小原On-Line

小原克博: 2009年1月アーカイブ

 1月31日、CISMOR講演会「2008年アメリカ大統領選挙と宗教勢力」が行われました。
 旬なテーマであったためか、小雨が降る天候であったにもかかわらず、200名以上の参加者がありました。
 今回は、なんとまじめなことに、講演会場にMacBook Airを持ち込んでメモを取りましたので、それをつけておきたいと思います。
 あくまでもメモ的な記述なので、わかりにくい箇所もあるかもしれませんが、講演の要点はお伝えできると思います。

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 1月24日、「イスラームにおける諸宗教間対話の試み」というテーマで、午前中に公開講演会が行われ、午後からはクローズドなシンポジウムが行われました。
 右の写真は、午前中、クラーク記念館で行われた講演会の様子です(私は司会)。会場となったクラーク・チャペルがほぼ満席となる盛況ぶりでした。30分ほどフロアーとの質疑応答の時間がありましたが、活発に質問が出されました。

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 午後からのセッションの最初の発表者に私は当たっていましたので、午前中での議論を受けて、以下のような内容の質問をしました。

1.イスラームは対話の宗教であるというが、なぜ、近年になってサウジアラビアは対話を強く呼びかけるようになったのか。具体的な理由があれば教えて欲しい。9.11の影響か。あるいは、アメリカなど国際社会からの批判(サウジアラビアには信教の自由がない、といった批判)を意識しているのか。

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2.イスラエル軍によるガザ攻撃は凄惨なものであった。今後、同様の悲劇を繰り返さないためにも、(イスラエルは言うまでもなく)ハマスには対話可能な側面を持って欲しい。実際、ハマスはエジプトのムスリム同胞団を起源とするスンナ派集団であるが、同時にイランからの援助を受けるという微妙な体質を持っている。サウジアラビアは、このハマスとどのような対話的関係を取り結ぶのか。

3.他の宗教との対話というが、イスラームにとって対等に向き合える宗教は、ユダヤ教・キリスト教といったアブラハム宗教であり、経典の民であって、その他の宗教は多神教、偶像崇拝とされてきたのではないか。非一神教の宗教に対して、今日のイスラームはどのような積極的理解を示すことができるのか。

 あとの議論は、2.の問題にかなりの時間が割かれることになり、また、サウジアラビアからの人々にとっては実に答えにく質問であったため、あとで、ちょっと気の毒なことをしたかな、とも思いました。しかし、やはり避けては通れない問題でしょう。

 長時間におよぶ議論の中で、サウジアラビアの方々は、イスラームの理念、理想の立場から話されていたように感じました。対話の具体的問題や中身については、なかなか踏み込めないというもどかしさも感じましたが、非常に誠実に対応してくださったと思います。

 セッションの最後に私が総括的に問いかけたのは次のようなことでした。

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 土曜日に予定されている国際シンポジウムの前日、サウジアラビアから来られた方々と会食を共にしました。
 アラビア語が、がんがん飛び交っていましたが、もちろん、アラビア語の部分は私にはわかりません。
 サウジアラビアの様子などを聞きました。
 サウジの大学の授業料の話題になったところ、何と無料だそうです。無料どころか、毎月決まった額を学生に支給しているとのこと。高校からの大学進学率は何と90%!
 さすが、サウジアラビア!
 お金をかけずに大学で学びたい方は、サウジアラビアに行きましょう。ただし、アラビア語がある程度できなければなりませんが・・・

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 サウジの方々は、さしみなど、ほとんどの日本料理をしっかり食べていました。なまこは、気持ち悪かったのか、醤油の上に残されていました。

 食事が終わると、礼拝の時間。空いたスペースで、メッカの方角を向いて礼拝をしていました。左の写真がその様子です。
 写真の下の方に写っているのは、同志社大学の学長の八田先生です。
 日本時間の深夜1:30より、オバマの大統領就任式をリアルタイムで見ました。さすがにすごい盛り上がりようでした。この就任式については、またあらためて記したいと思います。

 さて、今回は近々行われる公開講演会を二つ紹介します。近所でご都合つく方は、どうぞお越しください。
 「イスラームにおける諸宗教間対話の試み」(1/24)にはサウジアラビアから、かなりの偉いさんたちが来られますので、接待にも気を遣います。サウジアラビアは日本からは産油国としての認識がもっぱらかもしれませんが、中東のイスラーム情勢を理解するためには、サウジアラビアを無視することはできません。私もそれほど詳しくありませんので、この機会にいろいろと学びたいと思っています。

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 四条河原町の「文福茶釜のたぬき四条店」で学部ゼミコンパを行いました。
 今日が、今年度最後の授業となり、また、卒業していく4回生にとっては大学生活最後の授業となります。
 学部のゼミは少人数で、時間的にゆとりのある議論ができるので、大教室科目が比較的多い私にとっては、ほっとできる時間でもありました。
 コンパでは、みな饒舌になり、あれこれ言いたい放題なので、やり取りを聞いているのがおもしろいです。
 早稲田からの留学生は東京に帰り、また、4回生は春から社会人や大学院生と、それぞれ進路は異なりますが、それぞれ新しい道を無事歩み始めることを願わざるを得ません。
 1年の学期が終わり、ほっとする時期でもあり、また、おなじみの顔ぶれと会えなくなる心寂さを感じなければならない時期でもあります。

