小原On-Line

生命倫理: 2008年8月アーカイブ

080817_1.jpg 栗生楽泉園を訪ねたとき、強烈な印象を受けたものの一つに重監房跡がありました。
 重監房の歴史について、私はまだ十分に理解していませんが、当時、ハンセン病患者の収容施設の中で、脱走を試みたり、反抗的であったりした人が、この場に強制的に連れてこられ、収監されたようです。
 収監されたほとんどの人が病気になったり、亡くなったりしたようです。
 それもそのはずで、非常に劣悪な環境であったからです。
 下の写真は、建物が取り壊されたあとの基礎部分だけが残っていることを示していますが、いずれの独房も2メートル四方の非常に狭い場所であったことがわかります。その中にトイレと、小さな窓が一つだけついていたとのことです。

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 戦時下には、国家が率先して、「健康・健全な国民」の育成を叫びます。しかし、そのことに裏側には、ハンセン病患者を筆頭に、健康ではないとされた人々が社会から排除され、隔離されたという事実が横たわっています。そのような歴史的教訓を、あらためて心に刻む機会となりました。

 今、政府が「メタボ撲滅!」とも聞こえるようなキャンペーンや政策を行っていますが、単に「余計なおせっかい」というにとどまらず、国家が健康を主導したときには、同時に、その枠からはみ出る人がどうなるのかという側面に注意を払い続ける必要があると思います。

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 先日のユースキャンプで訪ねた栗生楽泉園の納骨慰霊塔に、昨年3月28日につくられたばかりの碑がありました。

 ハンセン病患者の妊婦が強制堕胎させられた出来事を記憶するための碑です。今から70年近く前の出来事が、長い時を経てようやく公に告知されるに至ったことは、その出来事にまつわる悲嘆の深さを感じさせます。

 20世紀になってから、さらに戦争の足音が迫り来る中で、世界の各国で優生思想が吹き荒れ、国策にも大きな影響を与えました。日本も例外ではなく、戦時下においては、優良な生命と劣等な生命の分別は当たり前のように行われました。
 小さい命、弱い命が切り捨てられていくことは、すべての戦争に通じる普遍的な惨劇であると言えるでしょう。

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 左の写真は、この碑の裏側に記されている碑文です。

 遺伝子工学などの生命科学が発展していくと、今後、新たな装いをした優性思想が出てこないとも限りません。
 命の等価性は、理念としては叫ばれても、その実現にはまだ遠く及んでいないことを、私たちは心にとめておくべきでしょう。
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近  著

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