小原On-Line

小原克博: 2005年9月アーカイブ

 先日、Yokoさんがコメントで紹介してくださっていた岩波新書の新刊『多神教と一神教――古代地中海世界の宗教ドラマ』を購入し、読み始めています。
 メソポタミアも含む古代地中海世界を舞台として、様々な神話にあらわされてきた神々の物語を生き生きと描写しています。古代神話になじみのない人は、次々出てくる神々の名前やエピソードに面食らうかもしれませんが、そこがおもしろい点でもあります。
 読み始めたばかりなので、まだこの程度のことしか言えませんが、多神教世界に現れてきた一神教のことについても言及されていくようです。
 著者は冒頭近くで次のように強調していました。
多神教と一神教の世界は必ずしも単なる二者択一的なものではない。このことは本書を通じて覚えておいてほしい。」
 古代地中海世界においては、というコンテキストを意識しておく必要はありますが、興味を引くポイントの一つです。

 さて、たまたまこれに関連するようなタイトルの論文を小原克博 On-Line に掲載しておきました。「一神教と多神教をめぐるディスコースとリアルポリティーク」(『宗教研究』第345号)です。
 これは3月にIAHR国際大会で発表した内容をブラッシュアップしたものです。一神教と多神教をめぐる言説の分析や、一神教と多神教の相互関係について論じています。難解であるとは思いませんが、かなり「ひねり」を効かせている箇所もありますので、気楽な読み物というわけにはいきません。しかし、現時点でわたしが言いたいことの多くを盛り込んでいますので、関心のある方は、がんばって読んでみてください。
 上述の本とは異なる視点からですが、「多神教と一神教が二者択一的なものではない」ことも論じています。

■小原克博「一神教と多神教をめぐるディスコースとリアルポリティーク」

050924 9月23~24日、関西学院大学で日本基督教学会の学術大会が開催されました。24日は、同志社の大学院入試であったので、わたしが参加できたのは初日だけでした。
 午前中の研究発表の司会が当たっていたので、(普段に比べると)猛烈に早起きして出かけました。関学はわたしの自宅からは2時間ほどかかるので、7時前には家を出ました。
 わたしは「使いやすい人間」リストに入っているのか、ほぼ毎回と言ってよいほど司会が当たります。(^_^;)

 研究発表は中にはレベルも高くおもしろいものもあるのですが、司会をやっていると、聞きたくないものにまで付き合わなければならないのがつらいところです。

 午後はベルン大学名誉教授のウルリッヒ・ルツ氏による「キリスト論的一神教――初期キリスト教における平和の創出と潜在的攻撃性」という講演がありました。上の写真は、その一こまです。左で通訳しているのは関学の辻先生。2時間にわたる通訳を滞りなくこなし、ご立派としかいいようがありません。

 ルツ教授はマタイ福音書の研究者として有名な聖書学者ですが、講演の内容も、きわめて聖書学的でした。網羅的に聖書箇所をとりあげ、イエスの宣教や唯一神教の特徴を論じているのですが、もっと論争的なポイントに絞って、掘り下げていった方がおもしろかったのではないかと感じました。

 講演が少し予定の時間を超過し、質疑応答の時間はあまりなかったのですが、古屋先生(聖学院大学)が質問をしていました。かなりツッコミを入れたくなる質問でした。
 「"キリスト論的"一神教ではなく"三位一体論的"一神教の方が有効ではないか?」(わたしの心の叫び:聖書学者が「三位一体論」を中心に論ずるはずがないでしょ~)
 「リチャード・ニーバーのRadical Monotheism (徹底的唯一神主義)とHenotheism(拝一神教)の違いをどう考えるか」(わたしの心の叫び:講演内容に即した質問をしてくれ~)

 ただし、結果としておもしろい回答を引き出した質問が一つありました。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25:40)という章句があるのだから、イエスの宣教は攻撃を誘引するのとは違う要素もあったのではないか。
 これに対する答えはおもしろかったです。この章句で、弱者一般に対して配慮を示そうとする考えは、啓蒙主義的な解釈であって、それはそれでよいのだが、マタイ自身は「この最も小さい者」によってイエスの弟子のことしか考えていないのだ、というのです。

 あれこれ手を広げずに、こういう論争的な点をいくつか取り上げて、解釈を深めるとおもしろかったのでは、というのがわたしの感想です。

 講演の中では、ヨハネ黙示録が攻撃を誘引しやすい例示として何度も引き合いに出されていました。
 マタイ福音書で描かれているイエス(特に、審判の告知者としてのイエス)が、ヨハネ黙示録を読んだとしたら、喜んだだろうか、悲しんだだろうか、という、あまり聖書学的とはいえない疑問がわたしの頭を何度もよぎりました。

 久々に背景画像を変更しました。これまでのものは結構気に入っていたので、長期にわたり使っていたのですが、気分転換しようと思い、リラックマに変えてみました。
 日々、雑務に追われ、心休まる暇がないので(というのは冗談ですが・・・)、リラックマのようにリラックスして一日一日を過ごしたいという願望が、ほのかに現れているかもしれません。

