小原On-Line

ニュース: 2005年4月アーカイブ

 この事故は、全国的に報道されていると思いますが、わたしも第一報を聞いたときはびっくりしました。午後の授業のあと、事故の近所から来たという学生さんから、比較的詳しい話を聞き、かなり心配になりました。彼が言うには、同志社の京田辺キャンパスで2時間目の授業に出席する際に、同志社の学生がよく使う時間帯の列車だ、とのことでした。
 詳細はまだわかりません。この列車には神学部の学生も乗車しており、怪我をしたものの無事であると知らされました。そのほかにも、同志社の学生が乗車していた可能性は高く、心配です。
 負傷された方々の無事と、そして大切な人を亡くされたご家族への慰めとを祈らざるを得ません。

 全国的にどの程度報道されたのかはわかりませんが、関西の方では、今日の新聞は「聖神中央教会」の事件をかなり大きく扱っていました。
 わたしは午前中から用事があったので、きちんとした情報収集もしていませんでしたが、大学の方には朝から、いろいろなメディアからコメント依頼の問い合わせがあったらしく、時間の合間を縫って、何とか対応しました。
 詳細な情報を得ようと、事件の舞台となった教会のHPにアクセスしようと思っても、お昼間はアクセス不能状態でした。マスコミ経由の情報や、インターネットの書き込みなどを参考にして、コメントしましたが、あとでHPの情報を見て、それほど的はずれなことを言っていなかったことが確認できました。
 一点驚いたのは、京都の八幡市にあるローカルな教会かと思いきや、海外にも教会を持つ、かなり大きな組織であったということです。
 この教会はカリスマ運動の一翼をなしていると言えますが、一般的な日本の教会があまり元気がないのに対し、こうした教会が知らぬ間に大きく成長していることは不思議な感じがします。

■関連記事
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200504060023.html
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200504060025.html

 真相究明はこれからでしょうが、非常におぞましい事件であることに違いはありません。

 お口直しに、というわけでもありませんが、少し前向きな記事を。昨日も紹介した日経新聞のインタビュー記事をCISMOR BLOGに掲載しました。
 なかなかよい記事ですので、関心のある方は、ご覧になってください。

■CISMOR Blog
http://cismor.exblog.jp/

 Yokoさんがコメントで紹介してくださっていましたが、日本経済新聞4日朝刊に、一神教学際研究センターやCOEプログラムに関する森先生へのインタビュー記事が、かなり(!)大きく掲載されました。
 森先生の写真もかなり大きい。これだけ大きいと、「みのもんた」と間違えられることもないでしょう。(^_^;)

 冗談はさておき、日経がこれだけ大きく扱ってくれたというのは意味深長です。経済的関心と宗教というのは、日本ではもっとも縁遠い関係として見なされることが多かったですから。記事の内容は、ポイントをうまく整理しており、とても読みやすい内容に仕上がっています。できれば、スキャン画像をCISMORサイトにのせたいと思っています。

 この記事の中に小さなコラムがあって、そこで「同志社科目」に言及されています。わたしも、この科目を来週から担当します。新島襄や同志社の歴史を教えるほどの知識を持ち合わせていないのですが、行きがかり上、担当せざるを得ません。今から、勉強です(悲し・・・)。

 ローマ法王の逝去に関して、東京新聞から電話取材がありました。教皇の定年制についてコメントしました。40歳で就任、60歳で定年が望ましいですね、と答えておきました。どこかの記事の一部になるかもしれません。

 今日、京都の街中をタクシーで通り過ぎたのですが、桜、咲いていました。ほとんどの木は、まだまだこれからなのですが、一部の種類は、3分咲きくらいになっていました。京都では、今週末あたりに、ぱっといきそうな雰囲気です。

 ヨハネ・パウロ2世が亡くなり、世界中のメディアがそれを報じています。
 わたしは、授業の中で、ヨハネ・パウロ2世のことに頻繁に触れてきたこともあって、やはり寂しさを禁じ得ません。もちろん、彼の超保守的な立場から発せられる見解の多くに、わたしは賛同できませんでしたが、数々の歴史的過ちを認め、乗り越えようとしてきた行動力には、大いに敬意を払ってきました。
 その点で、傑出した教皇であったことは異論の余地がないでしょう。

 しばらくは、日本のメディアも大きく取り上げていくことでしょうけれど、比較的詳しい情報がカトリック中央協議会のサイトに出ていますのでご参照ください(下記参照)。後継者選びのことについても説明があります。また「用語説明」は秀逸。へぇ~!という発見があるはずです。

 コンクラーベという日本人にとっては、しゃれにも聞こえてしまうような選挙を通じて、120人ほどの枢機卿の中から教皇は選ばれるそうですが、候補者にあがっているのは、ほとんど70歳以上のご老人です。もっとも若い候補者でも60歳代。
 枢機卿の中から選ぶわけですから、年齢が高いのは仕方がないとも言えます。しかし、カトリックの教会法の上では、教皇の条件は「カトリックの男性」であればよいことになっていますから、もっと若い人が教皇になった方が、よいと思うのですが。
 たとえば、40歳代の人が教皇になれば、健康上の問題で気をもまなくてもよいですし、カトリック全体の雰囲気が変わると思うのですけど。

 キリスト教がまだキリスト教という名前すら持っていなかった、イエス運動と最初期の教会においては、活動の中心的担い手はもっぱら若い人々でした。若さにあふれた運動が、組織化と共に、高齢化していくというのは、何もキリスト教に限った話ではありませんが、やはり深刻な問題です。

 年寄りが悪い、ということを言いたいわけではありません。そんなこと言うと、"age discrimination"になってしまいます。そうではなく、高齢者が組織運営することが当然のことになってしまうと、信仰にとって大切なものが失われることが、しばしばある、ということです。残念ながら、日本のキリスト教界や仏教界で、こうした危険性を十分に自覚できないまま、世代交代に失敗し、組織そのものを疲弊させている例を多く耳にします。

 信仰の刷新、組織の刷新は簡単な問題ではありませんが、生き生きとした生命(信仰)の循環性を、組織がいかに体現していくことができるのか、やはり知恵を絞らねばならないと思います。

■特集:教皇ヨハネ・パウロ2世(カトリック中央協議会)
http://www.cbcj.catholic.jp/pope/index.htm

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