学)

※入場無料、事前申込不要
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