 先日、ハードディスクがクラッシュしたという話をしました。必要なソフト類はほぼすべてインストールし終わり、クラッシュ以前の環境を取り戻すことができました。
 しかし、そうであればこそ、失われてしまった膨大な画像・動画データが悔やまれてなりません。こういうことに、本来、くよくよしないたちなのですが、駄作の写真の山にも、いくつか名作がありましたので、クラッシュしたデータを復旧しようかと最近考えています。
 ということで、ハードディスク復旧のサービスをしているサイトをうろうろしたりしているのですが、値段の幅がかなりあることに驚きつつ、格安でも5万円ほどはかかりそうなことがわかってきました。
 まだ思案中です・・・ お金のことを考えると、なかなかリラックマになれません。(^_^;)

 小原克博 On-Line に書評「西谷幸介著『宗教間対話と原理主義の克服――宗際倫理的討論のために』」(『日本の神学』第44号)を掲載しました。
 前半はまさに書評なのですが、後半は「本書によって触発される課題」という章で、かなり持論を展開しています。この部分だけ読んでいただいても、おもしろいかと思います。

書評「西谷幸介著『宗教間対話と原理主義の克服』」

 なお、京都・宗教系大学院連合のサイトに評議員一覧を追加しました。あれこれ探して、一応、全員の名前から自己紹介あるいは自分のウェブサイトにジャンプできるようリンクを張りました。

■京都・宗教系大学院連合
http://www.kgurs.jp/

yomiuri050910 先日、Yokoさんがコメントで紹介してくださっていた読売新聞の記事が送られてきましたので、小原克博 On-Line に掲載しました。
 短いインタビュー記事ですが、ご覧ください。

 最期の方に、次のような文章があります。

「・・・日本人は戦争の悲惨さから反戦を訴えるが、伝わりにくい。正戦論を踏まえて戦争を議論していくことが有効ではないか」と話す。平和=善、戦争=悪という二分法は、それこそ善悪二元論に陥る危険をはらむ。

 ここの部分だけを読むと、わたしがあたかも正戦論者のようですね。(^_^;) もちろん、そのような意味ではありませんので、誤解なく。
 変わりゆく状況を視野に入れないで、ただ平和を一本調子で主張し、紛争の当事者を傍観者的立場から糾弾することは、現状を何も変えはしない、ということを言いたかったのです。
 こういうやり方では、結局、自分を善の高見に置くことになってしまうので、皮肉なことに、自己絶対化の危険に陥りやすくなります。日本の反戦平和主義が、どのように機能しているのかを、反省的に見直すべきだということを記者の方には語りました。

 ちなみに、この記事は読売新聞の「宗教はいま」というコーナーに、アメリカを支える右派「神学」という大きな見出しのもとに掲載されていました。もう一人のインタビュー対象者は、関西学院大学の栗林輝男先生でした。

「正戦論」1600年の歴史(『読売新聞』2005年9月10日、夕刊)

 総選挙の結果、みなさんはどう、お感じになったでしょうか。
 選挙前にはあれこれの論点が論じられていたようにも思うのですが、結果からすれば、郵政民営化が他を圧倒する最大の焦点であった、ということでしょう。
 個人的には、今回ほど「右傾化」への心配を感じた選挙はかつてありませんでした。いや、確かに多くの人が小泉首相による構造改革に信頼を示したのですから、改革への期待がそこにあったことは事実でしょう。
 しかし、結果として小泉政権を承認することによって、郵政民営化以外、いろいろなものがつきまとってくることについては、やはり十分議論が尽くされなかったのではないかと思っています。自衛隊の派遣、靖国問題、憲法改正など、心配の種は尽きません。
 これほど圧倒的多数の日本国民によって小泉政権が信任されたということは、中国・韓国はじめ近隣諸国や他の国々からは、日本社会が「右傾化」へとひた走っていると映ってもやむを得ないでしょう。

 今回の選挙の分析は、これから、いろいろな形でなされていくと思いますが、わたしの関心の一つは、若年層の投票行動がどうであったのか、ということです。大学生を中心とする若い世代が、右傾化する傾向にあることは、よく聞きますし、わたし自身も直接に感じることがあります。選挙との関係だけでなく、今後の日本社会のあり方を占う意味でも、この点は意外と大事ではないかと思うのです。

IMGP1312 今日はCISMORの研究会がありました。Issam Mohamed氏に「スーダンにおける紛争――イスラームとキリスト教、原理主義をめぐって」をテーマとして話をしてもらいました。
 また、彼の親友である武岡氏(名古屋大学名誉教授、農学博士)にはMohamed氏にまつわるエピソードや、スーダンの基礎情報について話をしてもらいました。
 1時間ほどの話の後、2時間に及ぶディスカッションをしました。わたしは司会をしていたのですが、特に誘導する必要もないくらい議論が白熱しました。
 23年に及ぶ、スーダン南部地域におけるクリスチャンとムスリムとの抗争や、ジェノサイドと言われたダルフールの事件など、話題には事欠かないのですが、近代的な国家概念を前提できない状況や経緯を知れば知るほど、その複雑さにめまいがする思いがしました。

