小原On-Line

小原克博: 2007年1月アーカイブ

070131 ようやく基本的なパーツが揃って、右写真のように新しいパソコンを完成させることができました。
 このケースの特徴の一つは静音設計なのですが、何とハードディスクはゴムでつるされています。「究極のサスペンション」と謳っているのですが、たしかにそうかも。しばしば、ハードディスクの振動がケースに響いて、不快音となりますが、そいう心配はまったくありません。
 このような仕組みは、移動には適しないため、市販パソコンでは絶対に採用されないやり方です。

 ともあれ、無事に起動し、早速、30日発売当時に購入したビスタをインストールしました。ついでに、Officeも。
 今日の朝日新聞には、「「ビスタ」消費者は踊らず」という見出しの記事があり、大半の消費者は乗り換えに消極的あるいは慎重であるとの説明がありました。
 私は完全に踊らされています! マイクロソフト帝国の住人(奴隷)として、ビル・ゲイツにしっかりと税金を納めています! と、ちょっと卑屈モードになってしまいましたが、新しいもの見たさの好奇心には勝てません。

 苦労の末、今、ビスタはほぼ順調に動いています。しかし、いくつかのトラブルを体験して、ビスタへの乗り換えは、誰にでも勧められるものではないということがわかりました。
 それについては、また後日。

 先週行った研究発表および講演のレジュメを小原克博 On-Line に追加しました。関心のある方はご覧になってください。

 

K-GURSの研究会で行った発表は、けっこうリアクション(誤解も!)があったので、いずれきちんと論文としてまとめてみたいと思っています。時間があれば、の話ですが・・・
 仏教の土俵の上でやるのは、その専門家でない人間にとっては勇気がいりますが、同時に、非専門家ならではの切り口も提供できると考えています。
 相互理解を深めていくためには、こうしたアプローチは欠かせないと思っていますので、今後も臆せず継続発展させていくつもりです。

 西宮教会での講演は、手島先生とペアーでやりました。キリスト教とユダヤ教がテーマでした。一神教研究の成果を教会で披露するのは初めてであったのですが、こうしたことを知らせる意義のあることを強く感じました。

「近代日本宗教史の中の「原理主義」」(K-GURS研究会)
「一神教としてのキリスト教」(西宮教会)

 昨日の組み立て中パソコンの背後にガンプラが立っているのを目ざとく指摘してくださった方が数名いました。「あのプラモデルは何ですか~」という素朴な質問にはちょっと狼狽してしまいますが・・・
 組み上がっているのですが、まだ細部の塗装などが終わっていないので、ぼんやりと登場させています。実は、昨年12月暮れに発売されたガンプラの最新作です(MG ストライクフリーダム ガンダム)。ガンプラの進化の極みを堪能させられた製品でした。これについては、また後日。


070129 先週は猛烈に忙しかったです。講演会や研究発表が三つ重なり、朝方まで準備をする日が続きました。
 K-GURSでの研究発表等、追って、レジュメを掲載していきたいと思っています。

 実は、先週、パソコンの組み立てのためにMPUやマザーボード、ケースなどを買っていたのですが、時間がなく放置したままになっていました。
 現在使用中のパソコンの部品をかなり流用するので、万が一うまく動作しなかった場合、発表の準備に差し支えるので、「移植手術」を控えていたという事情もあります。
 MPUは IntelのCore 2 Duo。でも、一番安いやつです。Core 2 Duo対応のマザーボードを買いましたが、これもASUSの廉価製品。
 一番根が張ったのは、実はミドルタワーのケース。ケースは、いくつか持っているのですが、静穏設計のものを思い切って買いました。
 写真は、ケースの中にマザーボードを立てかけただけの状態です。

 メモリーなど、いくつか不足部品があったので、完成にはしばらく日数を要します。
 なぜ、この時期にパソコンの組み立てを思い立ったのか?
 お察しの通り、Windows Vista対策です。新しいパソコンを買う余裕はないので、古いパソコンのパーツを流用しながら、自作することにした次第です。