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 1月17日、同志社大学で京都・宗教系大学院連合(K-GURS)の第6回「仏教と一神教」研究会が以下のようなプログラムで行われました。

◎テーマ:天国と浄土
◎発表者:
 曽和義宏(佛教大学)
  「極楽浄土──平等な世界」
 中尾良信(花園大学)
  「道元の説く三時業──地獄の中有と三世」
 越後屋 朗(同志社大学)
  「聖書およびキリスト教における天国」
◎コメンテーター:安達俊英(佛教大学)
◎司会者:小原克博(同志社大学)

 知らないことばかりで勉強になりました。
 やっかいなのは、浄土にしても天国にしても現代人にどのように語るか、という課題です。理念と現実の乖離についても、それぞれの立場から紹介がなされました。

 以下は、私の勝手なコメントです。
 かつて、浄土も天国も空間的に位置づけられていました。浄土であれば西方に、天国であれば上方にあると考えられたわけです。昔は、遠い距離がそのまま「超越性」を担保することができたので、空間的メタファーによって語ることによって、十分機能していたわけです。
 しかし、さすがに近代以降は空間的に、それらを位置づけることができなくなりますので、「死後生」として時間的次元に転移させられていきます。
 浄土も天国も、死後の行き先として考えられるようになります。もちろん、そのような死後生を信じられない人は、浄土も天国も否定するか、あるいは象徴的に解釈することになります。様々な理解と解釈が幅広く混在するところに、現代特有の課題があると言えるでしょう。

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 大学院のゼミコンパ(新年会)を先斗(ぽんと)町にある厨厨(ずず)というお店で行いました。
 この学期で大学院を修了し、社会人として旅立って行かれる方々もおられます。
 当たり前のように顔を合わせてきたメンバーですが、何人かが抜けていくことを考えると、やはり寂しい思いがします。
 大学院での学びが、これからの人生の歩みに多少なりとも役立つことを願っています。
 このブログは2004年1月7日に開始しましたので、今日2009年1月7日で丸5年が経過したことになります。
 ログを見ると、書いた記事の数は809、いただいたり、私が書いたりしたコメントの総数は1056になります。
 5年前に始めた頃は、ブログがはやり始めていた時期でしたが、実は私自身ブログがどのようなものかあまりよくわからないまま始めた記憶があります。ウェブサイトよりは更新を気楽に行える日記的なものという認識しかありませんでした。
 あまりがんばりすぎず、ぼちぼちやってきたので、何とか5年続いたのだと思います。また、コメントをいただいたり、「ブログ読んでますよ」という声をしばしばかけられたことが継続するための大きな力になりました。
 インターネット上の表現形式は、時代と共に変化していっていますが、ブログという形態は長く残っていくのではないかと推測しています。

 最初のウェブサイトを私は1995年に立ち上げましたが、その頃は、ブラウザーの種類が6、7種類ありました。そのいくつかに関しては、日本語化のためにパッチをあてる作業が必要であったのも、今となっては懐かしい記憶です。
 ウェブサイト、ブログ、ストリーミングそしてポッドキャストと時代の変化を少しずつ取り入れながら、インターネットの世界とつきあってきました。
 最先端技術を追いかけるというより、むしろ、より効果的にメッセージを伝える技法を探求してきたように思います。
 音声・動画の魅力は大きいものがありますが、テキストによるメッセージの伝達は素朴ながらも、時代を超えて、思考の基本であり続けると思っています。そのような意味でも、このブログをぼちぼちとでも続けていきたいと願っています。さて、この先、どのくらい続くのでしょうね?!
 新しい年が始まりました。世の中の暗いニュース(金融危機、ガザ侵攻など)を聞くと、新年とはいえ気が滅入りますが、やはり年の始まりくらいは、志を高くもち、楽観的に一年を展望したいと思います。
 私もあれこれ考えましたが、一つは、ここ数年やってきたことを、きちんとまとめる年にしたいと思っています。しゃべり放し、書きっ放しでは学問となりませんので、一区切り入れて総括できる一年になればと願っています。
 また、ブログであれ、ポッドキャストであれ、自分の今考えていることを、たとえ断片的であっても、わかりやすく伝えていく努力は続けていきたいと思っています。どんなに深遠な真理や学問であっても、それが適切に伝えられなければ、意義が半減してしまいます。その点では、日々の経験や思索を出し惜しみすることなく、多くの人と共有していきたいと願っています。

 さて、正月気分に浸ってばかりもいられません。実は、今週土曜日に講演が予定されていて、その準備に年末年始を多少費やしました。もっと遅めに日程設定しておけばよかったと悔やんでも、後の祭りです。(×_×)
 
日本クリスチャンアカデミー 関西セミナーハウス活動センター「生命の意味を問う」
講演:地球温暖化の世紀において「生命の尊厳」を問う
日時:1月10日(土)14:00-17:30
場所:関西セミナーハウス

 お近くで、関心のある方はご参加ください。詳しい情報は次のリンクからご覧ください。


 では、どうぞ、今年もよろしくお願いします。
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