 ともあれ、Mohamed教授がとりあげようとした焦点の一つは、イスラーム過激派や原理主義の問題で、特に、原理主義の定義を巡っては議論が百出しました。
 イスラーム社会は、スーダンに限らず、部族を中心とした社会形成をしているので、「国家」という考え方を共有することがいかに難しいかを、あらためて感じさせられました。

 多様な部族、異なる宗教(イスラーム、キリスト教、無数の伝統宗教)を統合していくために"Sudanization"(スーダン化)の試みもあるようなのですが、なかなかうまくはいっていなとのことでした。

 また、若者の間にイスラーム急進派の考えが浸透しやすい状況であることも印象に残りました。Mohamed教授の息子もその影響を受けた時期があり、兄弟たちに向かって、テレビを見るなと言っていたそうです。宗教的な理由からです(健全な精神が毒される、ということだと思います)。ちなみに、イスラーム社会では、一般的に、ビン・ラディンはヒーロー扱いをされており、それはスーダンでも例外ではないとのことでした。

 もちろん、悲観的なことばかりが話題になったわけでなく、南部地域における紛争に和解がもたらされた背景には、ムスリムとキリスト教徒の間の対話を推進しようとした指導者たちがいました。

 3時間に及ぶ研究会のあとは、同志社大学のはす向かいにある居酒屋「白木屋」に場所を移し、さらに2時間ほど議論を交わしました。

 ぜひスーダンに来てほしい、と今回も念押しされました。冬がいいそうです・・・

 

8月1日の記事で紹介していた「京都・宗教系大学院連合」のサイトを開設しました。まだ掲載する情報も少量なので、かなりシンプルな構成になっていますが、ようやく立ち上げることができ、少しほっとしています。
 職務上、わたしがサイト作成および管理をしなければならないのですが、この種の仕事は、いいかげん卒業したいと思いながらも、増えることこそあれ、減ることはありません。(--;)
 とは言うものの、新規のサイト開設は気持ちのよいものです。7月31日にすでに組織は設立されているとはいえ、やはり今の時代、ウェブサイトができて、ようやく一人前という感がありますので。
 現時点では、いたってシンプルなサイトで、生まれたての赤ちゃん状態ですが、今後、新しい情報を追加していき、ゆくゆくは、京都の魅力を世界に発信できる国際的なサイトに育てていきたいと思っています。

■京都・宗教系大学院連合
http://www.kgurs.jp/

 

小原克博 On-Line に「医療倫理に対する宗教学的アプローチ」(『民医連医療』2005年9月号)を掲載しました。
 これは、わたしが目下、京都民医連中央病院の倫理委員会委員長をしている関係から依頼された論考です。医療倫理委員会の特集の一部となっています。
 一部(カルヴァンの予定説など)難しい箇所もあるかもしれませんが、全体としては読みやすく書いたつもりですので、関心ある方はご一読ください。

■「医療倫理に対する宗教学的アプローチ」
http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/works.nsf/
626e6035eadbb4cd85256499006b15a6/5bc776a479adb5f549257072004f20cf?OpenDocument

 夏休みモードに入ってしまい、このBLOGも長い間更新せずじまいでした。久々の書き込みになりますが、ぼちぼちと近況などをつづっていきたいと思っています。

 まず最近の悲劇から。メインマシンのハードディスクがクラッシュしました。(;´_`;) 文書類は毎日のようにバックアップしているので何の問題もないのですが、画像・動画関係とはサヨナラです。一応、クラッシュしたハードディスクの普及をしてくれそうな会社のページを調べてみたのですが、容量が大きいとかなり値段がかかることがわかりました。わたしの場合、150GBのハードディスクだったのですが、10万円は超えそうです。値段を見て、あっさり断念しました。
 将来、大金持ちになったら復旧を頼むかもしれません(なさそうですが・・・)。それまで一応、ハードディスクは放置しておきます。

 画像・動画関係は容量が大きいので、ついつい普段のバックアップを怠ってしまいます。今回の痛い経験を教訓として、今後は、ある程度定期的にバックアップしようと思います。皆様も、お気をつけください。

 春頃に撮影した名作をそろそろ整理して「小原写真館」にアップしようと思っていた矢先であっただけに涙です。

 貴重なデータが失われたのもショックでしたが、新たにソフトを入れ直し、システムを構築し直すのにずいぶん手間暇がかかりました。250GBのハードディスクを1万円ほどで買ってきました。7割ほど復旧したので、ようやく、このBLOGにも書き込む気力が出てきたという次第です。(^_^;)

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