 小原克博 On-Line に、「宗教の危機――激動の時代こそ不変を」(「9条が揺らぐ時代――憲法公布60年」)(『京都新聞』2007年1月18日、朝刊)を追加しました。
 インタビューは、1ヶ月ほど前に行われたので、何を話したのか、今となってはほとんどおぼえていません。しかし、記事を読み返すと、主なポイントはうまくまとめてくださっていると思いました。

 表面的に読むと、抽象的にしか平和について語ることのできない既成教団に対する批判をしているように見えますが、本意は、宗教ならではの固有の働きをしてほしいというエールを送っています。

 結論的には、9条を守れ、ということになっています。状況依存的な条文は、積極的に変更を考えてもよいと思います。しかし、防衛庁が防衛省に格上げされるような時代には、9条に関しては、もっと保守的であった方がよいでしょう。

 「平和主義」を日本の基本原理とし続けるためには、安易にいじるべきではないと考えています。その点では、私はファンダメンタリストだと思います。


 関心ある方は、ご一読ください。

 小原克博 On-Line に「医療の現場に対し、キリスト教倫理は貢献できるのか?」(『福音と世界』2007年2月号)を掲載しました。
 紙数が限られていましたので、細かい議論はしていませんが、自分自身の経験を織り交ぜながら、キリスト教倫理の課題について記しています。
 「キリスト教倫理は貢献できるのか?」という問いに対する私の答えは、YesでもありNoでもあります。どのような意味で?と関心を持たれた方は、拙論にお目通しいただければと思います。

「医療の現場に対し、キリスト教倫理は貢献できるのか?」(『福音と世界』2007年2月号)

 小原克博 On-Line に、共著の森孝一編『EUとイスラームの宗教的伝統は共存できるのか―「ムハンマドの風刺画」事件の本質』(明石書店、2007年)を掲載しました。
 出たばかりの本ですが、内容的にはちょうど1年前に話題となった「ムハンマドの風刺画」事件を扱っています。
 タイトルが「EUとイスラームの・・・」となっていて、小さくサブタイトルで「「ムハンマドの風刺画」事件の本質」と記されているので、表紙だけ見ると、だまされてしまうかも(?)しれません。実際には、最初から最後まで風刺画問題を扱っています。
 そう言ってしまうと、もはや鮮度を失った事件を扱っている時期外れの本のように思えるかもしれませんが、幅広く世界各地における反応を分析しているという点では、世界的に見ても類書はほとんどないと思います。
 400ページ近くある重厚な本なので、誰にでもお薦めできるわけではありませんが、風刺画問題を通じて、問題を掘り下げてみたい人にとっては、多くの情報と知的刺激を与えてくれる一書であると思います。
 かくいう私も、まだすべての章に目を通しているわけではありませんので、これからぼちぼちと読んでいきたいと考えています。

 ちなみに、私はヴァチカンと世界教会協議会の対応について書いています。

森孝一編『EUとイスラームの宗教的伝統は共存できるのか』

明石書店での『EUとイスラームの宗教的伝統は共存できるのか』紹介

Amazonで『EUとイスラームの宗教的伝統は共存できるのか』を購入

 NHKから12月18日に放送されたラジオ夕刊のカセット・テープが送られてきました。テープをデジタル化することは普段ほとんどないので、作業に少々手間取りましたが、何とか変換し、アップしておきました。
 放送日以降、いろいろな人から「聞いたよ!」という話を聞き、ラジオ・リスナーが思っていた以上に多いことに驚かされました。
 録音テープで、私自身ははじめて放送内容を聞いたのですが、あらためて聞いてみると、まあまあ落ち着いて受け答えしているな、という印象でした。NHKの解説委員の方も、気の利いた質問をされています。
 というわけで、関心のある方は下記音声をお聞きください(16分)。

 

070104_1 正月の三が日を終え、今日が「仕事始め」の方もおられると思います。
 タイトルの「仕事始め」は、私の仕事始めではなく、近所の猿軍団の仕事始めのことです。
 庭の方から聞き慣れない鳴き声が聞こえるので、目をやると、何と猿たちが大根を食い散らかしているではありませんか! ウッキー!と私も一気に戦闘モードになって、庭に飛び出したものの、説きすでに遅し・・・ 右の写真のように、かなりの大根が根こそぎ抜かれ、葉っぱだけが残されていました。
 大根を引き抜くには結構な力がいるのですが、見事に抜かれており、ある意味、感心いたしました。

 落ち着いて周りを見渡すと、近所の家の屋根に10頭以上の猿がいるではありませんか。噂には聞いていましたが、これほどたくさんの猿軍団にお目見えしたのは、はじめてでした。
 チームプレイを駆使し、手にはいろいろな収穫物を持っているようでした。正月くらい、ごちそうを食べたいのは、人間も猿も変わりないようです。
070104_2_1  左の写真は、我が家の大根を竹藪中腹で、むしゃむしゃと食べている猿の一匹を望遠で撮影したものです。
 何となく、満足げな猿の顔を見ていると、怒るのも馬鹿馬鹿しくなってきました。

 猿軍団にとっても、今年がよい年になりますように!

 小原克博 On-Line に「動物は「天国」に行くことができるか?― 動物の死生学」(「現代における宗教の役割研究会」第53回研究会、パネルディスカッション「祈りと供養」)を追加しました。
 これは昨年12月26~27日に行われた研究会(通常、コルモス研究会と呼ばれています)の二日目に話した際のレジュメです。
 全体のテーマが「祈りと供養」ということで、主催者側との話の中で、私は「人間」ではなく「動物」の供養や動物観の変遷などについて話しました。
 仏教では、「一切衆生悉有(しつう)仏性」「草木国土悉皆(しっかい)成仏」などの言葉に代表されるように、すべてのものには等しく「仏性」が宿っていることを説き、そこからキリスト教の人間中心主義を批判することもあります。しかし、私が言いたかったことの一つは、事態はそれほど単純ではない、ということでした。
 キリスト教を含む西洋思想史には、人間を自然界の支配者とするような考え方ももちろん強くありますが、それ以外の動物観・生命観も存在しています。近年では、「動物の神学」に代表されるように、動物の位置づけを根本的に見直そうとする試みや、また、動物礼拝や動物の葬儀もかなり真剣になされつつあります。
 先に触れたように、仏教思想の中に、動物を含め、すべてのものに仏性を見るという点で、アニミズムに近接する要素があります。
 私は全体討議の中で、仏教の自然観とアニミズムとを一緒にしてしまってよいのか、という質問を投げかけましたが、明快な返答は得られませんでした。
 仏性を含んでいるという点で、すべての生命に根本的違いはないはずです。しかし、実際には、人間社会における差別を見過ごしたり(容認したり)、人間の命を奪うことになる戦争を肯定した歴史があるとすれば、アニミズム的自然観をもって、単純に人間中心主義への批判的回答とすることはできないはずです。

 この研究会は、35年もの歴史をもち、西本願寺が中心的役割を担っているようですが、仏教だけでなく神道や新宗教も含んだユニークなものです。各教団の代表者や、えら~い宗教研究者が一堂に会しているので、そのお姿を拝見するだけでも価値があると言えます。
 西本願寺のご門主、大谷光真氏は古くからのメンバーの一人ですが、今回、ご門主とも親しく会話を交わすことができました。なかなか、普段は、こういうわけにはいきません。
 仏教、神道、新宗教の方々と議論しながら、そのものの見方に触れることができるという意味で、コルモス研究会は刺激的な経験でした。

070101 明けましておめでとうございます。
 今年の干支は猪なので、「猪突猛進」を今年の目標にしたいところですが、普段から、猪突猛進状態なので、むしろ、メリハリを付けることのできる「賢い猪」になりたいと思っています。
 常時、フルアクセル状態では健康も気力も続きませんので、オン・オフの切り替えを大事にしながら、生活を楽しむことができればと願っています。
 右の写真は、元旦の比良山。12月前半は、雪不足でどのスキー場も嘆いていましたが、今はその心配はありません。写真の山の頂上あたりに、「びわこバレイ」というスキー場がありますが、きれいに雪が積もっているのがわかります。
 みなさんにとっても、充実した一年となりますように!

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自己紹介

近  著

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